原題:Les Carabiniers

この映画はどこにでも起こりえる、どこにでも起こりえない、ひとつのセ・ン・ソ・ウ寓話です。

1963年/フランス/80分/スタンダード 配給:日本スカイウェイ

2003年03月20日よりDVD発売&レンタル開始 2001年6月30日より渋谷シネ・アミューズにてレイトショー公開

公開初日 2001/06/30

配給会社名 0107

公開日メモ 『カラビニエ』は1963年発表のゴダールの長篇第5作。『勝手にしゃがれ』『気狂いピエロ』『女は女である』『女と男のいる舗道』を矢つぎ早に発表し、『軽蔑』を第6作に準備しているさなかに、酷寒のパリ郊外で3週間で撮りあげてしまった快作である。

解説


この映画はどこにでも起こりえる、どこにでも起こりえない、ひとつのセ・ン・ソ・ウ寓話です。

1.『カラビニエ』は1963年発表のゴダールの長篇第5作。『勝手にしゃがれ』『気狂いピエロ』『女は女である』『女と男のいる舗道』を矢つぎ早に発表し、『軽蔑』を第6作に準備しているさなかに、酷寒のパリ郊外で3週間で撮りあげてしまった快作である。
2.『カラビニエ』がふたり、白い十字架の紋章の入った国王からのチョウヘイ令状を、荒野に住むユリシーズとミケランジェロの兄弟に届けにくる。センソウはよくないのではないか、他人のものを盗めば罰されるのではないかとためらう兄弟だが、外国にでて精神が豊かになるうえに、世界の富みが何でも思いのままに手に入るというカラビニエの言葉を聞いて、母のクレオパトラと妹のヴィーナスが心を動かし、兄弟の尻を蹴とばすようにセンジョウに送りだす。
3.『カラビニエ』お前はだれだ。カービンジュウヘイ、あるいは、キヘイジュウを持つヘイシを意味するフランス語のLES CARABINIERSでもあれば、ケンペイ、あるいはトクシュケイサツを意味するイタリア語のI CARABINIERIをも語源に持つ題名。現代ではあるがいつでもないいつか、ヨーロッパではあるがどこでもないどこかのセ・ン・ソ・ウ寓話らしいネーミングだ。
4.『カラビニエ』はゴダールいわくひとつのコントであり、寓話である。いわば”〜ごっご”の世界。センソウにいった二人の愚鈍で無知な兄弟はまるで”〜ごっこ”を楽しむかのようにいたって無邪気だ。ひとつはこのシーン。センソウから意気揚々と還ってきたふたりの持つ戦利品は、凱旋門、エッフェル塔、ピラミッドからアンコール・ワット、エヴァ・ガードナーに、クレオパトラに扮したエリザベス・テーラーまでの絵葉書。”欲しいと思えば所有権があるの?”これぞ戦利品の証とばかりにまるでモノポリーゲームを興じるようにはしゃぎ、喚声をあげる家族。もうひとつ思い出されるのは、初めて映画を見た息子のひとりが、画面の中の美女を求めて銀幕を切り裂いてしまうエピソード。破かれたスクリーンの向う側には、結局むき出しの壁の上に同じ虚像が映るばかりだ。絵葉書に託された価値が空しいように、”〜ごっこ”の家族が芝居の人物にすぎないように、映画の向こうにもただただ映画があるだけなのだ。”〜ごっこ”であるからこそ無邪気であるからこそ、ときにはかわいく、ときには恐ろしく真実を突きつけられる映画である。
5.『カラビニエ』はその出演者のすべてが無名である。なんだか笑ってしまう個性的な顔立ちのおとぼけミケランジェロ役のアルベール・ジュロスは、本職は数学者。ユリシーズ役のマリノ・マーゼはヴィスコンティの『山猫』にも出演した役者だが、まさにアボット&コステロのアボットを思わせる喜劇映画の悪党面で、しょっちゅう大きな葉巻きをふかす。瞳の美しいおてんばな妹ヴィーナス役のジュヌヴィエーブヴ・ガレアは、モデルとしての活動の後、シャンソン歌手ギ・ベアールと結婚。女優エマニュエル・ベアールの母である。
6.『カラビ二エ』はベニヤミーノ・ヨッポロの戯曲を、『無防備都市』『戦火のかなた』で知られるロベルト・ロッセリーニが映画化のためのシナリオをテープに録音したことから出発し、それをトリュフォーの『突然炎のごとく』やジャック・リヴェットの『パリは我らがもの』の脚本家ジャン・グリュオーがまとめ脚本とした。
7.『カラビニエ』の白黒のふっ飛んだ画づくりは、誰もやったことのない高感度フィルムを使用しての、盟友ラウル・クタールの撮影である。
8.『カラビニエ』は天才映画作家ジャン・ヴィゴヘのオマージュとして捧げられている。また冒頭の詩は、ブエノスアイレス生まれの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの引用である。「進展すればするほど、わたしは単純さにむかう。もっとも使いふるしたあの比倫(メタフォール)を使う。深い意味では、それこそ永遠だ。星は眼に似ている、とか、死は眠りのようなもの、というあのいいまわしのように。」
9.『カラビニエ』は単純明快で説明の入らない、「アンナ・カリーナのゴダール」とも「ジガ・ヴェルトフ
集団のゴダール」とも異質な、しなやかで自由でアナーキーな「裏ゴダール作品」である。
10.『カラビニエ』はゴダールいわく、カットしてしまったラストシーンがあるという・・・それは、映画の最後に、ミケランジェロが軍服を脱いで、ネクタイをしめ、背広をつけ、眼鏡をかけ、そしてキャメラの方に向き直って——「みなさん、あなたがたは何も分からなかった。何も観なかったし、何も聞かなかった。さっさとあなたがたの小型自家用車にのって家へお帰りなさい」といって映画をしめくくるというものだったのだが…ゴダールという人、トコトン皮肉ずきな人である。

