原題:Darebareye Elly

数々の賞に輝くイラン映画の新たな旗手と若手女優のコラボレーションがあぶり出す 人間の複雑な多面性、女性の光と影

2009年/イラン映画/1時間56分/アメリカンヴィスタ(1:1.85)/35mm/ステレオ/英題:About Elly 配給:ロングライド宣伝:テレザ

2010年9月11日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町にて公開(全国順次)

(C) 2009 Simaye Mehr.

公開初日 2010/09/11

配給会社名 0389

解説


ひとりの女性が忽然と姿を消した。
いったい彼女は誰だったのか。
そして私たちは、その浜辺で何を想うのか…。

 その突然の出来事は、あまりにも奇妙で謎めいていた。ささやかな週末旅行を楽しもうと、テヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきた都市生活者たち。その参加者のひとりであるエリという若い女性が、幻のように消えてしまったのだ。現場が波の荒い浜辺だったため、エリが海で溺れたのではないかとパニックに陥った一行は懸命の捜索を繰り広げるが、彼女の姿はどこにもない。もしやエリは、何らかの事件にでも巻き込まれたのか。それとも別れも告げず、ひとりでテヘランに帰ってしまったのか。さまざまな可能性を論じ合う一行は、すぐさま答えの見つからない問題に突きあたる。彼らが親しみをこめてエリという略称で呼んでいた“消えた女性”の正式な本名さえもわからず、彼女について何ひとつ知らなかったということに…。

 アッバス・キアロスタミ、モフセン・マフマルバフといった巨匠やバフマン・ゴバディらの俊英を輩出し、世界的にも極めてユニークかつ野心的な傑作を数多く生み出してきたイランから、新たな驚きをもたらす映画が届けられた。その注目の一作『彼女が消えた浜辺』はイラン映画としては珍しく、中流階級の男女がヴァカンスに興じるシチュエーションで幕を開け、巧妙にして予測不可能なストーリーテリングで観る者を釘づけにする。謎が謎を呼ぶ心理サスペンスに、鋭い問題提起や社会的メタファーをさりげなく織り交ぜたこの群像ドラマは、漠然とした不安を抱える現代人の胸をざわめかせずにおかない。本国イランでは2009年の年間興行収入2位となる大ヒットを記録し、ベルリン国際映画祭最優秀監督賞(銀熊賞)やトライベッカ映画祭最優秀作品賞ほか数々の賞を受賞。豊かな娯楽性と作家性を兼ね備え、イラン映画のニューウェーヴ到来を感じさせる本作は、きっと日本人の心にもずしりと響き、しばし忘れえぬエモーショナルな映画体験となるに違いない。

恋愛、結婚、離婚、そして秘密と嘘…
濃密な心理サスペンスの果てに奥深い“真実”のかけらが浮かび上がる極上のヒューマン・ミステリー

 アスガー・ファルハディ監督が自ら執筆したオリジナル脚本に基づく『彼女が消えた浜辺』は、美しい海辺を背景に紡がれる3日間の物語である。大学時代からの親友同士である登場人物たちが浜辺に到着する〈1日目〉には、事件らしい事件はまったく起こらない。しかし、すでにそこには用意周到な伏線や予兆が幾重にも張り巡らされている。この小旅行の仕切り役はセピデーという世話好きの女性で、彼女は最近離婚を経験した男友達のアーマドに、保育園に勤めるエリを紹介しようともくろんでいる。そんなセピデーの熱心な誘いに負けて旅に参加したエリは、知性も容姿も気立ても申し分なく、アーマドとその友人たち全員に好ましい印象を与えていく。すべては順風満帆のはずだった。

 しかし〈2日目〉、この映画の主人公と思われたエリが浜辺で“消えた”ことをきっかけに、物語は激しく劇的にうねり出す。エリが事故死したのではないかと思い込んだ者は罪悪感や悲しみに打ちひしがれ、彼女は勝手に立ち去ったのだと主張する者は怒りや困惑を露わにする。まさしく寄せては返す波のような登場人物の息づまるやりとりを通して浮き彫りにされるのは、うわべからは容易にうかがい知れない秘密や嘘を隠し持つ人間という生き物の複雑さ。そして人生というもののめぐり合わせの不可思議さだ。

