原題:鬼子來了(DEVILS ON THE D00RSTEP)

2000年カンヌ国際映画祭グランプリ

2000年/中国/パートカラー/ドルビーSRD/ビスタ/2時間20分 提供:GAGAアジアグループ、徳間書店、PUG P0INT JAPAN 配給:東光徳間

中国映画の全貌 2007にて上映::http://www.ks-cinema.com/schedule.html 2002年11月22日よりDVD発売開始 2002年4月27日(土)より <渋谷・シアター・イメージフォーラム、新宿・武蔵野館3>ほか GWロードショー!

公開初日 2002/04/27

配給会社名 0052

公開日メモ 『鬼が来た!』は『太陽の少年』で瑞々しく監督デビューを果たしたチアン・ウェン監督の入魂の第2作だ。

解説


『鬼が来た!』は『太陽の少年』で瑞々しく監督デビューを果たしたチアン・ウェン監督の入魂の第2作だ。
第2次世界大戦末期、日本占領下の中国・華北の村で対峙する村人と日本兵。最初のうちは互いに疑心暗鬼だったものの、やがて腹を割る仲へ変化する様をユーモラスに描いたその後で、唐突に発露される狂気を描く。戦時における人間性の闇を突きつけた問題作だ。日本人には痛みなくして見ることのできない作品だが、仮借なく描かれる当時の日本人の精神から目をそらしてはならないし、同時にここで描かれているのは戦争と人間という、より広く深い普遍であることを見逃してはならない。
『紅いコーリャン』『芙蓉鎮』の名演で知られる中国のトップ俳優、チアン・ウェンは、自分の本業は俳優であり、映画監督としては撮りたいものだけ撮る、と言いきる。だが、文革時代の青春を生き生きと描いたデビュー作『太陽の少年』は1994年ヴェネチア国際映画祭主演男優賞、米TIME誌年間第1位を獲得と、世界中から賞賛された。そして本作では2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。世代ごとで語られがちな中国映画の枠をはるかに越え、世界屈指の監督であることを、たった2作で証明してみせたのだ。
1995年に『太陽の少年』公開キャンペーンで来日した時、すでにチアン・ウェンの頭の中では本作の企画が進行していた。上野アメ屋横丁で第2次世界大戦時に日本兵が着ていた軍服を入手したり、日本軍の軍服写真集も購入。また、日本刀を研究する姿も目撃されている。のちに、このアメ横で買った軍服をモデルにして撮影用の軍服を作らせた。時代考証については中国国内の図書館から多くの文献や映像資料を収集した。
原作であるユウ・フェンウェイの短篇「生存」をチアン・ウェンは雑誌掲載時に読んでいたが、映画に生かされたのは「2人の捕虜が送られてくる」という部分のみ。残りはチアン・ウェンと3人の脚本補(原作者ユウ・フェンウェイも含む)との共同作業を経て新しく作り上げられた。脚本作業の開始は98年3月半ぱで、7月には完成した。
ロケーションについてのチアン・ウェン監督のイメージは明快だった。万里の長城近くの湖のある村。5班に分かれたスタッフが国内を奔走し、河北省唐山近くにふさわしい村を見つけた。そこはチアン・ウェンが6歳まで過ごした村の近くだった。しかし、そこを作品にふさわしい場所にするためには大掛かりな修正が必要だった。山の頂上にある巨大な岩の爆破。付近の2つの村の100軒ほどの集合家屋を移転すること。工事用道路の建設。しかも、撮影後はすべて元通りの状態に戻さねばならなかった。
撮影自体には5ヵ月を要した。使用した約500万本の白黒フィルムのうち5万本は、イーストマン・コダック社がクリスマス休暇に特急便で送ってくれたものだ。残りは、中国中の白黒フィルムの在庫を使い尽くして当てた。
主演は本作の監督チアン・ウェン、そして日本兵に、昨年『独立少年合唱団』でキネマ旬報助演男優賞ほか数々の賞に輝き躍進めざましい香川照之。また、出演している日本兵はすべて日本人である。主だった役は日本で徹底したオーディションを行ない、その他は中国に住む日本人留学生から選抜した。
撮影は『紅いコーリャン』『太陽の少年』の名キャメラマンで現在はハリウッドで活躍中のクー・チャンウエイ。音楽には中国のロック・シーンのカリスマ的存在、ツイ・チエンが参加している。
なお、原題『鬼子來了』の「鬼子」とは、外からやってくる悪しきものの意味で、外国人に対する憎悪をこめた呼称として使われている単語。

