再見〜ツァイツェン、また逢う日まで
原題:我的兄弟姐妹/Roots And Branches
2001年6月9日中国初公開
2001年/中国/カラー/95分 /ドルビーSR 提供:徳間書店、博報堂、シネマパリジャン 配給:シネマパリジャン、徳間書店
中国映画の全貌 2007にて上映::http://www.ks-cinema.com/schedule.html 2004年09月24日よりDVD発売開始 2003年11月8日よりシネスイッチ銀座にてロードショー
公開初日 2007/07/25
配給会社名 0043
解説
温厚な父さんの優しい口笛、しっかり者の母さんの穏やかな笑顔。わたしたち兄姉弟妹は、貧しかったけれど、たしかな家族の強靭な絆で結ばれ、幸せでした。責任感あふれる逞しい兄さん、生意気盛りのやんちゃな弟妹たちと、雪の日はソリ遊びをして歓声をあげ、隣の家のニワトリの卵を盗むいたずらをしては、父さんに叱られたことも思い出します。そして何より、一家にはいつも音楽があふれ、まるでわたしたちは音楽の楽園に暮らしているかのようでした。けれど、突然の両親の死によって、わたしたちはバラバラになってしまうのです。「大きくなったら、また逢おう。そのときは、悲しみもなくなっているさ」。兄さんにそう背中を押され、わたしたちはそれぞれの家族にもらわれていきます。“再見〜ツァイツェン、また逢う日まで”——この言葉は、20年間、わたしの心に焼きついて離れませんでした……。
両親の不慮の死によって、天涯孤独となった愛しあう4人の兄姉弟妹の別れと、彼らが20年の歳月を経て、ようやく再会の道を歩み始める運命のゆくえを、中国・東北地方のなつかしい原風景と、現代の近代的な建物が建ち並ぶ北京の街を交錯させながら、誰もが一度はたしかに味わったことのあるノスタルジックな情感と、素直な共感のまなざしで、けっして絶えることのない家族の絆と、いつまでも変わらない兄妹の愛情といった素朴な感情をしみじみと描き、6O年代の中国映画の名作『紅楼夢』にも勝るとも劣らない感動作として、“奇跡的”“今年最も泣ける映画”と、マスコミも大絶賛。第5回上海国際映画祭コンペティション部門に正式出品された際は、発売と同時に切符が売り切れとなり、スイスのカステリナリア国際青年映画祭ではゴールデン・キャッスル賞グランプリ、モスクワ国際児童青少年映画祭ではブロンズ・テディ・ベア特別賞など、海外でも数々の賞を受賞、ヴァンクーヴァーやストックホルム、ハワイの各国際映画祭でも正式上映された、涙の傑作である。
果たして、大きな期待を持って01年6月に中国本土で封切られるや、北京や上海、広州といった大都市はもちろん、成都、武漢、とりわけ大連では劇場で2万枚のハンカチが配布されるなど、数々の話題を振りまいて、そのあまりの反響の大きさから、上映館の数がどんどん増えていき、わずか300万元の低予算映画ながら、最終的には、2千万元(約3億円)という歴代中国映画興行収人成績のベストテンに名を連ねる記録的大ヒットとなり、“中国の山田洋次”とも評される国民的監督、『ハッピー・フユーネラル』のフォン・シャオカン(馮小剛)も手放しで絶賛するなど、文字通り01年の中国映画界に一大旋風を巻き起こした話題作でもある。
アメリカ育ちの女性指揮者スーティエンが、20年ぶりに祖国・中国の大地を踏みしめた。彼女には、北京での記念コンサートのほかに、もうひとつある別の目的があった。それは、20年前に別れたきりで、消息不明になってしまっている兄、そして弟妹のゆくえを探すことだった。今を遡ること20年前、当時、7歳の少女だったスーティエンの父は、小学校の音楽教師として不遇の日々を過ごしていた。けれど、父は愚痴をこぼすこともなく、病弱だが気丈な母に囲まれて、貧しかったが幸福だった。何より一家には音楽があふれていた。父はスーティエンにこう言う。「辛いことがあっても、音楽があれば淋しくないさ」。ところが、ある夜、結核の咳がひどくなった母を父が背負って、病院に行く道中、大雪の道でふたりの乗った馬車が崖下に転落、ふたりは不慮の死を遂げてしまう。こうして残された4人兄妹は、それぞれ別の水族の養子となり、離れ離れになってしまうのだった……。
