原題:千里走単騎

2006年/中国・日本/ 配給:東宝

2006年09月08日よりDVDリリース 2006年1月28日より全国東宝系にてロードショー

公開初日 2006/01/28

配給会社名 0001

解説


張芸謀(チャン・イーモウ)×高倉健
2人の夢が、世界に羽ばたく。

それは、映画「君よ憤怒の河を渉れ」からはじまった。

 ある1本の日本映画が、文化大革命後の1978年に、中国で歴史的役割を果たすことになった。長らく、外国映画が上映されることのなかった中国において、外国映画の開放政策がはじまり、その記念すべき第1作となったのが、1976年に日本で封切られた高倉健主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」(監督・佐藤純弥)だった。この作品は、当時ほぼ中国全土で公開され、高倉健の名は一躍知れ渡り、今日に至るまで中国では最も親しまれている日本人の一人である。そして、この映画を西安で熱い思いを胸に観ていた青年がいた。彼の名は、張芸謀(チャン・イーモウ)。そして今から15年前、北京で出会うことになるのだが、以来今日に至るまで、2人の友情は静かに、熱く育まれることになった。「いつか、高倉さんの映画を撮りたい」という張芸謀の願いを、高倉が受け止め、その願いは、いつしか2人の夢となったのである。

2000年夏、始動。

 張芸謀は、1987年「紅いコーリャン」で監督デビューし、同作品はベルリン映画祭で金熊賞を受賞。以来ベネチア映画祭で金獅子賞【「秋菊の物語」(92)、「あの子を探して」(99)で2度】カンヌ映画祭でパルム・ドール【「活きる」(94)】など、3大映画祭で数々の名だたる賞を受賞。また、エンターテインメント超大作「HERO」(03),「LOVERS」(04)で世界的な大ヒットを飛ばし、まさに世界が注目する映画監督としての地位を不動のものとした。その一方、永年の夢を実現すべく、遂に2000年夏に、高倉健と共に企画を水面下でスタートさせた。そして5年に渡るシナリオ作りを経て、遂に夢が現実となった。それが本作、「千里走単騎」(中国語原題—日本語読み:単騎、千里を走る)である。高倉健にとって「ホタル」(01年、降旗康男監督)以来、通算204本目となる。(外国映画への出演は、「ミスター・ベースボール」以来、5作目となる。)

「千里走単騎」—息子への想いを胸に、独り、千里を行く。

 「千里走単騎」は、日本でも馴染み深い「三国志」に由来する、中国の京劇の演目である。後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・曹操の手に落ちるが、劉備への義理と誠を貫き通し、最後はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという三国志の中でも最も感動的なエピソードの一つである。今もなお関羽は、中国民衆の中でも人気の高い人物で、商いの神様としてあがめられている地方もある。映画は、この舞踊「千里走単騎」を巡って展開していく。
物語は、現代の中国と日本が舞台となる。主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者の息子の代わりに、京劇「千里走単騎」を撮影しに、中国の奥地・麗江市を訪れる。この旅は、高田にとって、永年の確執によって生じた親子の、埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。しかし、高田は、経済発展とは無縁の、雅やかな美しい麗江の街並みや大自然、素朴で誠実な住人たちとの出会いや人々の心情に触れることによって、自分の行き場のない想いが少しづつ癒されていくのに気づきはじめるのであった……。

人は、心と心の交流を求めている。

 「HERO」「LOVERS」とエンターテインメント路線で、全世界で新しいファンを獲得した張芸謀の新作は、高倉健とのコラボレーションの結果、「あの子を探して」「初恋の来た道」等を彷彿させる、心の触れ合いを描くヒューマンな物語となった「この映画は、一組の親子関係を描くだけではなく、人と人との結びつき、すなわち人類にとって普遍的なテーマを描こうとしている」と張芸謀は言う。なぜ、人間同士は穏やかな関係を結べないのか、お互い傷つけあうのか。人間は実は人との結びつきを求めているはずなのに。「情感、人生に対する想い、思いやり、反省、愛・・・人間関係にまつわる様々な魂の触れ合いを描きたい」。それは、現代中国の現状とも関係していると張監督は静かに語る。「中国において、いま経済発展が著しいが、特に都会において、お金やビジネスへの価値観が偏重される一方、人間と人間の結びつきや親子の絆がどんどん薄まりつつある。とても哀しいことだ」。この問題は、日本でもここ十数年顕著になってきている。映画「千里走単騎」は中国映画ではあるが、一方日本の観客にとって無縁ではない、リアリティーを持つ映画に映ることになるであろう。もしかしたらこの映画が、日本と中国の庶民がお互いをより理解し合えるきっかけとなるかもしれないのである。

