原題:Dust

だれか、私という物語を覚えていて欲しい。 『ビフォア・ザ・レイン』の奇才ミルチョ・マンチェフスキー監督が贈る、 人間の存在意義を壮大なスケールで描く感動作。

第58回ベネチア国際映画祭オープニング作品 第14回東京国際映画祭特別招待作品

2001年/イギリス=ドイツ=イタリア=マケドニア/124min/アメリカンビスタ/ドルビーSRD 配給:松竹

2003年03月21日よりビデオ発売&レンタル開始 2003年03月21日よりDVD発売&レンタル開始 2002年7月13日より恵比寿ガーデンシネマにて公開

(C)History Dreams/ena Film/Fandango 2001

公開初日 2002/07/13

配給会社名 0003

公開日メモ だれか、私という物語を覚えていて欲しい。『ビフォア・ザ・レイン』の奇才ミルチョ・マンチェフスキー監督が贈る、人間の存在意義を壮大なスケールで描く感動作。

解説



初監督作『ビフォア・ザ・レイン』で、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を含む10部門を独占、さらにアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされ、各国で30以上の賞を獲得するという鮮烈なデビューを飾ったミルチョ・マンチェフスキー。長い民族間の紛争の歴史を生きてきたマケドニア人の“血”を感じさせる世界観、愛を見つめる真蟄な眼差し、映画という媒体そのものへ向けらた実験的精神。その力強さと、何物にも似ていないオリジナリティは、新しい大器の登場を確信させ、世界がこの若き奇才の登場に熱狂した。
そして、批評家から絶賛されただけでなく、興行的な成功も収めたデビュー作から7年。ついに、待望の第2作『ダスト』が完成した。160冊以上の参考文献を当たり、脚本と準備に5年の歳月を費やした本作は、現代のニューヨークと100年前の革命時のマケドニアを交錯させて描く、マンチェフスキーの創作のベースともなる“ストーリーテリング”への思いを昇華させた渾身の作品である。ここに、生と死を巡る人類の永遠の疑問に、独創的かつ壮大な物語で挑んだ、一大叙事詩が誕生した。

2000年、ニューヨーク。借金に首が回らなくなった黒人の青年エッジは、押し入ったニューヨークのアパートで、その部屋の住人である老女アンジェラに逆に銃で脅され、彼女の話を無理やり聞く羽目になる。それは、真実とも作り話ともつかないある兄弟の物語だった。20世紀の初頭のアメリカ西部。同じ女性リリスを愛し、宿命のライバルとなった兄弟ルークとイライジャ。銃の名手の兄ルーク、聖書を引用する弟イライジャ。結局、リリスはイライジャを選び、結婚するが、ルークはそれでもリリスに心を残していた。やがて、理由もいわずルークは、アメリカを去り、動乱のバルカン半島に渡った。革命軍の指導者の首に賭けられた賞金を狙うバウンティ・ハンターとなって……。話の途中で発作を起こして倒れたアンジェラを病院に運ぶエッジ。彼は金貨の隠し場所を教える事と引き換えにアンジェラの話の続きを聞く。しかし、エッジはいつしか物語そのものに魅せられていく。兄弟の運命は?アンジェラと兄弟の関係は?彼女が隠す莫大な金貨とは……?

3つのラブ・ストーリーから成る3部構成というスタイルをとった前作『ビフォア・ザ・レイン』は、マケドニア、ロンドン、マケドニアと舞台を循環させ、登場人物を交錯させるという独特の語り口が見事に機能した傑作だった。ストーリーテリングに並々ならぬこだわりをもつマンチェフスキーが、『ダスト』でテーマにしているのは、ずばり“物語ること”である。「自分が存在しなくなったとき、その声はどこに行くのか?私たちは後世になにを残すのか?人生の物語?人の記憶のなかに思い出として残るのだろうか?それとも子孫?あるいは映画や写真のような記録?それともそんなものは骨壷に残るただの灰、ほんの一握りの塵(ダスト)に過ぎないのだろうか……?」「私たちは、物語に囚われている。それらを聞き、語り、造り上げ、その物語を生きる……まるで物語が人の形をしているかのように」
100年前と現代、バルカン半島とニューヨーク、時空を自在に行き来する物語は息をつく暇もない程、繊密に巧妙に練り上げられていく。カインとアベルを彷彿とさせる兄弟の確執の物語“バルカン風ウエスタン”が、現在とどう結びつくのか。真実を深く、多角的に洞察し、描くことで歪んでしまうキューピストたちの絵画のように、この映画は、ある種、断片的であり、予定調和的には終わらない。だが、そこにこそ、“物語ること”をそのまま映画化しようとしたマンチェフスキーの野心的な挑戦があるのだ。形あるものは全て滅するように人間の存在もダストに過ぎないとしても誰かがその存在の軌跡を物語として語り継ぐ限り、人間の魂は永遠に消えない。交わることのないふたつの時代、ふたつの物語が、いつの間にか溶け合うとき、観るものは、この物語の虜になってしまうだろう。

