原題:死亡的遊戯

約20年の歳月を経てついに未完の大作「死亡遊戯」が完成する

2000年/香港/ 配給:アートポート/配給協力:アースライズ

2001年7月25日DVD発売/2001年7月25日ビデオ発売&レンタル開始 2001年1月13日より新春第一弾として渋谷シネマ・ソサエティで公開

公開初日 2001/01/13

公開終了日 2001/03/02

配給会社名 0014

公開日メモ 約20年の歳月を経てついに未完の大作「死亡遊戯」が完成する

解説


唸る鉄拳!切り裂くヌンチャク!世界がこの男の復活を待っていた!

 斬新で理論的な武道哲学と、世界の映画史に残る作品を発表しつづけた一代猛龍ブルース・リー。その生涯は32年という短いものであったが、ブルース・リーが死ぬ直前まで製作をあきらめようとしなかった幻の作品『死亡的遊戯』(『死亡遊戯』が原題ではなかった)が、『BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯』としてイヤー・オブ・ザ・ドラゴンの2000年に蘇る!
 『ドラゴンへの道』の撮影が終了した1972年9月、ブルース・リーのもとにロサンゼルス時代の弟子であり、NBAのスーパースターであるカリーム・アブドゥール・ジャバールが1週間だけ香港に訪れるという知らせが届いた。今までにない総合格闘技の要素(ジークンドー・コンセプト)を取り入れた映画である『死亡的遊戯』を製作しようとしていたブルース・リーは、さっそくカメラマンの西本正ら気心のしれたスタッフを招集してジャバールとの格闘シーンを撮りあげた。その後、ブルース・リーの盟友ダン・イノサント、韓国合気道界では伝説の達人であるチー・ハンサイの順に撮影は進んでいく。しかしそこまで進んでいながら撮影は突然中断してしまう。それは寒さに弱いブルース・リーが冬の韓国ロケを嫌がったことや、チー・ハンサイとの確執などさまざまな原因があったのだが、最大の理由はアメリカのワーナーブラザーズ社からきた米港合作映画『燃えよドラゴン』主演へのオファーであった。
 『燃えよドラゴン』の撮影が終了した後、ブルース・リーは再び『死亡的遊戯』の製作を再開させる。しかし『死亡的遊戯』に出演予定だったジョージ・レーゼンビーとの打ち合わせの当日1973年7月20日、ブルース・リーは意識不明におちいったまま他界してしまう。これによって未完成の『死亡的遊戯』は二度と日の目を見ることはないと思われたが、『燃えよドラゴン』がアメリカをはじめ全世界で超大ヒットを記録する。これを受けてゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウ社長は、急遽『死亡的遊戯』を完成させることを発表。監督に『燃えよドラゴン』のロバート・クローズを起用し、撮影されていなかったドラマ部分をソックリさん(タン・ロン)を使って補完した。そしてこの作品は1978年に『ブルース・リー 死亡遊戯』として完成し、一般公開された。
 しかし『ブルース・リー 死亡遊戯』には生前ブルース・リーが撮影した約120分のフィルムのうち10分程度しか使用されていなかったのだ。その後『ブルース・リーの神話』などのドキュメンタリーで小出しにされてきたものの、ゴールデン・ハーベスト社がスターTV社に『死亡的遊戯』をはじめとするブルース・リー主演作品の版権を売却してしまったことにより、未公開映像を我々が目にすることは絶望視されていた。
 しかし1998年、関係者の努力によって幻の映像を一般公開することに成功する。このことによってスターTV社とハンドリングするメディアアジア社は、『死亡的遊戯』未公開映像の映画化する権利をライセンス化する事を決定し、2000年にその権利を取得し『BRUCE LEE in G.O.D 死亡的遊戯』を完成させ全世界に向けて公開する。

ストーリー



誰も知らない真実がこの映画で解き明かされる!
ブルース・リー最後の作品ここに完結!

 1972年のうだるような夏の日、試写室ではつい先日まで撮影が行なわれていたブルース・リーとカリーム・アブドゥール・ジャバールとの戦いのフィルムが上映されていた。そのアクションシーンの凄まじさにスタッフは感嘆の声をもらしていたが、映写室にはいなかったプロデューサーのアンディは不安を隠せない表情でブルースのもとへと近づいてくる。
 「ブルース、僕にはタイトルに『死亡』なんて不吉な文字の入った映画がヒットするとはとても思えない。タイトルを変更すべきだ」
 しかしブルース・リーはこの映画こそ自分が真に作りたかった映画だと反論し、そんな細かいことにこだわるなどナンセンスだと一蹴する。そして自分の作りたいものを理解できないスタッフに、ブルース・リーは映画の構想を語り始める。それはこれまで誰も観たことがないようなアクション映画だった。
 その後チー・ハンサイ、ダン・イノサントといった武道家とのアクションシーンの撮影を終えたブルース・リーだったが、ハリウッドと香港の合作映画『燃えよドラゴン』撮影のために『死亡的遊戯』の撮影は中断してしまう。
 いつ製作が再開されるのか分からない状況の中で、ブルース・リーを待ちつづけるスタッフたち。そんな1973年夏、ブルース・リーは『死亡的遊戯』の現場に戻ってくる。 そしてアクションシーンの編集が再開されたのだが・・・・・・。
 前半のドラマ部分でのブルース・リー役には香港の新鋭デビット・リーが扮し、当時のブルース・リーの苦悩を見事に再現している。また劇中挿入される当時の模様を語る関係者は、ブルース・リーの映画のスタントマンとして参加し、ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーの作品で個性的な脇役を演じるユン・ワー。もちろんブルース・リー関連のドキュメンタリーには初出演である。他に後半の未公開シーンにも出演しているブルース・リーの盟友ダン・イノサント。そして『燃えよドラゴン』の助監督のチャップリン・チャンなど豪華なメンバーが顔を揃えている。
 映画後半の未公開シーンでは『ブルース・リー 死亡遊戯』において出番を完全に削られたチェン・ユアンとジェームス・ティエン。そして若き日のダン・イノサント、韓国合気道の大家チー・ハンサイ、そしてNBAのスーパースターにしてブルース・リーの直弟子だったカリーム・アブドゥール・ジャバールなど今となっては考えられないような錚々たる面々が激戦を繰り広げる。

スタッフ

製作:松下順一
エグゼクティブプロデューサー:堀 誠
企画:加藤東司
プロデューサー:米山 紳、Leong Tak Sam
アソシエイツプロデューサー:福島重幸
脚本:新田隆男
監督:大串利一

キャスト

ブルース・リー
ダン・イノサント
カリーム・アブドゥール・ジャバール
チー・ハンサイ
ジェームス・ティエン
チェン・ユアン
ユン・ワー
チャップリン・チャン

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