原題:APOCALYPSE NOW REDUX

これが、本物。今こそすべての人に

第14回東京国際映画祭特別招待作品::http://www.tiff-jp.net/ 2001年カンヌ国際映画祭出品

2001年8月3日全米初公開

2001年/カラー/字幕:戸田奈津子 配給:日本ヘラルド映画→boid

2016年4月16日よりシネマート新宿、30日、シネマート心斎橋にてロードショー 2004年1月17日よりシネ・リーブル池袋にてロードショー 2002年07月25日よりDVD発売開始 2002年07月17日レンタル開始 2002年2月2日より新春第2弾 [東京]日本劇場、[大坂]北野劇場ほか全国東宝洋画 系にてロードショー

(C)1979 Omni Zoetrope. All Rights Reserved.

公開初日 2002/02/02

配給会社名 0058

公開日メモ フランシスF.コッポラの魂ともいえる、「地獄の黙示録」。伝説の超大作が、この度コッポラ監督自らの手で編集され、53分もの映像が追加された。あの衝撃が、再びスクリーンによみがえる!

解説


2001年5月11日、カンヌ国際映画祭。1本の映画が大きな衝撃と共に上映され、8分間にもおよぶスタンディング・オベーションをもって迎えられた。そう、コッポラが22年の歳月を経て完成させた「地獄の黙示録・特別完全版」だ。1979年、この同じカンヌ国際映画祭にて発表され、「世紀の駄作」「前代未聞の大傑作」と物議をかもし、フォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」とグランプリ(パルム・ドール)を分け合ったオリジナルの「地獄の黙示録」に53分もの未公開映像を加え、全体的に再編集され完全復活した本作は、コンペ外の特別招待作品にも関らず、カンヌ国際映画祭で上映されたどの作品よりも強い衝撃を与え、高い評価を得たのだ。それは1975年11月まで湖る。
 主役の交代、脚本の変更…幾多の障害を乗り越え、76年3月1日、コッポラは妻と3人の子供と共にフィリピンへ乗り込んだ。オリジナル版の映画製作そのものが、映画と同じように幻覚的で恐怖に満ち、オペラを思わせる叙事詩的なものだった。コッポラは彼の力の絶頂期、「ゴッドファーザー」でアカデミー賞を獲得した監督としてこの作品の製作を始めたが、4か月と予定されたフィリピンでの撮影は、実際には15か月に及び、最終的に238日間て…、200万フィート(370時間分)のフィルムを撮影した。撮影は様々なトラブルに見舞われた。主役のマーチィン・シーンの心臓発作。誰もが予測しなかったほどの大きな体を抱えて、ロケ地に現れたマーロン・ブランド。フィリピンを襲った40年来で最大の台風。製作予算は、1600万ドルから3200万ドル(当時のレートで約70億円)に膨れ上がり、コッポラは個人資産の全てを抵当に入れ、超過の1600万ドルを調達した。編集作業は2年以上に及び、マスコミは、
こぞって「地獄の黙示録」はいつ完成するのかという記事を書きたてた。コッポラは回想する。「ウィラード大尉と同様、私も遠いジャングルを目指して、川を上り、答えを求め、カタルシスを渇望していた。我々はこの作品を、まるでア×リカ人がベトナムで戦争を起こしてしまったように、作ってしまったのだ。多すぎる人間をつれこみ、莫大すきる資金と機材をそこに持ち込んでだんだんと少しずつ、私たちは狂気に落ちていったのだ」
