原題:Fitzcarraldo

ヘルツォークに狂う!!

1982年3月4日西ドイツ公開

1982年/西ドイツ・ペルー/157分/カラー/35mm/ 配給:ケイブルホーグ

2001年2月17日〜3月9日までBOX東中野にて公開

公開初日 2001/02/17

公開終了日 2001/03/09

配給会社名 0029

公開日メモ アマゾンの奥地に長期ロケを敢行しながら、トラブル続きの製作で『地獄の黙示録』に例えられる巨編である。

解説


ペルーのジャングルの奥地にオペラハウスを建てるという途方もない夢を抱く”オペラ狂”フィツカラルドは、はるばるブラジルのマナウスヘとカルーソーのオペラを聴きに行く。出し物はヴェルディの「エルナニ」(この場面を演出したのはヘルツォークの友人であるドイツの異端派映画監督ヴェルナー・シュレーターだ)。その終幕で虚空を指さしながら息絶えるカルーソーの姿に、フィツカラルドは彼が自分を指さしている!と狂喜するのである。ファナティックな夢想家フィツカラルド!演じるのはもちろん、『アギーレ・神の怒り』に続いてヘルツォークの近親憎悪的分身クラウス・キンスキーである。
『フイツカラルド』の彼は、さながら『アギーレ・神の怒り』の彼の、表裏一体を成す双生児である。『アギーレ・神の怒り』は限りない悲観主義者の。そして『フィツカラルド』は限りない楽天主義者の。そしていうまでもなく、そのどちらもがヘルツォーク自身のアンビヴァレントな二面性を象徴するのである。アマゾンの奥地にオペラハウスを建てるため、船を山越えさせるという奇想天外な夢を実行に移す彼は、襲ってくるインディオの威嚇の太鼓に対抗して、カルーソーのうたう「ラ・ボエーム」や「リゴレット」のアリアを蓄音機から響かせる。そしてオペラハウス建設の夢に挫折した彼は、その代わりにたった一度の船上でのオペラ上演を行う。ベルリーニの「清教徒」。実はヘルツォークははじめ、ここでワーグナーの”指環”四部作の中の「ワルキューレ」を考えていたのだという。ここでコッポラの『地獄の黙示録』の中に登場した<ワルキューレの騎行>を想い出してみるのは実に興味深い。ヘルツォークはかつてドイツ文化センターでのシンポジウムで「私はワーグナーが大嫌いだ、あんな醜い音楽はない」と語ったが、その彼がその後、『ノスフェラトゥ』や『彼方へ』、さらには湾岸戦争直後のドキュメンタリー『闇の教訓』でワーグナーの音楽を見事に使いこなしているのである。
彼の発言にはいつもそんな大胆不敵で誇大妄想的な挑発がある。彼は尊大な哲学者でもあるかのように私たちを挑発しながら、その心は純粋な子供のように澄みわたっている。フィツカラルドのそこはかとなく可愛げなユーモアは、ヘルツォークその人のものでもある。『アギーレ・神の怒り』が人間の本能を限りない悲劇へと誘ってゆくのに対して、『フィツカラルド』は人間の生命への限りない讃歌をうたいあげる。狂気と無垢な心。悲観主義と楽観主義。ヘルツォークを代表するこの2作品は、同時にヘルツォークその人の全存在を象徴しているのである。

ストーリー


19世紀末。南米の未開地にヨーロッパ文明の光を届かせようとあれこれ試みてきたアイルランド人フィツカラルド(クラウス・キンスキー)は、希代のテナー、エンリコ・カルーソーのオペラを聞いて感激し、アマゾンの地にもオペラハウスを建てようと決意する。
資金を作るために、まずアマゾンの奥地にゴム園を作る準備に取りかかる。候補地は急流の畔で、船を着けることができない。そこで別の河から小高いジャングルを越えて船を移すことにした。だが首狩族が現れ部下たちは逃げ去った。彼は首狩族と交渉し、人海戦術で山越えを試みた・・・
圧巻はこの山越えを実際に人力だけで船の引き上げを再現した大スペクタクル・シーンである。
・・・しかし彼がさんざん苦労して船を移動させ終えた晩に、首狩族は神への捧げ物として船を繋ぎ止めるロープを切ってしまった。船は一気に下流まで流されフィツカラルドの夢はあっけなく潰えてしまったのだった。

スタッフ

製作:ヴェルナー・ヘルツォーク/ルッキ・シュティペティック
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
撮影:トーマス・マウホ 
特殊効果:フヴェナル・エレミッチェラ/ミゲル・バースケイス
衣装:ギーゼラ・ストーチ
音楽:ポポル・ヴー

キャスト

クラウス・キンスキー
クラウディア・カルディナーレ
ホセ・レーゴイ
ポール・ヒッチャー

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