 やがて新たな重要キャラクターが出現する〈3日目〉には、さらなる意外なひねりが盛り込まれ、ついにエリの消息が明らかにされる。しかし事実は判明しても、真実はまだ薮の中に潜んでいる。「観客を見下すような押しつけがましい映画は作りたくない」という信念を持つファルハディ監督は、あたかも観客ひとりひとりがこの物語の主人公であるかのように、すべての解釈を私たちの想像力に委ねていく。ひょっとすると人間こそが、この世で最もはかなく謎に満ちた存在なのかもしれない。かくして一級のスリルと感動を呼び起こし、底知れない深みを湛えた極上のヒューマン・ミステリーがここに誕生した。

数々の賞に輝くイラン映画の新たな旗手と若手女優のコラボレーションがあぶり出す人間の複雑な多面性、女性の光と影

 これが本邦初登場作となる1972年生まれのアスガー・ファルハディ監督は、2003年の長篇デビュー以来、国内外の映画祭で幾つもの賞を獲得してきた実力派である。2ヵ月間に及ぶリハーサルで俳優たちのアンサンブルを磨き上げ、撮影現場ではハンディカメラを駆使して臨場感あふれる映像世界を創出。卓越した人間観察にも裏打ちされたその演出力とシナリオの完成度の高さ、斬新さは、イラン映画の未来を担う新たな旗手の登場を強烈に印象づける。
 また、この映画をいっそう魅力的なものにしているイランの若手女優たちの繊細な演技も見逃せない。些細な思惑から取り返しのつかない悲劇を招き寄せてしまう快活な女性セピデーを演じたゴルシフテェ・ファラハニーは、カンヌ国際映画祭60回記念のオムニバス映画『それぞれのシネマ』(アッバス・キアロスタミ監督篇『ロミオはどこ?』)や、レオナルド・ディカプリオと共演したハリウッド大作『ワールド・オブ・ライズ』などで国際的に活躍中。人知れず悩みを抱えたまま謎の失踪を遂げるエリ役のタラネ・アリシュスティは、これがファルハディ監督との3度目のコラボ作品で、ファラハニーとは『それぞれのシネマ』(アッバス・キアロスタミ監督篇『ロミオはどこ?』)に続く顔合わせとなる。まるで太陽と月のように対照的なヒロインふたりがたどる数奇な運命に、誰もが衝撃を覚え、その痛みと切なさを噛み締めずにはいられないだろう。

ストーリー

 テヘランからほど近い、カスピ海沿岸のリゾート地で3日間を過ごすために集った大学時代の友人たち。すでに家庭を持つ者、海外での結婚に破れ一時帰国している者…。それぞれに事情を抱えるが、数年ぶりの再会であっても、長年の友人関係はそんなことも忘れさせるほどに、気軽で、そして温かい空気を作っていた。
 リゾート地に向かう途中の彼らは、社会的な立場を忘れて、おおらかにその再会を楽しんでいた。すでに幼い子供も持ち、揺るぎない家族を作り上げているセピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)がかつての友人たちに声をかけ、ドイツで生活しドイツ女性との結婚に破れたアーマド(シャハブ・ホセイニ)、その妹ナジーとマヌチュールの夫婦、友人の女性ショーレ(メリッラ・ザレイ)とその夫ペイマンと子供たち、そしてセピデーの子供が通う保育園の先生エリ(タラネ・アリシュスティ)を誘っての、子供たちを含む11人の週末のヴァカンス。セピデーが声をかけ、セピデーがヴィラを予約し、セピデーが日程を決めた、そんな3日間の小旅行だった。エリはセピデー以外の全員と初対面だったが、そんな不安も忘れさせるような、彼女を温かく迎え入れる雰囲気を作ることもセピデーは忘れなかった。