ストーリー


ユリシーズとミケランジェロ兄弟、母のクレオパトラ、妹のビーナスが暮らす、どこでもない荒野の小屋に、ジープに乗ったカラビニエがふたり、王様からの手紙を持ってやってくる。
チョウヘイ?撥音はしてみたものの意味の分からない弟ミケランジェロ、他人の物を取ったら罰せられるのではないか?とためらう兄ユリシーズ。いや、センソウに行くと、いろいろな国を見て精神が豊かになるし、何でも思いどおりに手に入ると説得するカラビニエ。家も、凱旋門も、空港も、映画館も、象も、すばらしい風景も、ウクレレも、服を脱ぐ女もみんな手に入ると聞いたクレオパトラとビーナスは、行かなきゃバカよと、ふたりの尻を蹴とばすようにセンソウヘと送りだす。土産に、馬を連れてきて、ビロードのドレス、マックスファクターの口紅、それからビキニも忘れずに!と母と妹の注文は出発まできりがない。

いざセンソウヘ!白い十字架の紋章の入った制服制帽に身をつつみカラビニエとなったユリシーズとミケランジェロ。いつでもどこでも20世紀のありとあらゆるセンソウに、下っ端のカラビニエとして顔を出す。
要から冬へ。
街はずれの民家で女を捕まえて銃口を向けるミケランジェロ。ちらりとスカートをめくっては、馬乗りになってハイシッ!ハイシッ!レンブラントの画への敬礼は忘れない。
勝ちか敗けかなんて考えているヒマもなく、とにかく王様の敵を見つけだしてやっつけるのが任務。今日は人質3人をジュウサツ。またある時は、ミケランジェロを襲った、パルチザンの男装した少女らをジュウサツ。少女は、ジュウサツされる前に、マヤコフスキーの「すばらしい寓話」を朗読し、ヘイシたちに詩で戦いを挑んでいった。

兄弟がクレオパトラとビーナスに送りつづける手紙は、センソウでさえなければ、楽しい旅日記だ。エジプトでスフィンクスを見上げ、ニューヨークで自由の女神に敬礼。メキシコでは生まれてはじめて映画を見たミケランジェロが、列車の突進に身をかがめたり、入浴する美女のシーンにつられてスクリーンに突っ込んだり

帰郷。
小さなトランクひとつで帰ってきた兄弟を迎えて、母と妹はこう訊ねる「みやげは?」。これがみやげだとふたりがとりだしたのは、世界中の宝物の絵ハガキの束!記念碑に交通機関、デパート、資源、自然、惑星、ブリジット・バルドー…そのおびただしい数の宝物が全て自分たちのものだと、狂喜してハガキを舞い散らかす4人。でもこれがいったいいつ手に入るんだと自問するところに、カラビニエがそれは王様の軍が勝って、祝いの花火が打ち上げられたときだと説明する。
やがてある日、花火は打ちあがった。勝利を信じて街に飛び出す4人。街のなかは、勝利とは程遠く殺伐としているのに、それでもカラビニエを探し出して戦利品をと迫る兄弟。敗戦を理解しようとしないふたりを、カラビニエは王様からもう1通の手紙があると建物の影におびきよせて・・・乾いた銃声が響きわたる。

スタッフ

監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ロベルト・ロッセリーニ/ジャン・グリュオー
原作:ベンヤミーノ・ヨッポロ「兵士たち(I SOLDATI)」
撮影:ラウル・クタール
音楽:フィリップ・アルチェイス
製作:ジョルジュ・ド・ポールガール/カルロ・ポンティ

キャスト

ミケランジェロ:アルベール・ジュロス
ユリシーズ:マリーノ・マゼ
クレオパトラ:カトリーヌ・リベイロ
ヴィーナス:シュヌウィエーブ・ガレア

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