ヒロインのスーティエンには『君のいた永遠』で知られる香港映画界きっての人気アイドル、ジジ・リョン(梁詠?)。生き別れた兄妹のゆくえを探し求めて、女性指揮者に成長してアメリカから帰国したスーティエンのひたむきな思いを、抑制の効いた静かな演技のうちに力強い意思を秘め、またクライマックスではきりりとした指揮者姿を見せるなど、本格派の実力をあますところなく発揮した。また香港出身でありながら、大陸に生まれ、アメリカ育ちの娘を気品たっぷりと演じ、女優として新境地を開いたと絶賛されている。またエンドクレジットに流れる主題歌<關於愛>を、幼少時代を演じた子役のフー・チョンシュエ(胡檜雪)と歌い継いでいるのも、まさに本作に相応しい余韻を高める、心憎いアイディアだ。
現代の北京でタクシー運転手をしている兄イクーには、『こころの湯』で知的障害の弟を迫真の演技で体現したジャン・ウー(姜武)。父との最期の約束を果たせず、後悔の念に苛まれて責任感の強いイクーを素直かつ情感豊かな名演で見せ、妹ミャオとの涙の再会シーンは、胸を打たずにはおかない深い感動を呼び起こす。
故郷の中国東北地方の大学に通う弟ティエンには、『太陽の少年』でヴェネツィア映画祭最優秀男優賞を史上最年少で受賞し、『西洋鏡〜映画の夜明け』では初めて映画の世界に触れたときめきを活き活きと演じたシア・ユイ(夏雨)。等身大ともいえる自然なさりげなさの中に、「こういった兄弟愛を描いた作品は、最近ではむしろ少ない」とティエン役に意欲をみせ、たとえばティエンの眼鏡の片方のレンズが割れているというのも、彼のアイディアから生まれたものだというところに、さすが中国映画界きっての若手男優らしい、役作りの妙を結実させている。
そして北京に暮らす典型的な現代娘として、我がまま放題で放埒な生活を送っている末娘ミャオに、新人のチェン・シー(陳實)が抜擢された。兄姉から捨てられたと思い込んでいる頑なさの中に、人一倍、家族への激しい思いを秘めたミャオの複雑な内面を見事に演じきった彼女は、コン・リー、チャン・ツィイーが学んだ北京の中央戯劇学院の後輩であり、国際派スターとしての将来が期待されている新進女優である。
また、忘れてはならないのは、兄妹の父親を、中国初のロックスターとして、カリスマ的な人気を誇るツイ・ジェン(崔健)が演じていることである。思想の問題から不遇な生涯を送りながらも、決してそれを後悔しない強靭な意志をみなぎらせる父親を温厚に演じ、とてお映画出演2作目とは思えない円熟味のうちに、兄弟への愛情を注ぐ姿に豊かな感受性をうかがわせる。また本作の劇中曲〈梦〉も自ら作曲、道路工事しながら口笛を吹いてイクーとスーティエンの心を和ませるシーンで使われるほか、幾度となく印象深くリフレインされ、クライマックスの兄弟の再会シーンではオーケストラ演奏として、観る者の心に感動的に響く。
そして、4人の兄妹を演じる子役たちはオーディションで4ヶ月をかけ、約3,000名にのぼる候補者の中から選ばれた新人ばかりだが、彼らの素晴らしい熱演は、涙を流さずに見ることはできない、けなげな愛らしさたっぷりで、いつまでもわれわれの心に深く刻まれることだろう。
監督は、本作で鮮やかな長編デビューを飾ったユイ・チョン(兪鍾)。『こころの湯』のチャン・ヤン(張揚)、『プラットホーム』のジャ・ジャンクー(賈樟柯)らと並ぶ中国第六世代の注目株である。チェン・トン(程桐)と共同で手掛けた脚本は、古き良き時代の56年のアメリカ映画『白い丘』をモチーフに、愛と涙あふれる家族と兄妹についての人情味あふれるドラマを、中国東北部の過酷な大地のうちに、見事に創りあげ、ただならぬ手腕を発揮している。なお製作は、『太陽の少年』『欲望の街』を手掛けた香港映画界のヒットメイカー、マンフレッド・ウォンである。
ストーリー
現代。若き女性指揮者チー・スーティエン(ジジ・リョン)が20年ぶりに祖国・中国の大地を踏みしめた。地元マスコミは、アメリカで育った彼女の帰国を記念した中国交響楽団とのコンサートの報道で賑わっていたが、彼女にはほかにもうひとつ、別の目的があった。それは、20年前、彼女が7歳のときに生き別れになったきり、音信不通となった3人の兄妹、兄のイクー、弟ティエン、そして末妹ミャオのゆくえを探し出し、そして、彼らと再会することだった。ちょうど、彼女が恋人のデヴィッド(デヴィッド・リー)とともに、北京の空港に降り立ったとき、空港正面の車寄せに一台のタクシーが止まった。その運転手は、フロントガラスから古びた一枚の写真を吊り下げていた。そこには、両親を取り囲むように、4人の兄姉弟妹が、真剣なまなざしをカメラに注いでいる……。