 しかしセピデーには、別の思惑があった。その思惑はとりわけ彼女を虜にしたのだった。今回の旅行を、アーマドとエリの出会いの場に仕立て上げようとしていたのだ。友人たちは少し躊躇しつつも、セピデーの思惑に賛同し、アーマドもその申し出に乗る。しかしそんな彼らの躊躇も、エリの美しさと聡明な性格に触れることで霧散する。全員がエリを受け入れ、とりわけアーマドは彼女に夢中になっていくのだった。

 しかしセピデーが予約していたはずのヴィラは、予約の行き違いで満室。管理人の案内で辿り着いたのは、海辺に建つ一軒の朽ちかけた別荘だった。何年もの間使われることのなかった別荘だったが、そのロケーションに誰もが夢中になるのだった。寄せては返す波の音、透き通るような空、澄み切った空気、足の裏に感じる心地いい砂の感触。男たちは3日間を過ごすための普請を始め、女たちはその“自分たちの”別荘に相応しいあたたかな料理を作る。子供たちは海に夢中になり、海に夢中になる子供を不安に思う心を大人は抱えつつ、その状況を楽しんでいた。夜になれば、イラン独特の遊戯で大人も子供も童心に還り、そのひとときが人生における最高の時間のひとつになるであろうことを誰もが予感するのだった。

 そんな風に全員がその大切な時間を過ごしているかのように思われたが、ひとりエリだけはわずかによそよそしさを醸し出していた。到着当日、携帯電話が圏外のため浜辺から離れ、街に出ようとする彼女に付き添うアーマドは、彼女が母親と話す様子に少し違和感を感じていた。そして着信の電話をとらずにやり過ごすエリにも。しかしそんな些細な違和感にも打ち勝つような魅力が、彼女にはあるのだった。

 翌朝も美しい快晴の空が広がり、素晴らしい日を約束するような予感に満ちた日が始まろうとしていた。そんななかエリは、一泊の予定で来ているので、どうしても帰りたいとセピデーに申し出る。アーマドとエリの関係がまだ深まっていないことに焦りを感じたセピデーはその申し出に戸惑い、エリを無理矢理引き止めるのだった。諦めきれないエリも、何かを思い詰めるように海を見つめるだけだった…。
 女たちが食事の準備をし、男たちがビーチバレーに興じているとき、それは起こった。ショーレとペイマンの子アラーシュが溺れたのだ。必死で海に入る男たち。不安と恐怖に顔を引き攣らせる女たち。必死の救助でアラーシュは九死に一生を得る。息を吹き返したのだ。

 しかしそのとき、エリが見当たらないことに全員が気付くのだった。再びの恐怖に、彼らの必死の捜索が始まる。しかし海難救助隊の出動でもエリの行方はつかめなかった。アラーシュを助けようとして海に溺れたのか。それとも何も言わずにこの別荘を出ていったのか。彼女の存在を残す痕跡はどこにも見当たらない。さらに捜索が進むうちに、彼女の正式の名前さえ誰も知らないことが判明していく。彼らが知っているのはエリという愛称のみだったのだ…。
 彼女は一体誰だったのか? 何のためにこのヴァカンスに参加し、そして帰ろうと必死になっていたのか? やがてわかる真実は、とりわけセピデーを、そして全員を苦しめていくことになるのだった…。

スタッフ

製作:シマイェ・メヘル
監督:アスガー・ファルハディ
脚本:アスガー・ファルハディ
プロデューサー:アスガー・ファルハディ
マームード・ラザウィ
撮影:ホセイン・ジャファリアン
編集:ハイェデェ・サフィヤリ
美術:アスガー・ファルハディ
衣装:アスガー・ファルハディ
音楽:アンドレア・バーワー
録音:ハッサン・ザヒデ
ミキシング:モハマド・レザ・デルパック

キャスト

セピデー: ゴルシフテェ・ファラハニー
エリ: タラネ・アリシュスティ
アーマド: シャハブ・ホセイニ
ショーレ: メリッラ・ザレイ

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