原題:Laissez-passer 

2002年ベルリン国際映画祭 銀熊賞(主演男優賞:ジャック・ガンブラン、音楽賞)受賞 第10回フランス映画祭横浜にて上映::http://www.unifrance.jp/yokohama/

フランス公開:02年1月9日

2002年/フランス/カラー/170分 配給:シネマパリジャン

2003年12月21日よりビデオリリース 2003年12月21日よりDVD発売開始 2003年5月10日よりシャンテシネにてロードショー公開

公開初日 2002/06/20

公開終了日 2002/06/20

配給会社名 0043

公開日メモ 第10回フランス映画祭横浜にて上映

解説


ひとりの男が朝露に濡れる野道を、木漏れ日溢るる木立の中を、漆黒の闇が迫る草原の一本道を、自転車でひた走っている。赤いランタンの灯がやがて照らし出すのは、夜明け前のパリの街か。荷台に携えるものは、同志との固い約束。ビゼーのアリアが耳もとで優しく囁くとき、彼は自由への渇望を身体全体に漲らせようとする……。

第二次世界大戦下、ナチス・ドイツ占領下のフランス、パリ。この激動の時代、人間としての尊厳や生きることの意義、そして愛と自由のために、命を賭して闘ったふたりの映画人がいた。
『田舎の日曜日』『ラウンド・ミッドナイト』『今日から始まる』と、いまやフランス映画界を代表する名匠ベルトラン・タヴェルニエが、占領下の時代、ドイツ資本で経営された映画会社コンティナンタルで働くふたりの男が、すれ違いながらも微妙に交錯する運命の軌跡を縦糸に、まさに“事実は虚構よりも奇なり”を実証するような史実に基づく数々のドラマティック、かつユーモアあふれる大胆不敵で感動的なエピソードを横糸に巧みに織り込みながら、ダイナミックな映像で見事に当時を再現した『レセ・パセ 自由への通行許可証』は、近年のフランス映画では稀に見る、3時間に及ぶ壮大な超大作である。

1942年、占領下のパリ。ナチス・ドイツのプロパガンダとして設立された映画会社コンティナンタル社。そこには、レジスタンス活動のために、あえて「敵の懐に飛び込み」、フランス全土を検問なしで横断できる通行許可証(レセ・パセ)を手にした助監督ジャン=ドヴェーヴルがいた。そして、この苛酷な状況下でひたすら唯我独尊を貫き、女とペンに情熱を傾けた脚本家ジャン・オーランシュも、日々の糧にも事欠く旧友の姿を見て、やがて自らの信念を曲げ、このドイツ系映画会社のために脚本を執筆することになる。果たして彼らは、このまま唯々諾々とこの会社で映画の仕事を続けるべきなのか、それとも対独協力を拒んで、すべてを投げ打ってこの撮影所から逃げ出すべきなのか?

『レセ・パセ 自由への通行許可証』は、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』が金熊賞(グランプリ)を受賞したことでも記憶に新しい、昨年2002年のベルリン国際映画祭において、ジャック・ガンブランが男優賞、アントワーヌ・デュアメルが音楽賞と、ダブル銀熊賞に輝く快挙を成し遂げ、グランプリに勝るとも劣らない話題を巻いたことでも注目を浴びた。また、にわかに暗雲の立ち込める混沌とした現代の社会状況に何らかの普遍的な共通点を見い出したのだろうか、昨年末に発表されたアメリカ「タイム」誌では、ペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』や『ロード・トゥ・パーディション』『戦場のピアニスト』らと並んで年間ベストテンに選出されるなど、いかにして人間は自らの主義を曲げることなく人生を貫くことができるのかというテーマの崇高さが大きな共感を呼んでいる。

ジャン=ドヴェーヴルとジャン・オーランシュ。閉塞的な戦時下のフランス映画界において、大きな役割を果たしたこの“ふたりのジャン”を語ることなくして、これまでのベルトラン・タヴェルニエの経歴に触れることは不可能だろう。
ジャン・オーランシュ。作家出身のピエール・ボストとともに、『肉体の悪魔』『禁じられた遊び』『可愛い悪魔』など、フランス映画史に残るあまたの名作脚本をものした才人。ヌーヴェルヴァーグ前夜、まだ「カイエ・デュ・シネマ」の批評家だった《フランス映画の墓堀人》フランソワ・トリュフォーによって、完膚なきまでに酷評された後も、タヴェルニエは「ポジティフ」でふたりを熱烈に擁護し、彼らの脚本による『サン・ポールの時計屋』で長編デビューを飾った。ボスト亡き後も、オーランシュとは共同執筆による『祭りよ始まれ』『判事と殺人者』『荒療治』の3作品を監督し、またカンヌ国際映画祭監督賞に輝く代表作のひとつ『田舎の日曜日』は、ボストの最後の小説「ラドミラル氏はもうすぐ死んでしまう」の映画化というように、文字通り浅からぬ因縁、タヴェルニエの深いこだわりが、そこにある。
そしてもうひとり、ジャン=ドヴェーヴルは、近年のフランス映画界では忘れられた存在だったが、タヴェルニエが青年時代に観た彼の監督作『11時の貴婦人』と『7つの罪の農場』に感銘を受け、93年にリュミエール研究所で彼自身を招聘してこの2作品を上映、再評価のきっかけを与えて以来、ふたりは現在もなお濃密な親交を続けている。

