サラエボの花
原題:Grbavica
2006年ベルリン国際映画祭 金熊賞(グランプリ)受賞
2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ/カラー/95分/ビスタ/ドルビーSRD/PG-12 配給:アルバトロス・フィルム、ツイン
2008年05月21日よりDVDリリース 2007年12月1日、岩波ホールにてロードショー
公開初日 2007/12/01
配給会社名 0012/0251
解説
■これは愛についての映画である
1992年、旧ユーゴスラヴィアが解体してゆくなかで勃発したボスニア紛争は、95年に一応の決着をみるまでに、死者が20万人、難民、避難民が200万人も発生したと言われ、第二次世界大戦後のヨーロッパにおける最悪の紛争になった。このバルカン半島における民族と宗教が複雑にからみあった未曾有の紛争をテーマに、過去に数多くの映画が作られてきたが、ここにまた新たな秀作が加わった。2006年ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)、エキュメニカル賞、平和映画賞を受賞し、さらにテッサロニキ国際映画祭を始め、数多くの映画祭で栄誉に輝いた『サラエボの花』である。
監督は74年サラエボ生まれの女性監督ヤスミラ・ジュバニッチ。紛争時はティーンエージャーだった彼女にとって、長篇デビュー作となる本作を製作することは、自らの恐怖の記憶を掘り起こすつらい作業だった。しかし、この紛争の悲劇に向き合うことによって彼女は、そこに生命の尊さ、美しさというかけがえのないテーマを見出した。
山々に囲まれたサラエボは、戦争中にセルビア人勢力に包囲され、長期間にわたって市民は砲撃と狙撃兵の標的にさらされていた。グルバヴィッツァ地区(この地名が原題となっている)は、セルビア人勢力に制圧されていた場所。そこでは戦争という名目のもと、多くの悲惨な出来事が起こった。
本作は、その犠牲者である女性の12年後を描く。そこでは暴力シーンも、戦争の生々しさも描くことなく、平和を取り戻そうと懸命に生きる人々の日常を、丁寧なキャメラワークで捉えていく。慈しむようなシーンの数々は、ジュバニッチ監督が「これは愛についての映画である」と言明しているように、観る者に暖かな感情を喚起させる。
■紛争の傷痕を内に秘めて
冒頭、哀調を帯びた歌にのせて、まどろむような女性たちの顔が映しだされてゆく。やがてキャメラはその中の一人、中年女性エスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)の空ろな眼差しをとらえる。そこは紛争によって心にも深い傷を負った女性たちが、自らの忌まわしい過去を告白し、その痛みを分かち合う集団セラピーの場だった。
セラピストがこう呟く。「どうか口を閉ざさないでほしいの。話したくない気持ちはよく分かるけど、話さなければ心の傷は癒えないわ」と。エスマはしかし、他の女性たちのようには積極的に過去を語ろうとはしない。シングルマザーの彼女は、12歳のサラ(.ルナ・ミヨヴィッチ)とサラエボのグルバヴィッツァに住んでいる。街は一見平穏そのものだが、紛争の深い傷跡が至るところに露呈している。エスマは政府から支給されるわずかな生活補助金だけでは立ち行かず、夜遅くまでナイトクラブで働いている。そして心身ともに疲労しているせいか、時折、自分でも制御できない感情にかられて、娘のサラに理不尽な怒りをぶつけてしまうことがある。
ジュバニッチ監督は繊細でやわらかなタッチで、このどこか情緒不安定なヒロインに寄り添うように、彼女の内面に巣食う感情のしこりに迫ろうとする。
たとえば、通勤バスのなかで座っていたエスマが、胸毛を露出した男性に怯えたように降りてしまうさりげない描写に、彼女が男性恐怖ともいうべき、あるトラウマを抱えていることが暗示される。そのトラウマゆえなかなか周囲の男性たちと馴染もうとしないエスマだが、同じナイトクラブの用心棒、ペルダには戦争体験をとおして次第に心を開いてゆく。それは同時に、紛争の傷痕がいかに現在の市民の日常生活に根深く残り、いまだ支配しているかを、あらためて物語っている。
■サラエボに咲いた美しい花
一方で男まさりの娘のサラは、学校でのふとしたトラブルをきっかけに、クラスメイトのサミルと親しくなっていく。二人を急接近させるのは、互いの父親を紛争で亡くしているという深い喪失感である。戦争で親を亡くした子供たちは、この映画で修学旅行の費用が減額されるように、様々な優遇処置を受けることができる。サラが級友たちに誇らしげに「私のお父さんはシャヒード(殉教者)よ」と宣言する時、それは自らに降りかかった戦争の災厄を跳ね返そうとする、幼い意思のようにもみえる。しかしサラには父親にまつわる一切の記憶がない。母親のエスマも多くを語ろうとしない。