 こうして出来上がった「地獄の黙示録」は上述の通りカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。日本では翌1980年2月16日、有楽座ほか全国で拡大公開され、250万人を超える観客を動員し、興収34億円を超える大ヒットとなった。より官能的で、より面白く、より刺激的で、よりロマンティックに。このバージョンこそが、本物だ。それから20年の月日が経ち、旅先のロンドンでテレビ放映された「地獄の黙示録」を見たコッポラは、公開当時、あれほど奇妙で実験的と言われた「地獄の黙示録」が、今となってみると、とても普通で、結末がはっきりしないエンディングさえも普通に受け入れられる事に気付く。「時代がこの映画に追いついたんだ。公開時とは異なり、誰もこの『地獄の黙示録』を奇妙な映画とは考えない。今こそ、もっとテーマに焦点を当てて映画を再編集できると考えた。」
 1999年初秋、コッポラは、昔からの同僚であり、音の魔術師であるウォルター・マーチと「地獄の黙示録」を再編集する可能性について話し合った。マーチは語る。「本当を言うと、その話を聞いて僕は蹴著した。て…も2000年は、サイゴン陥落の25周年だったので、カットされたフランス農園での政治的な会話を加えるのに、丁度よいタイミングだと考えたんだ」。
2000年3月初め、二人の共同作業が始まった。編集時に抜きとられた”リフト”と呼ばれるフィルムではなく、”デイリー”(あるいは”ラッシュ”)と呼ばれる、125万フィートの膨大な未編集の生フィルムも含めて、すべてを編集し直し6か月かかって編集作業の全行程を終了。監督はいみじくもこう言っている。「皮肉なことに、新しいフッテージを加えたこのヴァージョンの方が、テンポのいい作品になった」。加えられた部分は、大きく言うと4つの部分に分けられる。1=フランス植民農園のエピソード、2=慰問に来ていたプレイメートとのその後のエピソード、3=マーロン・ブランドの出演部分、4=川上りする巡視艇のフッテージ、である。サーフィンのためにナパーム弾を撃ち込む一方で、赤ん坊を抱えたベトナム女性を救助するキルゴア中佐の矛盾、ガソリンと引換えにヘリの中でセックスに興じる兵士たち、そして女性キャラクターの登場…。オリジナルにはないこれらの部分が加えられたおかげで、「死」と隣り合わせにある「エロス」の部分が強調され、物語に深みとテンポを与えている。抽象的な存在だったマーロン・ブランド扮するカーツ大佐の姿もより明確となり、「裁きを求めるものは、いずれ敗れ去る」といった、全ての現実の戦争に当てはまる重要な言葉が語られていた事に観客はあらためて気付かされるだろう。
こうして、最新技術で大画面に蘇った迫力満点の映像・音響スペクタクルである「地獄の黙示録・特別完全版」は、CGに頼らない本物の映画製作の魅力を存分に堪能させてくれるのだ。
戦争におけるモラル、偽善、そして狂気…今、この時代だからこそ、人間の魂を揺さぶる。
おそらく、この特別完全版を見た人はオリジナル版が見たくなり、オリジナル版を見た人は、特別完全版が見たくなるだろう。それは、ウィラードの反復脅迫の心理と似ていなくもない。原案とされるジョセフ・コンラッドの「闇の奥」に有名な一節がある。「そこへ行くと戻りたくなり、戻るとそこへ行きたくなる」まさに、この心理こそが、コッポラがこの映画に込めた、戦争をやめてはくり返す、救いがたい人間の魂の奥深くに潜む、真実という
化け物のr闇の奥」なのかもしれない。”戦争の世紀”と呼ばれた20世紀が終わり、希望に満ち溢れていたはずの新世紀はたった1年もたたないうちに平和の幕を閉じてしまった。今、この映画が突きつけるものはあまりにも大きい。
なお、本作品はカンヌ国際映画祭でのプレミア上映後、全米、ヨーロッパほか世界各国では限定的に公開されているが、日本では異例の拡大公開が決定している。世界でも類をみない挑戦である。