しかし、タヴェルニエはこの映画を、単なるふたりの映画人へのオマージュには留めていない。“ふたりのジャン”をはじめとする当時の映画人たちの複雑、かつ時には矛盾に満ちた激しい情動を、「内部に入りこんで、その興奮やエネルギー、不安を伝えたい」と語るタヴェルニエだが、同時に「単純な善と悪との二極対立にしたくなかった」とも言う。そこにタヴェルニエの人間洞察の奥深さを垣間見るが、たとえばコンティナンタルのドイツ人責任者であるアルフレート・グレフェンは、これまでのフランス映画史においては、いわば悪役的存在だったが、かつてウーファの製作主任を務めた経歴を持つ彼の教養深く親仏的、かつ映画への愛は、ナチスのプロパガンダ省の大臣だったゲッベルスの意に反して、結果的に、クリスチャン=ジャックの『幻想交響楽』に代表される、観客の拍手喝采を巻き起こすような、フランス人の才能に意気揚揚とさせる愛国的映画を作り上げることになった。たとえそれが、独裁者的な野心からであったとしても、グレフェンはアンリ・ドコアンやクリスチャン=ジャック、モーリス・トゥールヌール、シャルル・スパークといった当代随一の有能監督や脚本家と積極的に契約し、ダニエル・ジェランやマルティーヌ・キャロル、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、アンドレ・カイヤットといった若き才能を発掘した人物であったことは、明白である。こうしてタヴェルニエは、映画史の影に隠れていた“もうひとつの真実”にスポットを当てるとともに、失業者があふれ、崩壊寸前なまでに不振を極めていたフランス映画界において、ナチス・ドイツが経営権を握っていた映画製作会社が、『幻想交響楽』はじめ、クルーゾーの『密告』『犯人は21番に住む』、トゥールヌールの『悪魔の手』『セシルは死んだ』、ドコアンの『最初の逢引き』、アンドレ・カイヤットの『貴婦人たちお幸せに』など、今もなおフランス映画史に燦然と輝く幾多の名作を輩出、その希望に満ちた未来の礎を築くことになるこの皮肉な事実を明らかにしてゆく。
タヴェルニエは、本作を「この物語に関わったすべての人たち」に捧げている。

助監督として精力的に撮影現場を取り仕切りながら、衝動的な本能に突き動かされるかのようにレジスタンス活動に身を投じてゆくジャン=ドヴェーヴルに、『クリクリのいた夏』『マドモワゼル』のジャック・ガンブラン。その一方で、田舎に疎開した妻子とつかの間の幸福を噛み締めるため片道385キロの道のりを自転車で疾走する、人間味あふれる熱血漢を、実際にノルマンディのグランヴィルからスペインに近いジェール県までの長距離を自転車で完走するガンブランが、ジャン=ドヴェーヴルとのそんな稀有な一体感のうちに演じ切り、その迫真の緊迫感が観る者の胸にもひしひしと打ち寄せる。
3人の愛人を渡り歩きながら、ペンとインクでナチスに立ち向かう、好奇心旺盛の愛すべき脚本家ジャン・オーランシュに、『そして僕は恋をする』『青い夢の女』の個性派ドゥニ・ポダリデス。プレイボーイでありながら、脚本家としての自信に揺れ、つねに自責の念に苛まれている繊細なアーティストの、“書くことによってレジスタンスする”内面を、飄々とした軽やかさで体現している。
そして、オーランシュの愛人たち。聡明な高級娼婦オルガを、タヴェルニエの『ひとりぼっちの狩人たち』で本格派女優として認められ、ランコムのイメージガールを務める一方、『ラスト・ハーレム』『星降る夜のリストランテ』など果敢な飛躍をみせるマリー・ジラン。『犯罪河岸』で知られる当時の大女優シモ−ヌ・ルナンをモデルにしたと思われるスザンヌ・レモンに、『ダディ・ノスタルジー』のシャルロット・カディ。彼女は、タヴェルニエの公私に渡るパートナーでもある。そして、どこか人の良さを感じさせる未亡人のレーヌには、『今日から始まる』で注目されたマリア・ピタレシというように、“タヴェルニエ・ファミリー”とでも言いたい女優陣が競演。さらに、ジャン=ドヴェーヴルの妻シモーヌ役に抜擢されたマリー・デグランジュは、本作の主題歌「時のすぎゆくままに」も歌う、いかにもタヴェルニエ好みの知性を窺わせる新鋭美人女優である。ほかに、オーランシュのアリバイ作りのため、危険を顧みず尽力するプロデューサー兼監督のロジェ・リシュべに、ダルデンヌ兄弟作品の常連俳優で、昨年のカンヌ映画祭において最新作「息子」“La Fils”で最優秀男優賞に輝いたオリヴィエ・グルメがピリリと脇をしめる名バイプレーヤーぶりを発揮している。