日中最高スタッフ、結集、2人の夢を強力にサポート。

 プロデューサーは、ビル・コン。香港最大の映画会社「Edko Films」代表。「HERO」(03),「LOVERS」(04)で張芸謀監督とコンビを組み、アカデミー賞外国語映画賞をはじめ数々の映画賞を獲得、今最も世界が注目するプロデューサーである。本作が張芸謀監督と3本目のコラボレーションとなる。メインスタッフには、同じく両作品の撮影監督を担当したチョウ・シァオディン。録音は、張芸謀と同期生でこれが3本目の作品となるトウ・ジン。ほか張芸謀監督を支えてきた中国映画界の精鋭スタッフが集結した。

 本篇の約2割相当が日本での撮影となった。
 日本撮影パートは、張芸謀監督の強い要望もあり、高倉健主演映画を数多く撮影したスタッフが担当した。「鉄道員」(99)「ホタル」(01)でもコンビを組んだ、日本映画界を代表する監督・降旗康男。撮影は、「八甲田山」をはじめ多くの主演映画を撮り続けてきた、木村大作。ほかそれぞれ所縁のある日本映画を支えてきたベテランスタッフが結集、まさに日中映画界の最高峰の顔合わせである。

 日本パートには、中井貴一と寺島しのぶが参加。中井が扮するのは、高倉健演じる高田の息子・健一役。この親子は、長らく断絶状態にあり、健一が病に倒れたことが物語の発端になる。実は中井は声だけの出演で難しい親子の絆を演じることになる。そして、健一の妻・理恵役に寺島しのぶ。夫の心情を高田に何とか理解してもらおうとする健気さと、義父の苦悩を思いやる優しさ、繊細さを卓抜した演技力で表現している。

 製作は、Elite Group (2004) Enterprises Inc. 本作は、中国映画である。製作協力は、東宝映画。配給は、東宝。05年末、中国公開。そして、06年、日本公開が決定。

ストーリー



 ある日、漁師の高田(高倉健)は、東京で民俗学を研究している息子・健一(中井貴一)が病で倒れたと聞き、上京することになる。しかし長年の確執もあり、見舞った高田に対して息子は会おうとしない。息子の命がもう長くないことを知り、やり切れぬ想いを抱く高田。そんな高田に健一の妻・理恵(寺島しのぶ)が、高田の心情を汲み、研究家としての健一の仕事振りを紹介したテレビ番組のビデオテープをそっと渡す。そこには、健一が中国の奥地・李村の民俗舞踊を研究・紹介する姿が映し出されていた。そして健一が舞踊家・李加民(リー・ジャーミン)に語りかけるシーンに高田の目が留まった。「来年、李さんの“千里走単騎”を撮りに来ます!」今となっては、決して果たされぬ約束。高田は、自らの心の奥底から湧きあがる想いを止めることが出来なかった。いま自分に出来ること、それは、息子健一の約束を自分が代わりに果たすこと……。高田は、理恵にも内緒で独り、決意する。

 数日後、高田は単身、ミャンマーの国境近くの中国・麗江市に降り立っていた。高田の手がかりは、李村に住む李加民という名前のみ。しかも高田の道案内する通訳・邱林(チュー・リン)は恐ろしく日本語が下手で当てにできない。この“千里走単騎”を巡る旅に、次々と難題が降りかかる。遅々として進まぬ状況、言葉もわからないこともあって苛立ちを隠しきれない高田。そして遂には、李加民を撮影することは不可能であるという絶望的な事実を突きつけられる。その時、彼は思いもよらぬ行動に出るのであった……。

スタッフ

監督:チャン・イーモウ
脚本:ツォウ・ジンチ
原案:チャン・イーモウ、ツォウ・ジンチ、ワン・ピン
文学企画:ワン・ピン
プロデューサー:ビル・コン、チャン・ウェイピン、シュウ・ジェン
撮影:チョウ・シァオディン
美術:ソン・リー
録音:トウ・ジン
作曲:グォ・ウェンジン
編集:チェン・ロン
ラインプロデューサー:チャン・ジェンイェン

【日本編スタッフ】
プロデューサー:森重晃、山田健一
監督顧問:降旗康男
撮影:木村大作
美術:若松孝市
録音:斉藤禎一
照明:斉藤薫
編集:川島章正
製作:Elite Group (2004) Enterprises Inc.
製作協力:東宝映画
配給:東宝

キャスト

高田役:高倉健
高田健一役:中井貴一
高田理恵役:寺島しのぶ

チュー・リン
ジャン・ウン
リー・ジャーミン

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