1970年代から宙吊りになっていた歴史が、いままた大きく動き出している。 目覚めよ!歴史の激動を直視する視線を鍛えよ!

1967年フランス 配給:ザジフィルムズ

2001年1月27日〜2月9日まで シネセゾン渋谷にてレイトロードショー公開!! (順次全国公開)

サブ題名 激辛フィルムズ3「ベトナムから遠く離れて」

公開初日 2001/01/27

公開終了日 2001/02/09

配給会社名 0089

公開日メモ 1970年代から宙吊りになっていた歴史が、いままた大きく動き出している。 目覚めよ!歴史の激動を直視する視線を鍛えよ!

解説


『ベトナムから遠く離れて』、そして『北緯17度』、あるいは『東風』

なぜ、この3本が組合せられるのか。6人の監督が参加して、クリス・マルケルによって、一本にまとめられた『ベトナムから遠く離れて』。西洋が東洋を見つめることで、自らを乗り越えていこうとするフィルム。そのなかで、最もヴェトナムから遠い監督が、ジャン=リュック・ゴダールだとすれば、最もヴェトナムに近づいた監督がハノイでキャメラを廻したヨリス・イヴェンスなのは間違いないでしょう。
ヨリス・イヴェンスはドキュメンタリー史上、最も名高い監督のひとりであり、世界史の節目節目にその世界各地の熱い地域に出向いては作品を残しているという、20世紀の証人といえる人物です。一方、ジャン=リュック・ゴダールは、ヌーヴェル・ヴァーグの申し子として、常に現代映画をリードする存在であることは言うまでもないでしょう。そのふたりが『ベトナムから遠く離れて』のなかで遭遇するのです。おそらく唯一の接点かと思われます。ゴダールの挿話「カメラ・アイ」のなかで、ヨリス・イヴェンスが撮ったカットが幾つか挿入されることになります。つまり北爆を試みるアメリカの戦闘爆撃機のロング・ショットと『中国女』のおもちゃの戦争がモンタージュされることになります。これは何かしら刺激的な事件と言えないでしょうか。
ゴダールは『中国女』や『気狂いピエロ』のなかで、ジュリエット・ベルトやアンナ・カリーナにヴェトナム女の仮装をさせ、操り返し寸劇を演じさせています。ヨリス・イヴェンスは『ベトナムから遠く離れて』のなかで、ヴェトナム娘による本物の仮装劇を撮影しています。
ともあれ、『ベトナムから遠く離れて』の後、ふたりはますます対照的な道を歩みます。ヨリス・イヴェンスはますますベトナムのなかに入り込み、ヴェトナム人民の視点から、北爆中のアメリカ軍を捉えた驚異的なショットを残します。同時録音が可能にしたイマージュの驚きに満ちた『北緯17度』は、戦時下の北ヴェトナムの日常を捉えた傑作となりました。なにしろ農作業の音と飛来する戦闘援の爆音という、近い音と遠い音の共存が、この世界の奥行きを知らしめます。
一方、ゴダールはジガ・ヴェルトフ時代へと突入し、滅法美しい作品である『東風』のなかで、アメリカ映画のイデオロギー的象徴というべき西部劇の解体作業へと至ります。ここでは映像と音響を同時に関連づけて捉えることは、ほとんど不可能です。
この西部劇ごっこは、ふと映画の始原をも想起させるのですが、ここでヨリス・イヴェンスの処女作が、やはり西部劇ごっこだったことは偶然でしょうか。イヴェンス13歳の時に撮られた『ウィグワム—燃える矢』という1912年のサイレント映画がそれです。
まったく同時に顧みられることのないヨリス・イヴェンスとジャン=リュック・ゴダールのヴェトナムを介した一瞬の遭遇を通じて、映画へのふたつの歩みを同時に視界に収めようとすることが、この3本立てを21世紀の初めに企画したささやかな理由と言いえるかもしれません。