ストーリー


第2次世界大戦が終結に向かっていた1945年の旧正月直前。舞台は中国・華北の寒村、掛甲台(コアチアタイ)村。深夜、青年マー・ターサン(チアン・ウェン)のもとに「私」と名乗る男がやって来て、マーに拳銃を突きつけ、麻袋を2つ押しつける。麻袋の1つには日本兵が、もう1つには通訳の中国人が入れられていた。「私」は、それを晦日まで預かるよう脅し、供述書も取れと命じて去っていく。
日本海軍の砲塔が建つ掛甲台村で日本兵を家に置くなど危険極まりない行為だ。村人たちは寄り集まり、殺してしまうか、日本軍に引き渡すか、喧々轟々、話しあう。だが、晦日まであと一週間もない。それまで2人を隠すのが最善策ということに落ち着く。
日本兵の花屋小三郎(香川照之)は囚われの身になったことを日本軍人として恥じ、一刻も早く殺せとわめき立てるが、命が惜しい通訳のトン・ハンチェン(ユエン・ティン)はとっさに機転をきかせ、花屋の言葉を勝手に友好的な言葉に翻訳して村人に伝える。
「お兄さん、お姉さん、新年おめでとう!」
しかし約束の時間になっても、「私」は姿を見せない。そのまま時だけが流れていく。村の食糧も底をつきはじめ、麻袋の2人を生かしておくことに村人の不満が噴出する。花屋が、機会あれば何とか日本軍と接触を図ろうとしているのも気がかりだ。だが2人を始末する役をみんなで押しつけあって埒があかない。結局、マーが手を下すことになる。
マーは剣の達人、リウ老人を探し出し、2人の始末を頼む。だが、リウ老人はあっけなく失敗する。マー自身は人を殺すことなどとてもできない。仕方なく、マーは万里の長城でこっそり2人を養いつづけるが、やがてそれも村人の知るところとなる。もはや2人を預かってから半年が経ち、村には日本陸軍もやって来た。いよいよどうにかしないと村人全員が殺されてしまう。
一方の花屋は当初の自暴自棄が薄れ、村人たちの心ある世話に感謝し、生き残る意欲を取り戻していた。彼は村人に提案する。私を助け半年間世話してくれた礼に、穀物2台分を進呈するよう日本軍にかけあう、と。その約束を文書にし、みんなで栂印を押す。花屋と通訳のトンと一緒にマーと村人数人は日本陸軍の元に行く。
花屋の上官、酒塚隊長(澤田謙也)は、村人に囚われた挙句におめおめと生き残った花屋を激しく叱責するが、花屋が村人と交わした約束を知り、「我々日本兵は信用を重んじる」と、さらに褒美として4台分を加え、6台分の穀物を村に贈ることに決める。
その夜、村人全員と、陸海軍の兵士たちが集まって宴会が開かれた。おおいに飲み、食べ、歌う、楽しい宴。だが酒塚ひとり、無礼講の雰囲気に染まらず無表情のまま鋭い目つきを光らせている。と、突然花屋に、覚えた中国語を言わせる。
「お兄さん、お姉さん、新年おめでとう!」
「あなたはおじいさん!私はあなたの息子です!」
大いに湧く人々。が、酒塚は花屋を腐敗分子と断定し、村人に花屋殺害を命じる。「さあ誰か、この男を撃ち殺してください」。だが誰も名乗りを上げない。酒塚が銃を空に向かって一発放ち、一座は恐怖で静まり返る。酒塚は海軍の野々村に軍艦マーチを演奏させ、村人に詰め寄る。「お前たちは武器を隠し持っているに違いない。花屋をお前らに渡したのは誰だ?」と。そこに酔った村の男がしゃしゃり出て、「花屋を返したのだからもういいじゃないか」と、馴れ馴れしく酒塚の体を叩く。酒塚はその男に問う。「マーはどこに行った?花屋を預けた男を呼びに行ったのだろう?武器を携えて戻って来るのだろう?」。酔った男はなおも酒塚に気安い口調で言う。「そんなに怖がらなくてもいい」と。
その時、花屋の中で何かがはじける。形相を変えた花屋はその男へと突進して行った…。

スタッフ

監督・製作・共同脚本:姜文(チアン・ウェン)
脚本:尤風偉(ユウ・フェンウェイ)、史建全(シー・チェンチュアン)、述平(シュー・ピン)
撮影:顧長衛(クー・チャンウエイ)
音楽:崔健(ツイ・チエン)、劉星(リウ・シン)、李海鷹(リー・ハイイン)
録音:呉凌(ウー・リン)
編集:張一凡(チャン・イーファン)、フォルマー・ヴァイジンガー
美術:唐世云(タン・シーユン)

日本語字幕:寺尾次郎
字幕監修:刈間文俊

キャスト

マー・ターサン:姜文(チアン・ウェン)
花屋小三郎:香川照之
ユイアル:姜鴻波(チアン・ホンポー)
通訳トン・パンチェン:哀丁(ユエン・ティン)
ユイアルの義父:叢志軍(ツォン・チーチュン)
酒塚猪吉:澤田謙也
野々村耕二:宮路佳具
丸山通信兵:長野克弘
国民党兵士:呉大維(デビッド・ウー)

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