例のタクシー運転手は、スーティエン帰国を報じる新聞を見て、彼女こそが探している妹であることを知る。そう、彼が長男のイクー(ジャン・ウー)だったのだ。急いで、スーティエンの泊まるホテルに車を走らせるイクー。ところが、スーティエンがデヴィッドとともに、ホテルのフロントに姿を現わしたとき、車を止める場所をめぐって、男たちに取り囲まれ、イクーは殴る蹴るの暴行を受けてしまう。しかも、そのうちのひとりが、車にはねられ、イクーは警察に追われる身に。こうしてふたりは、お互いに兄妹と名乗ることもなく、ただ見つめあっただけで別れてしまうのだった。
数日後、デヴィッドが弟ティエン(シア・ユイ)の消息を掴んだ。彼が東北大学の学生だと聞かされたスーティエンは、すぐさま生まれ故郷の町へ向う。そこには、大学の校庭を走るティエンの姿があった。目元が幼い頃とそっくりだ。思わず、彼に寄り添って走るスーティエン。彼女の脳裏には、饅頭の盗りあいをした当時の思い出が甦る。今は、養父母が死んで、奨学金で大学に通っているというティエンの眼鏡は、片方のレンズが割れてしまっている。そして、ティエンはかつてミャオからもらった一通の手紙を、スーティエンに差し出した。ミャオは北京に住んでいるというが、住所は書かれていない。翌日、両親のお墓参りに行くスーティエンとティエン。すっかり雑草に覆われ、所在さえ定かではないほどの荒れ放題だが、墓前でイクーとミャオとの再会を誓う姉弟だった。
そのミャオ(チェン・シー)は、北京のディスコで踊りまくっていた。そして酔っ払った挙句、スーティエンとともに現われたデヴィッドの胸に倒れ込んでしまう。こうして、姉妹はぎこちない再会を遂げたのだった。大学にも行かず、不良仲間たちと遊び歩くミャオの荒んだ生活に、スーティエンは眉をひそめ援助を申し出るが、ミャオは「今の生活に満足よ、干渉しないで」と取りつく島もない。ミャオは、兄姉から見捨てられたと思っていて、そのことをいまだに恨んでいたのだ。昔からミャオは末っ娘の甘えん坊だったと、スーティエンは思い返す。気管支炎で入院したときも、瓶詰の果物が食べたいと我がままを言って、両親を困らせたものだった。
その夜、ミャオは偶然、イクーと再会する。酔っ払ったイクーが、レストランでミャオのボーイフレンドに絡んだのだ。そのとき、スーティエン帰国の新聞記事を手に、「これが俺の妹だ」と叫んでいるのを見て、ミャオには判ったのだ、彼が兄のイクーだということが。翌朝、ミャオの部屋で目覚めたイクーは、昨晩の事の成り行きを知って、ふたりで再会の涙に暮れる。しかし彼の心には、兄として妹弟を守ってやることのできなかった後悔が渦巻いていた。その日、ミャオに連れられるままスーティエンが彼女の部屋を訪ねたときには、すでにイクーの姿はなかった。そして姉妹は、イクーが警察から追われる身であることを知るのだった。
スーティエンのコンサート当日。劇場に、ティエンとミャオが現われた。依然として、ノクーのゆくえがつかめない弟妹に、スーティエンはこう言う。「兄さんは、必ず来る」と。やがて、演奏が始まった。父が作曲した、思い出の曲だ。そこに、警官に連れられたイクーが姿を現わした。もはや、スーティエンたちに言葉は必要なかった。眼と眼を見あわせただけで、兄妹だと判った4人は、20年の歳月を超えて、ようやくふたたびひとつになった。彼らは二度と、離れ離れになることはないだろう、きっと永遠に。
スタッフ
監督&脚本:ユイ・チョン(兪鍾)
製作総指揮:マンフレッド・ウォン(文雋)
カー・ミーリー
製作:リー・チューアン(李竹安)
脚色:チェン・トン(程桐)
撮影:カン・ルー(甘露)
編集:チョウ・メイピン(周梅平)
音楽:ロアン・シュー(巒樹)
美術:フー・トーリン(傅徳林)
キャスト
スーティエン:ジジ・リョン(梁詠?)
(幼少時):フー・チョンシュエ(胡槍雪)
イクー:ジャン・ウー(姜武)
(幼少時):ヤン・チンウエイ(楊興偉)
ティエン:シア・ユイ(夏雨)
(幼少時):カオ・ティエンホン(高天鴻)
ミャオ:チェン・シー(陳實)
(幼少時):ナー・コーコー(那格格)
デヴィッド:デヴィッド・リー(李尚文)
父:ツイ・ジェン(崔健)
母:チャン・チエンシン(張建新)
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