トスカーナの贋作
2010年カンヌ国際映画祭 主演女優賞受賞(ジュリエット・ビノシュ)
2010年/フランス・イタリア合作/カラー/106分/ 配給:ユーロスペース
2011年08月10日よりDVDリリース 2011年2月19日より 渋谷・ユーロスペースにて全国順次ロードショー
(C)Laurent Thurin Nal / MK2
公開初日 2011/02/19
配給会社名 0131
解説
イタリア、南トスカーナ地方の小さな村。講演に訪れたイギリスの作家がギャラリーを経営しているフランス人女性に出会う。作家の新作のテーマでもある、芸術におけるオリジナルと贋作の問題について議論を交わす二人は、カフェの女主人が彼らを夫婦だと勘違いしたのをきっかけに、あたかも長年連れ添った夫婦であるように装い、美しい秋のトスカーナをめぐる。
しかし彼らがゲームのように楽しんできた関係は、時間を経るにしたがって次第に変化していき、彼らの心のなかにさざ波が広がっていく。女は偽りの関係の揺らぎから抜け出そうとし、男は現実の世界を堅持しようとする。さらに登場人物、そして我々観客までもが、何が真実で何が偽物なのかの境界線を失っていくのだ。映画の終わりとともに、夜9時の鐘の音がなるまでは…。
『友だちのうちはどこ?』(1990)、『そして人生はつづく』(1992)、『桜桃の味』(1997)ほか数多くの名作によって、イラン映画の魅力を世界に知らしめた巨匠アッバス・キアロスタミが母国イランを離れて初めて撮った長篇劇映画『トスカーナの贋作』は、一見、男と女の出会いをきわめてシンプルに描いたロマンティックなラブ・ストーリーである。
しかし、「Copie Conforme」=「認証された贋作」という原題がさりげなく暗示するように、これまでのキアロスタミ作品と同様に、一筋縄ではいかない、深い含蓄と陰翳に富んだ、虚実ないまぜの魔術的ともいえる物語世界に見る者は魅了されてしまう。
イタリア、南トスカーナの小さな町アレッツォで、「贋作」という著作を刊行したばかりのイギリスの作家ジェームズ・ミラー(ウィリアム・シメル)の講演が行われている。講演を聞きに来ていた女(ジュリエット・ビノシュ)は空腹の息子にせがまれ、途中で外に出るが、その際に、会場にいた翻訳者にそっとメモを手渡す。その後彼女は、息子に「電話番号を教えていたのは、ジェームズと恋人同士になりたいから?」「目がハートになってたよ」とからかわれる始末。しかし、メモが功を奏し、自分の経営するギャラリーにジェームズを招き入れた彼女は、近くにある中世の遺跡や美術品の宝庫である美しい町ルチニャーノへドライブに誘う。
冒頭の登場シーンとは打って変わって、ジュリエット・ビノシュは、大胆に胸の谷間を誇示するドレスを身につけ、あからさまな“誘惑モード”で迫るので、微苦笑を誘う。このように、キアロスタミは、ユーモアをまじえながら、検閲が厳しい自国イランではなしえなかったエロティックな表現を、随所で試みており、まさに新境地といえよう。
イタリア独特のやわらかな陽光が画面をすみずみまで満たし、車窓から見える泰西名画から抜け出たような糸杉が並ぶ景観は、目に染み入るほどに美しい。しかし、車中で交わされる本物と偽物の定義をめぐる果てしない議論が、二人の間に奇妙な苛立ち、とげとげしさを生じさせてしまう。
議論に疲れ果てた彼らはカフェに入るが、そこで、二人の関係に大きな変化が訪れる。
突然、語っているそれぞれの顔を正面から大写しになり、キャメラは、切り替えしを重ねながら、その表情が徐々に変化する様子を克明にとらえ続ける。観る者は、ほのかな胸騒ぎを覚えるが、同時に、このような正面からの顔のアップの切り替えしこそは、小津安二郎によって完成された技法であることに気づくのである。