ニューヨークとマケドニアを拠点に活躍するマンチェフスキーだが、前作同様、キャスティングには、国際的な才能が結集し、それぞれに圧倒的な存在感でドラマを盛り上げている。聖書を引用する無口で純粋な弟イライジャを演じるのは、『恋に落ちたシェイクスピア』『エリザベス』でブレイクした英国の若手実力派ジョセフ・ファインズ。少ない台詞で圧倒的な存在感を必要とされる難しい役どころをこなしている。西部からマケドニアヘ、心の安住の地を求め旅をする兄ルークを演じるのは、マンチェフスキー監督が「これまでに出会った最高の俳優の一人だ」と絶賛するオーストラリア人俳優、デヴィッド・ウェンハム。『ムーラン・ルージュ』『ロード・オブ・ザ・リング ニつの塔』でハリウッドへ進出し、今後の活躍が大いに期待される。気丈な老女アンジェラには、『アラバマ物語』『誘惑のアフロディーテ』などの実力派女優ローズマリー・マーフィー。アンジェラの物語にいつしか聞き入ってしまう黒人青年エッジ役には『パーフェクト・カップル』でシカゴ映画批評家協会最有望新人賞を受賞したエイドリアン・レスター。兄弟の諍いの火種となる運命の女リリス役には、『めぐり逢う朝』『シラノ・ド・ベルジュラック』のフランス人女優アンヌ・ブロシェ。ルークを救う山間の村の娘ネダは、『ウエルカム・トゥ・サラエボ』で映画デビューしたマケドニア出身の新進女優ニコリーナ・クジャカが演じている。
現代ニューヨークの雑多な喧騒と、マケドニアの大地と空、岩山で構成された壮麗な風景を計算され尽くした見事なカメラワークでとらえたのは、ケン・ローチ監督作品で知られるパリー・アクロイド。
本作は第58回ベネチア国際映画祭オープニング作品、第14回東京国際映画祭特別招待作品として上映され、絶賛を浴びた。

ストーリー



語り継がれる限り、私はいる。100年の時を経ても。

2000年、ニューヨーク。黒人青年エッジ(エイドリアン・レスター)は、とある古ぼけたアパートに押し入り、物色している。悪徳警官に多額の借金がある彼は、もはや自暴自棄の状態だ。だが、留守宅だと思ったその部屋には、住人の老女アンジェラ(ローズマリー・マーフィー)がいた。か弱そうな外見と裏腹に気丈なアンジェラは、エッジの鼻をへし折り、さらに銃をつきつけて脅し、「故郷に埋葬してくれたら金貨をあげる」と言い、ある物語を語り始める……。

1900年、アメリカ西部にふたりの兄弟ルーク(デヴィッド・ウェンハム)とイライジヤ(ジョセフ・ファインズ)がいた。性格がまったく違うふたりだったが、恋に落ちた相手は、同じ女性、地元の売春宿のフランス人娼婦リリス(アンヌ・ブロシェ)だった。拳銃の名手である兄のルーク、聖書を引用するような繊細な一面がある一方、キレやすい弟のイライジャ。果して、情熱的なリリスのハートを射止めたのは、弟イライジャだった。リリスとイライジャはやがて結婚し、しばらくは平穏な生活が続いたが、ある日ルークは、突然、姿を消してしまう。その理由は、リリスしか知らなかった。

1902年、パリ。ルークはヨーロッパに向かっていた。20世紀の幕開け、エッフェル塔、近代美術、華やかさに満ちたパリでルークは孤独を感じる。「自分のようなならず者の時代は終わったのか?」そんな時、映画館で偶然観たニュース映画にルークはくぎ付けになる。そこには、衰退したオスマントルコ帝国から独立を求めて戦うマケドニアの革命組織、そして、賞金目当てにうろつくならず者たちの武装集団などにより戦乱の世と化したバルカン半島が映っていた。
心の悪魔が騒いだルークは、愛用の拳銃“ルカの福音”をもってマケドニアヘと旅立った。狙いは、多額の報奨金が賭けられたマケドニア人革命家のカリスマ的な指導者“教師”(ウラード・ヨハノフスキ)の首だった。

