オシャレで生きる! 戦災、震災を生き抜いた人々のシニア・ファッションショー。

Japanese Film Festival Nippon Connection2016

2016年/日本/カラー/HD/75分 配給:オリオフィルムズ

2016年7月2日(土) より新宿K’s cinemaにてロードショ-

公開初日 2016/07/02

配給会社名 1344

解説


忘れること 忘れないこと 変わるもの 変わらないもの
人は忘れる生き物である。そしてまた、人は忘れない生き物でもある。
1995年1月 阪神淡路大震災。神戸市兵庫区は甚大な被害を受けた地区の一つだ。
あれから20年、いまだ震災前の人口は戻らず、高齢化はさらに進んだ。「一面の焼け野原、震災は戦災と同じやった」
そう語る人もいる。彼らは過去を生きているのではない。今ここを生きている。嘆くのでも恨むのでもない。
ささやかなハレとケ。淡々と自らの命を紡ぐ日々。かれらの経験から学ぶことは今しか出来ない。
いや、もう十分に遅すぎる。“大きな出来事”を体験した“小さな人たち”は、上から大声で叫ぶのではない。
私たちと同じ目の高さから自分にも言い聞かせるように、小さな声で語りかける。
一つ一つは何処にでもある取るに足らない出来事かもしれない。
しかし、かけがえのない“小さな言葉”は“遠くまで”届く。
死者に、未来に届く。そして、静かに強く長く残る。 

ストーリー



2015年夏、神戸市兵庫区の会下山公園山頂広場。朝6時過ぎ、三々五々集まってくる人々から映画は始まる。
神戸市は古くからラジオ体操会が盛んな町だ。250名あまりが集まって朝のラジオ体操が始まる。
世話役の木下文夫さん(67歳)「僕はまだまだ新米。6000回以上達成者が一杯いますよ」
伝統あるラジオ体操会が一度だけ途絶えそうになったことがある。1995年1月阪神淡路大震災。
それでも震災四日目には復活し現在に至る。震災直後の火災を記録した映像が残っている。
「記録することは大切なことだ」元会長:山中敏夫さん(88歳)の証言が重い。
「一面の焼け野原、震災は戦災の再来だった」そう語る頼廣安子さん(83歳)は「焼夷弾の雨の中、妹の手を引いて逃げ回った」
日のことを昨日のことのように憶えている。握り締めた手の温みと鼻に付く焼け焦げの臭い…。
兵庫区の人口はいまだに戻らず、町には高齢者が目立つ。震災から10年を契機に兵庫モダンシニアファッションショーが開かれ
てきた。毎年12月に様々な人々が思い思いのファッションでステージに立つ。
映画はショー本番までの半年を追う。神戸芸術工科大学の見寺貞子教授(60歳)は元大手百貨店のバイヤーだった。
震災を経て大学に移り、人間とファッションの好ましいあり方を追求してきた。「ファッションショーは、教えるというより学ぶ
ことの多いライフワークだ」と語る。「お年寄りたちはめちゃ元気。元気をもらうというより元気を吸い取られるよう」と笑う。
出演メンバーは多士済々。仲良し三人組の男性陣(75歳78歳79歳)は生粋の神戸っ子だ。
女性陣のリーダー頼廣さんは言う。「男性と違い女性はエエカッコしない。皆あけすけ。でも諍いもあったり…。だって人間だもの」
仲間の春次子さん(83歳)は震災復興住宅で独り暮らし。月二回開くふれあい喫茶では、朝早く起きて毎回卵100個を茹でる。
行政などの支援があるとはいえ、実際に切り盛りするのは住人である高齢者自身だ。
下釜誠幸さん(76歳)は長崎出身。原爆投下を体験した。「目の前に太陽が現れたみたい」
ファッションショーには障害のある人たちも参加する。隠さない、構えない、飾らない。シビアだが温かい。
彼らは自分という衣もさらりと脱ぎ捨てて闊達自在。飄々洒脱。そこには、歳を重ねたものが持つ知恵と豊かさが宿っているようだ。
夏から秋へ、それぞれの時間を生きる人々の姿が重なって…。2015年12月6日、兵庫公会堂。
第11回兵庫モダンシニアファッションショーが始まった。ささやかなハレのステージ。
ショーの翌日。会下山公園山頂広場には、変わらぬラジオ体操会のメンバーの姿があった。ただ、夏とは違い未だ夜明け前で暗い。
前日ショーに参加した木下さんは二日酔みたい。そこにはショーの裏方を務めた見寺教授や学生達の笑顔もあった。
    

スタッフ

監督/撮影/編集/製作:田中幸夫
助監督/技術統括:北川のん 
撮影協力:籔田政和、桜田純弘、落合温史
企画協力:見寺貞子、山田哲夫、元木康晴 
音効:吉田一郎、石川泰三 
題字/デザイン:東學 
企画/製作/配給:風楽創作事務所 
配給:オリオフィルムズ

キャスト

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