《オーランシュとジャン=ドヴェーヴルの回想》から、タヴェルニエとともに野心的な脚色に取り掛かったのは、『素顔の貴婦人』『コナン大尉』でタヴェルニエとコンビを組み、『愛の報酬/シャベール大佐の帰還』で歴史劇に手腕を揮ったジャン・コスモ。タヴェルニエ曰く「共犯感覚を結べた」と明言し、大胆なキャメラワークを見せる撮影監督は、『ひとりぼっちの狩人たち』『今日から始まる』で気心の知れた盟友アラン・ショカール。音楽は『気狂いピエロ』『夜霧の恋人たち』など珠玉のヌーヴェルヴァーグ監督作品で評価され、タヴェルニエの『ダディ・ノスタルジー』やパトリス・ルコントの『リディキュール』で本領を示したアントワーヌ・デュアメル。戦中、戦後と、その陶酔的な歌唱で人気を博したシャンソン歌手、ティノ・ロッシの歌うビゼーのオペラ「真珠採りのタンゴ」より、アリア《耳に残るは君の歌声》が、ジャン=ドヴェーヴルの愛と自由への道行きの伴奏者として効果的に使われているのも、忘れがたく深い印象を残す。オリエンタル・テイストあふれる娼館のほか、当時のコンティナンタル社の内部を寸分たがわず再現した美術デザインは、『ジェリコ/マゼッパ伝説』『ひとりぼっちの狩人たち』のエミール・ジゴ、衣裳デザインを『デリカテッセン』『薔薇の眠り』のヴァレリー・ポッゾ・ディ・ボルゴが担当し、それぞれが渾身の仕事ぶりをみせ、作品世界に多大に貢献している。
なお、2月22日に発表されるセザール賞では、音楽賞と美術デザイン賞でノミネートされている。