ストーリー

「プロローグ」で金持ちの国と貧しき国の戦いという図式が示された後、第1章「ハノイ爆撃」では、ハノイ人民の不発弾の処理、アメリカ空母から爆弾を積んで出撃する戦闘爆撃機、ハノイでの個人用防空壕の製作の模様を交互に示し、ナレーターはハノイを取材したイヴェンスの言葉を伝える。「彼らは平静そのものであり、勝利を確信している」。その後、1966年12月のハノイ空襲の記録ニュースが無声で映し出され、被害の悲惨さを伝える。
第2章「パレイド」はパリでのヨーロッパ諸国に支持を訴えに来たハンフリー副大統領に反対するデモの様子に、ハンフリーの演説が被せられる。一方、ニューヨークでは戦争支援のパレイドが行われている。
第3章「ジョンソンの泣きべそ」は、北ベトナムの村の広場で演じられている民衆劇が写される。マクナマラ国防長官とジョンソン大統領がピエロのようにからかわれる。
第4章「クロード・リデール」は、北爆に関するヘルマン・カーンの著作の分析を頼まれた作家クロード・リデールが、自宅にて自説を述べる。悩めるフランスの知識人の姿だ。
第5章「フラッシュ・バック」では過去の記録フィルムやアニメーションを使って、ベトナム戦争の背景を解説する。アメリカ兵がベトナム少年を殴り倒す様子がワイプで開かれながら何度も繰り返されるのが印象的である。最後に、ホー・チ・ミン大統領が勝利の日まで戦うという決意を語る。
第6章「カメラ・アイ」は「ベトナム・ゴダール、スタート」との声とカチンコと共に始まる。カメラのファインダーを覗くゴダールの姿に、モノローグが被さる。「パリの北ベトナム代表部に手紙を書いて、北ベトナムの取材を申し入れたが断られた」ことから、「ベトナムの問題はフランスの問題につながる」ことや、「アメリカ映画との闘争」が語られ、北ベトナムの人民やフランス地方都市のストライキの映像ばかりか、自作の「中国女」のカットが引用される。
第7章「ビクター・チャーリー」は、アメリカの歌手パクストンのアメリカの戦争目的への風刺の歌で始まる。「ビクター・チャーリー」とは、GIがベトコン(民族解放戦線)を呼ぶ呼び名である。ミシェル・レイはアメリカ側から諜報活動していたが、ベトコンの捕虜として3週間生活を共にした後、この戦争に対する見方を変えてしまった。アメリカ側から撮られた映像(ヘリコプターからの空撮や水上パトロール、ベトコン容疑者の尋問など)に、民族解放戦線の立場からアメリカ側を批判する言葉が重ねられる。ジャングルでの戦闘シーンは、フィルムにわざとか偶然か判別のつかない汚れが画面を覆ってしまう。
第8章「なぜ彼らは戦うか」はワシントンで、アメリカの戦争目的を説明する南ベトナム派遣米軍司令官ウエスト・モーランド将軍の演説のテレビ中継の画像を撮影したものである。テレビの画像の色を変えたり、面像を乱したりと、映像を加工している。
第9章「フィデル・カストロ」はキューバ兵のゲリラ戦の訓練の様子と、カストロの武装聞争に関するインタビューである。
第10章「アンとユエン」。1965年11月2日、アメリカ国防省ペンタニゴン前で、ベトナムへの暴力を抗議するため、ガソリンを浴びて焼身自殺したアメリカ人ノーマン・モリソンの行為について、パリで3人の子供と住むベトナム人ユエンと、ノーマンの未亡人アン・モリスンが語る。
第11章「めまい」。1967年4月15日にニューヨークで行われたアメリカ史上最大の反戦デモの模様が圧倒的な迫力で描かれる。「エピローグ」ではベトナムの人民やパリの群集の歩く姿に、マルケルらしい内省的なコメントが被せられ、トンキン湾上をクレーンで運ばれる爆弾の映像で閉じられる。「我々はベトナムから遠く離れている」。

スタッフ

「ベトナムから遠く離れて」
監督:アラン・レネ、ウィリアム・クライン、ヨリス・イヴェンス、
アニエス・ヴェルダ、クロード・ルルーシュ、ジャン=リュック・ゴダール

キャスト

LINK

□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す