原題:Sauve qui peut(La Vie)

1979年/フランス=スイス/98分/カラー/ヴィスタ/字幕翻訳:寺尾次郎 配給:ハプネットピクチャーズ

2005年11月25日より<限定版>DVDリリース 2003年4月5日よりシネセゾン渋谷にてレイトショー

公開初日 2003/04/05

配給会社名 0187

解説


この映画はローザンヌあるいはジュネーブ近辺とスイス側のレマン湖畔の田舎町でロケされているが、とりわけレマン湖畔の美しい自然はこの映画以降のゴダール作品に繰り返し現れることになる。こうした意味では、この映画は、活動拠点をスイスに移した「スイスの映画監督」ゴダールの再出発点とも言えるだろう。
 ゴダールは1972年の『万事快調』以後、完全に商業映画のシーンから離れていたため、1980年に突然発表された『勝手に逃げろ/人生』は、ゴダールの商業映画への復帰として人々に衝撃を与えたのだが、もちろん、商業映画と言っても、ゴダールならではの辛辣な批判精神が発揮されていることは言うまでもない。

 70年代にゴダールがアンヌ=マリー・ミエヴィルと共に作った『パート2』や『うまくいってる?』などのかなり実験的な作品で執拗に追及されてきた<コミュニケーション><労働><性><権力><家族制度>といった問題はここでも取り上げている。

『勝手に逃げろ/人生』という奇妙な表記が示すように、この映画は二重の題名を持っている。ゴダールは二つの題名のモンタージュにより、観客に第三の題名を示唆しているのだという。なお、「勝手に逃げろ」の原題に当たる”Sauve qui peut”は、もともと、船の遭難の際、指揮官に当たる船長が宣言する「各自独力で避難せよ」という緊急避難指令のことだ。

 また、この映画ではゴダールのクレジットは監督ではなく<構成者(作曲者)>となっている。おそらく、この作品以後、ゴダールは<素材>としての<物語>や<音>や<映像>の単純な<構成物>としての<映画>という概念を積極的に模索し始めるのだ。
 この映画の原案はゴダール自身によるものだが、脚本はアンヌ=マリー・ミエヴィルとジャン=クロード・カリエールが書いている。『三十歳の死』などで監督としても知られるロマン・グーピルがアート・ディレクションを担当し、撮影は今や世界一流の撮影監督として名高いレナード・ベルタとウィリアム・ルプシャンスキーが共同で担当した。また、録音はスイス映画で知られるリュック・イェルサン、音楽はガブリエル・ヤレドのオリジナル・スコアが使われている。

この映画はたびたび、コマ落としによるストップモーションを交えたスローモーションの持続が見られるが、その瑞々しい映像の躍動感には誰もが感動を覚えるだろう。映像の運動が生まれる瞬間を、見つめ直すこうした手法は、明らかに、テレビ作品『ふたりの子供のフランス漫遊記』でのスロー再生の実験を踏まえたものだ。
また、この映画の中では旧チェコスロヴァキアの亡命作家ミラン・クンデラの小説『笑いと忘却の書』(1978年)の一説が引用されるほか、マルグリット・デュラスの映画『トラック』(1977年)への言及があり、画面には登場しないデュラス自身の声が、デュラス風に<引用>されている。音楽的構成という点では、クンデラの小説の影響を、映像と言葉の関係、不在の映像に対する声の自律性という点では、デュラスの映画の影響を、この映画から読み取ることができるだろう。 

映画の主人公は、ドゥニーズ・ランボー(ナタリー・バイ)と、その愛人でテレビ局に勤めるポール・ゴダール(ジャック・デュトロン)と、娼婦のイザベル・リヴィエール(イザベル・ユペール)の3人だ。
この映画は、<−1=勝手に逃げろ>、<0=人生>という導入部に続く、四つの章で構成され、<1=想像界(精神分析用語で、鏡像としての他者のイメージを媒介として自
己のイメージを想像するという不安定な世界像のこと)>では都会を捨て田舎で生活しようとするドゥニーズの生き方が、<2=恐れ>では都会を離れられず、安定できないポールの行き方が、<3=商売>では、田舎を捨て、身体を売って都会で生活しようとするイザベルの生き方が、<4=音楽>では三者の合流が描かれる。それぞれ新たな「人生」に向けて「勝手に逃げ」る人物の行き方には、あらゆる意味で70年代的な問題意識が反映されている。
「勝手に逃げろ/人生」は、<ゴダールの70年代>を総括すると共に、来たるべき<ゴダールの80年代>を準備したという意味で、ゴダールの足跡の理解に欠かせない重要作品であり、現在もなおその衝撃性は全く失われておらず、<映画表現>の潜在的な可能性を強く示唆している。