ある時サラは修学旅行のために父がシャヒードであったことを証明する書類を学校に提出しようとするが、母親は父親の死体が見つからないため証明書を取得するのは難しいとことを理由に金策に奔走する。ここでエスマの友人たちがなけなしのお金をカンパする場面は、女性たちのバイタリティがあふれていて感動的だ。
次第に不信感を募らせるサラは、ペルダに車で送ってもらったエスマに暴言をぶつける。そしてお互い掴み合いになりながら、エスマは長い間心の奥深くに封印していた<真実>を咄嗟に口にしてしまうのだった…。
集団セラピーの場で、エスマは収容所で敵の兵士たちに数限りなくレイプされたおぞましい体験を涙ながらに告白する。そして身ごもったことを恥じて、何度も流産させようと自らの身体をいたぶったこと、それなのに生まれた赤ん坊を見て、これほど美しいものが世の中にあるだろうかと思ったという切実な記憶も。
ラスト、冒頭の空ろなエスマの表情と好対照に、修学旅行のバスから、エスマに微笑みかけるサラの晴れやかな表情が際立って印象的だ。
ジュバニッチ監督は、本作で母性の深さ、強さを描きながらも、ボスニア紛争の災厄を越えて一歩前に踏み出す強い決意を映し出し、人々の未来と希望を指し示しているといえよう。
ストーリー
エスマは12歳の娘サラと二人で暮らしている。政府からのわずかな生活補助金と裁縫で得る収入だけでは生活が厳しく、子供がいることを隠してナイトクラブでウエイトレスとして深夜まで働く日々。夜は親友のサビーナにサラの面倒を見てもらっているが、多感な年代のサラは母親が留守がちなさびしさからエスマやサビーナとしばしば衝突するようになる。
活発なサラは男子生徒に混じってのサッカーでクラスメイトの少年サミルとケンカになる。仲裁に入った先生に「両親に来てもらう」といわれると「パパはいないわ。シャヒード(殉教者)よ」と胸を張る。サミルもまた紛争で父親を亡くしていて、その共通の喪失感から二人は次第に近づいていく。
ナイトクラブでの仕事も彼女にとっては辛いものだった。過去の辛い記憶から男性恐怖症となっているエスマは、混雑した通勤バスの中では男の体が近づいただけで耐えられずバスを降りてしまうし、クラブでは働く女たちがセクシーな衣裳でお客と戯れチップを稼ぐ様子を見ては耐えられず薬に頼る毎日。そんなエスマを気遣うように同僚のペルダが声をかけてきた。車で家まで送ってもらい「どこかで会ったことがある」と言われるが、エスマは一定の距離を縮めようとはしない。しかしペルダも戦争で家族を亡くしていて、その遺体確認の際に会ったのではないかと問われると、次第に心を開くようになる。
サラが父親の死について疑問を持ち始めるのは、学校の修学旅行がきっかけだった。シャヒードの遺児は、父親の戦死の証明書があれば旅費が免除される。それを知ったサラは証明書を出すようエスマにせがむ。だが、父親の死体が発見されなかったので証明書の取得が難しい、とエスマ苦しい言い訳を続ける。そして娘のために旅費を全額工面しようと奔走し始める。
ある日サミルは立ち入り禁止の廃墟に「いいものを見せる」とサラを誘う。隠しておいた大事な宝物を扱うように、父親の形見の拳銃を見せ、自分の父の死について語るサミル。「父親の最期は?」と聞かれてもサラは何も答えられない。父親はシャヒード、ということ以外何も知らないサラにサミルは驚き、「父親の最期は知っておくべきだ」と言う。
どうして母が証明書を渡してくれないのか不信感を募らせるサラに追い討ちをかけるように、クラスメイトたちが彼女の父親が戦死者リストに載っていないとからかい始める。さらに母親が証明書を提出せず、旅費を全額支払ったことを知ると、サミルから預かった拳銃を突きつけて真実を教えて欲しいと本気で迫るのだった。つかみ合いになりながら、エスマは長い間隠し続けてきた秘密をついに口にしてしまう。
セラピーの場で泣きながらはじめて自分の過去を告白するエスマ。収容所で敵の兵士にレイプされて身ごもったこと、その子供の存在が許せず流産させようとおなかを叩き続けたこと、そして生まれた子供を腕に抱いたとき、「こんなに美しいものがこの世の中にあることを忘れていた」と思ったということを。
修学旅行出発の朝。頭を丸刈りにしたサラを気遣い見送るエスマ。言葉を交わすことなくバスに乗り込んだサラだったが、出発直前に最後部の窓から微笑み小さく手を振る。それに応えるように笑顔で大きく手を振るエスマ。子供たちの歌がバス中に響き渡る。
スタッフ
監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ
撮影:クリスティーン・A・マイヤー
衣裳:レイラ・ホジッチ
編集:ニキ・モスベック
製作:バーバラ・アルバート/ダミル・イブラヒモビッチ/ブルノ・ワグナー
共同製作:ボリス・ミチャルスキ/ダミル・リフタリッチ
キャスト
ミリャナ・カラノヴィッチ
ルナ・ミヨヴィッチ
レオン・ルチェフ
ケナン・チャティチ
LINK
□IMDb□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す