ストーリー








「サイゴンか。クソッ、ここはまだサイゴンだ。」
ベトナム戦争真っ盛りのサイゴンの夏。陸軍情報省に所属するウィラード大尉(マーチィン・シーン)は、ある日、ホテルの一室で泥酔しているところを数人の兵士に半分拉致されるような形で、情報部の将官に呼び出され、ある特命を帯びる。カンボジアの特殊任務に赴いたはずのカーツ大佐(マーロン・ブランド)なる男が、軍隊の規律から完全に逸脱し、ジャングルの奥地のモンタゴナード付近の村で自らの牙城を築き、ア×リカ兵や外国人の傭兵、
そして村民まで巻き込んで、私兵集団を作り、まさに王のように君臨しているという。そして、その村では、無用な殺鐵が繰り返され、腐乱した死体、切り取られた生首が散乱し、酸鼻をきわめているというのだ。ウィラード大尉の任務は、「その大佐を”超法規的措置で”、つまり、あらゆる手段を講じても構わぬから抹殺せよ」というものだった。
「河川巡視艇(PBS)でナン川をさかのぼり、カーツ大佐のいるモンタゴナードへ向かえ」という特命を受けたウィラード大尉は、元タクシーの運転手だったという黒人のチーフ(アルバート・ホール)、ニューオリンズ出身の変わり者のコック、シェフ(フレデリック・フォレスト)、ブロンクス出身のまだ10代のクリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、そしてカルフォルニア出身の伝説のサーファーであるランス(サム・ボトムズ)からなる四人組の仲間とともに、巡視艇に乗り込んでいった。やがて一行は、川をさかのぼる途中で、ワーグナーの音楽を騎兵隊の進軍ラッパがわりにガンガン鳴らし、派手な戦闘を繰り返す異常なヘリ部隊の隊長、キルゴア中佐の軍団と出会う。キルゴア中佐は、カルフォルニアの出身て≡、三度の飯よりもサーフィンに目がなく、敵の銃弾がびゅんびゅん飛び交う戦闘のさ中だというのに、サーフィンのチャンピオンて…あるランスに浜辺でサーフィンをやってこいと、とんでもない事を言い出したり、ベトナムの村をナパーム弾で焼き払いながら村民の子供の命を懸命に救ったりする狂気の人物だった。ウィラード大尉一行は、そこを離れ、また川をさかのぼり、どんどん奥地へと向かっていく。機首を川に突っ込んで墜落したままになっている友軍の戦闘機。ベトコンて…はなく、猛毒のついた毒矢で襲ってくる原住民のイフガオ族。船が魔境へと進むたびに、異常な、神秘的な、そして狂気の世界が広がっていく。やがて、一行は、有名なロックのプロモーター、ビル・グラハム(本人のカ×オ出演)が催す慰問団に遭遇。仮設の巨大な舞台には、〈スージーQ〉が流れ、その曲に合わせてヘリから次々に下りてきたのは、兵士たちの垂挺の的、高嶺の花であるプレイボーイのグラビアを飾るプレイメートたちだった。まるでストリッパーのように、腰をくねらせ、妖艶な肢体を露出するプレイメートたち。しかし、興奮した兵士たちが舞台に躍り出て、コンサートは中断されてしまう。そんな混乱を尻目に、ウィラード一行は、また奥地へと向かっていった。やがて、巡視艇がいよいよカーツ大佐のい
るカンボジア領域に入った頃、ウィラード一行は、仏軍の兵士たちと遭遇する。彼らが案内してくれたのは、フランス人入植者が作り上げたという、まるで中世の荘園さながらの巨大な植民農園だった。食事に招待されたウィラードが、農園の家長に言われた言葉「われわれがなぜここに留まるのか?それは持っているものを守るために戦っているからだ。しかし、君たちア×リカ人は、大いなる幻想と実体のないもののために戦っている」それは、まさに自由という幻想のために戦うアメリカ、カーツ大佐という幻想を追っているウィラードの姿を象徴していた。
ついに、船はカーツ大佐が潜伏するという奥地のまた奥地へと忍び入る。それにつれ、ウィラード大尉は、次第に任務を超え、大佐への異常な固執にとらわれていくのだった。そして、ウィラードが密林の果てに見たものとは…。

スタッフ

監督:フランシス F.コッポラ
脚本:ジョン・ミリアス
撮影監督:ヴィットリオ・ストラーロ
ナレーション:マイケル・ハー
「特別完全版」の製作者:キム・オーブリー
共同製作:フレッド・ロス、トム・スタンバーグ、ゲイリー・フレデリクソン
プロダクション・デザイン:ディーン・タボラリス
編集、音響:ウォルター・マーチ
音楽:カーマイン・コッポラ

キャスト

ウィラード大尉:マーティン・シーン
カーツ大佐:マーロン・ブランド
キルゴア中尉:ロバート・デュバル
ルーカス大佐:ハリソン・フォード
フォト・ジャーナリスト:デニス・ホッパー
クリーン:ローレンス・フィッシュバーン
ランス:サム・ボトムズ

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