キアロスタミは、小津安二郎の生誕100年を記念した『5 five〜小津安二郎に捧げる』(2003)を撮っているが、この小津独特の手法を意識的に活用したのは、本作が初めてであろう。しかも、小津の切り替えしは、対話者同士の親密な関係を証し立てるのに対し、キアロスタミの映画で駆使されるそれは、アイロニカルなニュアンスを帯び、二人の間に横たわる隔たりそのものを露呈させてしまうのである。
「贋作」のアイデアをどこで得たかと問われ、ジェームズは、シニョリーア広場で、奇妙な親子を眺めているうちに思いついたと答える。と、彼女は突然、涙を浮かべ、「他人の話じゃないわ」と言う。その親とは彼女自身だったのか? ジェームズは動揺し、ちょうど携帯が鳴ったため外に出る。その間に、二人を夫婦と勘違いしたカフェの女主人は「まるで、貴方を口説いているみたいにみえるわ。いい旦那ね」と呟き、彼女は、あえて否定もせずに、長年、連れ添った夫婦のふりをし続ける。
ここからのジュリエット・ビノシュのかすかな、しかし決定的な変貌ぶりがすさまじい。彼女は戻ってきたジェームズに「女主人が私たちを本当の夫婦と思ったみたい」と告げ、彼も「僕たちはお似合いなんだね」と答えるが、以後二人は、あたかもゲームの規則を愉しむかのように、偽装した゛夫婦゛を演じ続けることになるのだ。
最初は、ジュリエット・ビノシュのほうが、確信犯的にこの<共犯幻想>のゲームを仕掛け、ジェームズも、仕方なくその遊戯に付き合っていくうちに、次第にぬきさしならない深みにはまっていく。
アッバス・キアロスタミは、もともと、<本物>と<贋物>、<真実>と<虚構>という主題にオブセッションのように深く魅せられた映画作家である。とくに映画好きの青年がイランの有名映画監督マフマルバフの名前を騙り、詐欺罪で逮捕された実際の事件を素材にした初期の代表作『クローズ・アップ』(1990)はその典型であろう。キアロスタミはこの作品で、ドラマ部分を当事者たる青年自身に事件を再現させ、裁判シーンはドキュメンタリーとして仮構するという仕掛けを施したが、本物のマフバルバフ監督自身が画面に登場するや、ホンモノとニセモノ、フィクションとドキュメンタリーの境界線が一挙に消失してしまうところが最大の魅力であった。
『トスカーナの贋作』も、<愛>というエモーションをめぐって、このキアロスタミならではのテーマを重ねあわせ、変奏させた作品といえるだろう。
たとえば、二人が、結婚式を挙げたばかりの若い夫婦を見ながら、結婚生活への幻滅を口にし、語気荒く言い争うシーンは、まるで、長い倦怠期を経て深刻な離婚の危機にある中年夫婦を描いたロベルト・ロッセリーニの名作『イタリア旅行』を彷彿させる。
さらに、十五年前の新婚旅行で泊まったとされるホテルの一室で、往時を回想する二人の奇妙にちぐはぐな会話は、まるでアラン・レネの『去年マリエンバートで』における捏造されたかもしれない過去の出会いの記憶を反芻する男女の謎めいたダイアローグのようでもある。
いったい、二人は、どこまで偽りの夫婦を演じているのか、どこまでが真性の感情なのかが、次第に不分明になってくる。二人が鏡に映る自分をじっと見つめるシーンが際立って対照的なのも興味深い。女はリストランテの化粧室で、十五年連れ添った妻に完璧になりおおすべく、嬉々としてルージュを塗り、イヤリングをつける。一方で、ジェームズはホテルの鏡に向って根源的なアイデンティティの不安を感じたかのように、困惑の表情を浮かべるのである。