1900年代初頭、マケドニア。オスマントルコ帝国末期、スルタンは統制力を失い、そこは無秩序の混乱状態となっている。ルークは賞金稼ぎの悪党たちの一団に身を寄せている。その首に多額の報奨金がかけられている革命家“教師”を遂に見つけ、仕留めようとしたとき、そこへ現れたのは、弟イライジャだった。イライジャの銃は、誰でもない兄ルークだけに、ぴたりと照準が合わせられていた。彼は、妻リリスとルークの関係を怪しみ、復讐と怒りに燃えて、兄ルークを追ってやってきたのだ。傷を負ったルークはオスマントルコ軍の少佐(サラエティン・ビラール)の元に運ばれる。彼らはルークたちとは違い賞金目当てではなく、政治的理由で“教師”を追っていた。オスマントルコ軍兵士に取り囲まれる中、ルークはイライジャと再会するが、撃たれた怒りで弟に銃を向ける。ふたりの様子を見て笑い出した兵士をルークは射殺、混乱に乗じて、痛む傷を押さえながらその場を逃げ出す。
重傷を負いながらも九死に一生を得たルークは、山奥でリリスに似た美しい娘ネダ(ニコリーナ・クジャカ)に発見される。ネダの手厚い看護で、傷は回復へ向かい、ルークの中でも、また、静かな革命が起ころうとしていた。だが、ネダは、“教師”の子供を宿していたのだ。やがて、山間の村をトルコ軍が襲い、“教師”は、無残にも殺されてしまう。それを見た“教師”の父親である村の司祭(ヨシフ・ヨシフォフスキ)は、ネダとお腹の赤ん坊を連れて逃げて欲しいと、ルークに金貨を託すが、彼は、金貨だけを持ち去り、逃亡してしまう……。

2000年、ニューヨーク。発作を起こし倒れたアンジェラが、エッジの手で病院に運び込まれた。アンジェラは、エッジが彼女が隠し持っている金貨を狙っていることを承知だが、彼女の物語に耳を傾けてくれるこの若き友人に最期の願いを託そうとしていた。エッジといえば、アンジェラから話を聞くうちにいつの間にか、その物語と老女自身に惹かれ、アパートで金貨を見つけた後も、病院に足を向けるのだった。

マケドニアでは、金貨を手にしたルークと彼を追ってきたイライジャが、山頂の泉で再び出くわした。金貨を差し出し「お前とリリスで使え」というルークに、イライジャはリリスが入水自殺したことを告げる。その言葉に凍りつくルーク……。イライジャは再び兄に銃を向けるが、撃つ事ができないまま、その場を去っていく。

ニューヨークの病院。突如、アンジェラが黙り込む。驚くエッジ。……そしてアンジェラは二度と目を覚まさなかった。語りかけの物語を残し……。エッジは、本当の肉親が亡くなったかのように涙を流し、アンジェラの最期の願いを叶えるため、遺灰の入った壷を抱えて、ヨーロッパへ向かう飛行機に乗った。そして、隣合わせた若い女性に、アンジェラの物語を語り始める。エッジの語り出した物語の中では、まだ、ルークは死んではいない。彼には、まだ、やり残したことがあったのだ…

スタッフ

監督・脚本:ミルチョ・マンチェフスキー
製作:クリス・アウティ、ベスナ・ヨハノスカ、ドメニコ・プロカッチ
撮影監督:バリー・アクロイド
編集:ニック・ガスター
プロダクション・デザイナー:デヴィッド・マンズ
音楽:キリル・ツァイコフスキー
サウンド・スーパーバイザー:ピーター・バルドック
録音:ルビー・グベール
衣装:アン・イェンドリツコ、アン・クラブトリー、メタ・セベール

キャスト

イライジャ:ジョセフ・ファインズ
ルーク:デヴィッド・ウェンハム
エッジ:エイドリアン・レスター
リリス:アンヌ・ブロシェ
ネダ:ニコリーナ・クジャカ
アンジェラ:ローズマリー・マーフイー
教師:ウラード・ヨハノフスキ
少佐:サラエティン・ビラール
エイミー:ヴェラ・ファミーガ
スティッチ:マシュー・ロス
ボーン:メグ・ギブソン
ケマル:タメール・イブラヒム
アンジェラ(1945年):ルイーズ・グッダール
スペイス:ウラディミール・ヨセフ
エンベール:ウラディミール・ジョルジョスキ
マスリーナ:ゾーラ・ゲオルギーバ
イオルゴ:ヨルダン・シモノフ
司祭:ヨシフ・ヨシフォフスキ
教会の鐘係:ジョー・モッソ
看護婦:サンドラ・マクレーン

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