ストーリー

テレビ番組の製作に携わるポール・ゴダール(ジャック・デュトロン)はホテルからドゥニーズ・ランボー(ナタリー・バイ)に電話しようとする。ドゥニーズはポールの同僚で、別れた恋人だ。ポールはホテルを出て車に乗る。一方、ドゥニーズは自転車でレマン湖畔の田舎を走っている。彼女はかつて活動家だった旧友ミシェル・ピアジェ(ミシェル・カサーニュ)と再会する。ミシェルは今は地方新聞を発行している。

1《想像界》ドゥニーズは小説ともエッセイとも日記ともつかない文章を書こうとしている。ドゥニーズは田舎から、都市のテレビ局のポールに電話し、自分が2年間暖めてきた、デュラスの出演する番組の件について話す。ドゥニーズはミシェルに雇ってもらうことにする。ドゥニーズは仕事を済ませるため自転車でふもとの町の駅まで行き、そこからテレビ局のある都市に戻る。

2《恐れ》ポールはデュラスの映画『トラック』をビデオで学生に見せるが、デュラス本人は姿を見せない。ポールは11歳の誕生日を迎えた娘のセシル(セシル・タネール)に会いにくる。ポールはテレビ局の前でドゥニーズと再会するが、デュラスがいないのを知ったドゥニーズはポールを激しくなじる。ポールは別れた妻のコレット(ポール・ミュレ)とセシルと一緒に食事し、セシルとポールはクンデラの『笑いと忘却の書』を朗読する。だが、コレットは小切手を、セシルはプレゼントをポールに要求し、気まずい雰囲気になる。ドゥニーズと喧嘩別れしたポールはチャップリンの『街の灯』を見るため列に並んでいると娼婦イザベル・リヴィエール(イザベル・ユペール)に声をかけられ、彼女を買う。 

3《商売》イザベルは客のさまざまな性的嗜好に応えて金を得ている。イザベルは、売春を仕切る二人組のヤクザに捕まり、勝手に客を取った罰として車に引き込まれ、尻を叩かれる。イザベルが郊外にある漫画家の女友達のアパートに帰ると田舎から出てきた妹(アンナ・バルダッチーニ)がいる。イザベルは金がいるという妹に売春について教える。 イザベルはぺルソンヌ氏(フレッド・ぺルソンヌ)や、実業家風のボス(ロラン・アムステュツ)に買われ、倒錯的な性的ファンタジーを演じる。イザベルはアパートを借りるため、ドゥニーズに電話する。アパートを借りる相談をするためドゥニーズのアパートを訪れたイザベルはポールが口論の果てにドゥニーズに飛びかかり、床に倒れるのを目撃する。 

4《音楽》ドゥニーズは車の中でイザベルにアパートの鍵を渡して別れた後、駅でポールに別れを告げ、自転車で田舎に戻る。都会に戻ったポールは街でコレットとセシルに偶然出会った直後、イザベルの妹を乗せたヤクザの車にはねられて死んでしまう。

スタッフ

監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:アンヌ=マリー・ミエヴィル、ジャン・クロード・カリエール
撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー、レナート・ベルタ
撮影助手:ジャン=ベルナール・ムヌー
録音:リュック・イェルサン
録音助手:ジャック・モモン、オスカル・ステラヴォックス
音楽(作曲・演奏・指揮):ガブリエル・ヤレド
編集:アンヌ=マリー・ミエヴィル
編集助手:ジャン=リュック・ゴダール
芸術監修(第一助監):ロマン・グーピル
第二助監:フランシス・カミュ
製作主任:ミゲル・スタッキー
製作:アラン・サルド、ジャン=リュック・ゴダール

キャスト

イザベル・リヴィエール:イザベル・ユペール
ポール・ゴダール:ジャック・デュトロン
ドゥニーズ・ランボー:ナタリー・バイ
ボス(顧客2):ロラン・アムステュツ
セシル(ポールの娘):セシル・タネール
イザベルの妹:アンナ・バルダッチーニ
ヤクザ風の男2:ロジェ・ジャンドリ
ペルソンヌ氏(顧客1):フレッド・ペルソンヌ
秘書:ギ・ラヴォロ
毛皮の襟巻の女:二コル・ジャケ
ゴダールに迫るポーター:ドレ・デ・ローザ
オペラ歌手:モニーク・バルシャ
ミシェル・ピアジェ:ミシェル・カサーニュ
コレット(ポールの前妻):ポール・ミュレ
農場の娘:カトリーヌ・フライブルクハウス
ヤクザ風の男1:ベルトラン・カザシュス
映画館の客:エリック・デフォス
映画館の客:マリ=リュス・フェルベール
コールガール:二コル・ヴィヒト
フィルム編集者マック:クロード・シャンピオン
バイクの男:ジェラール・バターズ
アンジェロ・ナポリ:アンジェロ・ナポリ
サッカー・コーチ:セルジュ・マイヤール
イザベルの女友達:ミシェル・グレゼール
顧客3:モリース・ビュファ
カフェの女給:イレーヌ・フレールシェーム
文句を言う映画ファン:セルジュ・デザルノー
2人の男に責められる女:ジョジアーナ・イートン
デュラスの声:マルグリット・デュラス

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