『トスカーナの贋作』を見終えると、ある眩暈のような感覚に襲われるだろう。それは、この作品で、初めて男女の<愛>を明確な主題にしたキアロスタミが、この普遍的な感情に支配された世界においては、オリジナルとコピーという対立概念はもはや存在しないというきわめてシンプルな<真実>を語っているからである。
主演のジュリエット・ビノシュはこの作品で初の2010年カンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞、大女優としての貫禄の演技と、一方でキアロスタミの魔術にかかったような、剥き出しの演技とを共存させ見事大賞を手にした。
ジェームズを演じるウィリアム・シメルは、イギリスのオペラ歌手というキャリアからこの難しい役に挑み、ビノシュ演じる女性の鏡のような存在のジェームズを演じきっている。
また、美しい秋のトスカーナを流麗なカメラでとらえつつ、その登場人物の感情のブレを子細に写し撮ったのは、『家の鍵』などのイタリアの名カメラマン、ルカ・ビガッツィ。キアロスタミ作品とは初のコラボレーションとなる。
ストーリー
出会い
イタリア、南トスカーナ地方の小さな村。
その村の講堂で、本物と贋作についての本を発表したジェームズ(ウィリアム・シメル)の講演が始まる。
「世に提示してみたかった “本物”の価値を証明するという意味で、贋作にも価値があると」
その講演を聞きに来ていた一人の女(ジュリエット・ビノシュ)と息子。息子が空腹を訴えた為に、講演を途中で抜け出し、ハンバーガーショップに入ることに。そこで、「電話番号を教えてたのは、あのジェームズと恋人同士になりたいから?」、「目がハートでウットリしてた」と息子にからかわれ、本の事で聞きたいことがあっただけで、そんなつもりじゃないと女は怒る。
しかし、女が経営するギャラリーにジェームズが訪れ、二人は再会を果たす。
「面白い場所へ連れてってあげるわ」
「あぁ、でも9時までには戻らないと列車に遅れる」
トスカーナのモナ・リザ
街を出た二人は、ルチニャーノに向かう車の中で“妹夫婦”“コカ・コーラ”“糸杉”といった様々なものを引き合いに出しながら、見方によって変化するモノの価値について互いの自論を戦わせる。その後も、歩きながら“哲学者な息子”について、美術館では“トスカーナのモナ・リザ”と呼ばれる一枚の贋作から、本物と贋作についての議論を繰り広げる。「ダ・ヴィンチの<モナ・リザ>でさえ、モデルとなったジョコンド夫人の複製にすぎない」
カフェでの変化
議論に疲れた二人はカフェに入り、女はジェームズに本のアイデアはどこで得たのか、と質問する。ジェームズはシニョリーア広場で、ある奇妙な親子を眺めているうちにアイデアを得たと答えるが、そのうちに女が突然泣き出してしまう。
「他人の話じゃないわ・・・」
気まずくなってしまったジェームズは電話が掛かってきたからと、外へ出て行ってしまう。
その間に、女はカフェの店主から「いい旦那ね」とジェームズと夫婦関係にあると勘違いされたことから、“夫ジェームズ”に対しての愚痴を話はじめる。
「彼の興味は、自分と仕事だけなのよ」
「でも、日曜日の朝だってのに彼はあなたを連れ出して、楽しいことをたくさん話して聞かせてる。 まるで口説いてるみたい」
電話を終え帰って来たジェームズに、女は店主から夫婦だと勘違いされたのだと嬉しげに話す。そうして、ここから二人はゲームを楽しむように、長年つれ添ったかのような“夫婦”としての関係を演じていく。「僕らはお似合いなんだね」
“夫婦”の会話
「家族には家族の生活、僕には僕の生活」
「あなたも息子も、自分のために生きてる。私を踏み台にしてね。」
「最後に三人そろって食事を取ったのはいつ?」
