原題:Gift of Life

台湾映画祭2003上映作品::http://www.roc-taiwan.or.jp/film_festival/

2003年/カラー/148分/ 配給:シネマトリックス

2005年1月29日よりポレポレ東中野にてロードショー

公開初日 2003/12/23

公開終了日 2003/12/28

配給会社名 0433

解説


台湾ドキュメンタリー界の重鎮・呉乙峰監督が4年の歳月をかけて完成した、生命の意味を間う渾身作。1999年9月21日台湾大震災の直後、カメラを携え呉監督が率いる映像製作集団「全景」(P5参照〉のメンバーは被災地に急いだ。呉監督は震源地に近く、もっとも甚大な被害を受けたとされる九雰 二山で今回登場する7人4組の被災者家族に出会い、ひたすら彼らのそばで力になるよう寄りそった。テレビ局などの報道関係者が次第に引き上げていくなか、全景のメンバーは現地に残り共に生活を続け、悲しみを目の当たりにした。彼らが自然に話してくれることを待ち1心の動きをつぶさに見つめていく。

陳水扁台湾総統も感涙。台湾でまきおこった”『生命』旋風”
本作は山形国際ドキュメン田リー映画祭2003でのでの優秀賞受賞ほか、ナント三大陸映画祭2003で観客賞受賞など海外での評価も高之、台湾国内での上映を待望されていたが、「全景」全体で取り組んでいたプロジェクトのため公開は先延ばしになっていた。そして台湾大地震より5年たった2004年9月に台北で満を持して公開を迎えた。公開時に現台湾総統の陳水扁氏が来場、絶賛のコメントをテレビで流したことがネット上での評判やクチコミとあいまり、問い合わせの電話が「全景」事務所に鳴りやまず、観客も会場に殺到。反響の波は公開の延長、また台北の別の劇場が『生命(いのち)』のためにスクリーンをあけるまでに及んだ。『生命』への熱気はいまだ冷めやらず、2004年の国内台湾映画興行収入ナンバーワンとも目されている。その後も高雄などと上映は続いている。

台湾と神戸震災復興へはせる人々の思い
来年の2005年1月17日で阪神淡路大震災から10年を迎える。同じ被災地同士として情報交換や交流を深め、震災復興を進めてきた台湾と神戸。台湾・神戸双方からの被災地住民と専門家・行政・ボランティアが中心となって企画された「台湾一神戸震災被災地市民交流会」が、5年目の節目を迎えた2004年9月に台湾で行なわれ、2005年1月には神戸にて開催される。そのイベントでは『阪神大震災再生の日々を生きる』(青池憲司監督/2000年)と共に『生命(いのち)』が上映される予定である。

ストーリー

1999年9月21日に台湾全土を襲った台湾大震災。マグニチュード7.3の激震がもたらしたのは2500人以上の行方不明者と死者だった。土砂葉容赦なく家屋を飲み込み、緑溢れる九 二山は一晩にしてあとかたもなく土にかえってしまった家族や家族の遺品が見つかるのでは?南投県・國姓郷・九 二山被災者収容センターに寝泊りし、人々はがれきの山1ξ通い続ける。3週間たっでも家族は見つからない。あてどもなく、ブルドーザーが掘り起こしては出てくる遺品らしきものに一縷の望みを託し待つ遺族たち。日本に働きに行っで婚た藩順義・張美琴夫妻はすぐ台湾へ帰国、美琴の兄・張國揚、呉玉梅夫妻と共にうずもれた家族を探す。49日を過ぎ捜索が打ち切られ、周明純・明芳姉妹は家族を見つけることができず暦分二山から離れる。一家のほとんどが帰らぬ人となった羅侃如も親族の捜索を10日間延長してもらうが、見つけることができなかった。突然家族を失うという大きな喪失感を抱えながらどうやって人は暮らすことができるのか?

明るく楽しかった監督の父親はいまはすっかり生きる気力を失い宜蘭の老人ホームに暮らしている。目の前にいる父に対して何もできないといういらだち。家族に対する引き裂かれるこの思いには終わりがあるのだろうか?

何かが失われてしまった自分自身を再び感じるためにも手紙はしたためられる。人々は絶望の淵にありながらも”生命”の脈打つあたたかさを感じることができるのだろうか。

スタッフ

監督:ウー・イフォン
製作:ウー・イフォン
撮影:ヤン・ヅォンミン

キャスト

パン・シュンイ
チョウ・ミンチュウン
チャン・ゴーヤン
ロー・ペイルー

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