こうして“夫婦”を演じながら会話を重ねていく二人であったが、その前で愛を誓い合うと永遠に幸せになれると言われている<命の木>の前で、結婚式を挙げたばかりの若い夫婦を目の当たりする。ジェームズは、幻想の“夫婦”関係を楽しむ自分たちに急に虚しさを覚えてしまい、苛立ちを隠せなくなってしまう。
「最初が甘いほど、あとの現実は苦くなる」
そうと分かりつつも二人は再び幻想の中へと戻っていく。しかし、例えそれが幻想であったとしても“夫婦”としての関係に“変化”は不可避なものであり、先程までと全く同じようには演じられなくなっていた。微妙なズレを抱えたまま二人はある広場に行き着き、中心に据えられている彫像の解釈について議論を交し合うが、互いの考えを理解しようとせず、互いを非難し合ってしまう。
「大事なのは作品の技術や評判じゃない。その見方のはずでしょ?」
「君の話を聞いてると嫌いになるよ。芸術も本物も偽物も、この彫像も君のことも何もかも」
女は自分の考えを証明するために周りの人間に聞いてくると、近くにいた老夫婦に話しかける。そして、ジェームズのもとに老夫婦を連れて来て、あの彫像の解釈を聞かせて欲しいと促す。老夫婦の奥さんが話し始めたが、それは女が意図する答えではなかった。そうして、奥さんと女が話している間に、老夫婦の夫の方がジェームズと女の微妙な心のズレに気付き、ジェームズに助言をしたいと話しかる。
「おそらく君の奥さんが求めてることは、そっと肩を抱かれて君と並んで歩くことだ」
線を引く鐘
空腹の二人は食事をとろうとレストランに入る。しかし、ウェイターは何やら忙しそうでなかなか注文を取ろうとしない。その間、女は化粧室に行き、互いにうっすらと感じている微妙なズレを埋めるために魅力的な“妻”になろうと、イヤリングを付け、真っ赤な口紅を引いて戻ってきた。しかし、注文したワインは不味(まず)く、更に後ろの庭では先程<命の木>の前で会った新婚の二人とそれを祝う人々がパーティーを楽しんでいた。ジェームズは苛立ちが最高潮に達し、女に当たり、責め立て、店を出ていってしまう。
「すまない、15年も夫婦を続けて! 僕が存在して!」
女は仕方なく後を追うと、ジェームズは表で静かに待っていた。レストランから持って出てきたパンをジェームズに渡し、そのまま一人で教会へと歩いていってしまう。少し距離を空けて歩く二人。ジェームズは女が教会の中にいる間、渡されたパンを齧(かじ)りながら待った。女が出てきて、階段に腰掛けると、ジェームズは本当の妻を労(いた)わるように静かに謝った。穏やかに“夫婦”の関係を築き直そうと、二人はお互いを許し合い、寄り添う。そして、女は唐突にジェームズに質問する。
「私たちが結婚式の夜に泊まったホテルを覚えてる?」
そう言うと、女は近くの安ホテルに入っていき、「15年前に夜をここで過ごしたの。もし空いてたら見せてもらえるかしら?」と受付係に言うと、そのまま部屋に通されていった。戸惑いながらもジェームズは後に付いて行く。女はベッドに寝そべりながらジェームズに結婚式の夜のことを覚えているかと聞くが、ジェームズは覚えていないと答える。
「私は覚えてるわ。あなたは、あの頃と少しも変わらない」
女は“夫婦”の関係をゲームに留めておけなくなってしまっていた。
「私たち、もっと互いの弱さを許し合えば、寂しくないわ」
「行かないで。ここに居て…」
ジェームズは一人、自分が幻想を求めてしまっているのかどうかを見定めるように、洗面台の鏡の前に立ちながら、そこに映る素知らぬ女の“夫”を演じる男を見つめる。
「言ったはずだ。…9時までに戻ると」
教会の鐘が、街中にその音色を響かせ、夕暮れを告げている・・・。
スタッフ
監督:アッバス・キアロスタミ
キャスト
ジュリエット・ビノシュ
ウィリアム・シメル
LINK
□この作品のインタビューを見る□この作品に関する情報をもっと探す