ストーリー

1942年3月3日
フランス、パリ。愛人との逢瀬が刻一刻と迫り来り、いっこうに落ち着くことなく“女の館”を慌しく走り回るひとりの男がいた。彼の名はジャン・オーランシュ(ドゥニ・ポダリデス)。名だたる脚本家である彼は、ナチス・ドイツに占領され、停滞するフランス映画界においても、ドイツ資本の映画会社コンティナンタルの誘いに頑として首を縦に振らない気骨の人だ。観察眼に優れ、いざ執筆に取り掛かるや、前後不覚で仕事に没頭する彼も、こと女性に関して言えば、からっきし弱い移り気な浮気者である。果たして、館の主人に口止め工作を徹底し、客待ちの娼婦たちに密会相手の女性の顔を見ぬよう無理やり部屋に押し込んだ直後、彼の前に現われたのは大女優のスザンヌ・レモン(シャルロット・カディ)だった。喉から手が出るほど熱望していたアンドレ・カイヤットの新作の役をダニエル・ダリューに奪われたと落胆している彼女を、オーランシュは「君にピッタリの役を書いたよ」と、プレイボーイらしい恋の手管を発揮して、ベッドに誘う。そんなとき、戦闘機の遠い爆音が部屋の中に響く。どうやら、パリ近郊ルノーの街がイギリス軍からの空爆を受けているようだ。窓から見える夜空をほのかに染めあげる戦火の灯が、まるで先の見えない今の時代を象徴するかのように、オーランシュの眼には映った。
その爆撃の最中、闇と炎、そして逃げ惑い混乱する人々の間隙をぬって街を疾走するもうひとりの男がいた。彼、ジャン=ドヴェーヴル(ジャック・ガンブラン)は、妻シモーヌ(マリー・デグランジュ)と生まれたばかりの息子の安否を確かめるため、託児所に向っていた。しかし、いざ到着しても爆風は絶え間なく室内に降り注ぐ。ひとまず、妻子の無事を確認し、安堵した彼が次に急ぐ場所は、ブーローニュの映画撮影所だ。そう、彼は助監督として、今まさにクランク・アップ直前のリシャール・ポティエ監督作『城の中の8人の男』の陣頭指揮を執っていたのである。少ない予算と撮影日数、さらには満足な機材もなく、慢性のフィルム不足に悩まされながらも、彼らは映画作りに日々、精魂を傾けていた。実は、ジャン=ドヴェーヴルにはレジスタンスの活動家という、もうひとつの顔があった。何者かの密告によって、同志が次々と逮捕される中、ジャン=ドヴェーヴルは助監督仲間のジャン=ポール・ル・シャノワ(ゲッド・マルロン)から地下活動のビラの原稿を受け取る。これを妻のシモーヌにタイプしてもらうのだ。レジスタンスの闘士で共産党員、さらに本名をジャン=ポール・ドレフュスというユダヤ人のル・シャノワは、現在、コンティナンタルで製作される『悪魔の手』の脚本をジャン・オーランシュに代わって執筆していた。そして彼から、この作品の助監督にと請われたジャン=ドヴェーヴルは、まさか自分がドイツ資本の会社で働くなんてと我が耳を疑う。そんな彼にル・シャノワはこう言うのだった。「敵の陣地に飛び込んだ方が、安全さ」。
結局、ル・シャノワの誘いに応じたジャン=ドヴェーヴルは、生まれて初めてコンティナンタルの撮影所に足を踏み入れることになった。撮影所には、ドイツ人責任者のアルフレート・グレフェン(クリスチャン・ベルケル)と秘密警察のバウアーマイスター(ゴッツ・バーガー)が厳しい監視の目を光らせ、さらに親衛隊の幹部フォン・シェルテルの部屋まで用意されていた。いかめしい管理体制の中、しかし映画作りに関してだけ言えば、グレフェンの態度は意外なほど、柔軟だった。「重要なのは、いい映画を作ること」。晴れて、コンティナンタルの社員となったジャン=ドヴェーヴルは、フランス中を検問なしに通り抜けることのできる“通行許可証(レセ・パセ)”を支給されるのだった。
一方のオーランシュは、いまだにコンティナンタルからの仕事の依頼を断るのに四苦八苦している。彼に「ドイツのために働くのも、収容所送りも嫌だ」と泣きつかれた旧知のプロデューサー兼監督のロジェ・リシュべ(オリヴィエ・グルメ)は、オーランシュのために危険を承知で、半年、いや10年先までの仕事の約束を快諾する。
執筆道具と資料があふれんばかりに詰まった大きなトランクを抱えて、夜毎、女たちの部屋を渡り歩くオーランシュが、次に行き着いたのは東洋風の飾り付けが豪奢に眼を奪う高級娼館に働く娼婦オルガ(マリー・ジラン)のもとだった。オーランシュは、若くて美しく、そして気立ての良いオルガと言葉を交わすうちに、次第に混乱している自分の胸のうちを吐露してしまう。「自業自得だけど、断ることができないんだ。そのせいで、今や脚本3本に女性4人を抱え込んでいる」。というのも、最近、仕事に行き詰まりを感じていたオーランシュは、同僚のピエール・ボスト(クリストフ・オダン)の才能に、羨望にも似た嫉妬を感じていたのだった。聡明なオルガは、「あなたは優しいからよ」とオーランシュを慰めつつ、愛の褥に彼をいざなう。こうしてひととき、不安から解放されたオーランシュに、オルガはいつか皮革製品の店を持ちたいという夢を聞かせるのだった。「娼婦のままで終わりたくない」と。
持ち前の衝動的な正義感に突き動かされてか、ジャン=ドヴェーヴルのレジスタンス活動は、次第に危険と隣りあわせのものになってゆく。しかし、シモーヌの心配とは裏腹に、彼はドイツ軍用列車の爆破で一緒になった男ピエール・ノールから「冷静な男だ」とその大胆不敵さに舌を巻かれてしまうのだった。もしかすると、彼は生まれついてのレジスタンスだったのかもしれない。その一方で、『悪魔の手』の撮影現場では監督のモーリス・トゥールヌール(フィリップ・モリエ=ジュヌー)の代理としてもたしかな演出力を発揮し、当のトゥールヌールから「素晴らしい、私以上の出来だ」と、その仕事ぶりを絶賛される。ことほどさように、レジスタンス活動に身を投じていることなど、微塵もその素振りを窺わせないジャン=ドヴェーヴルであった。
そして、その日も、グレフェンからの依頼を断ったオーランシュだが、偶然再会した脚本家のルネ・ウィーレールが、仕事もなく、路上で靴ひもを売ることで日銭を稼いでいるのを目の当たりにし、彼との共同脚本を条件に、ついにコンティナンタルの仕事を引き受けることにするのだった。

1943年3月
コンティナンタル社でアンドレ・カイヤット監督、ミシェル・シモン主演の『貴婦人たちお幸せに』の撮影が佳境を迎えていた頃、シモーヌの弟で、撮影所でエキストラとして働いていたジャック・デュビュイ(オリヴィエ・ブラン)が逮捕された。しかし、カバンの中からレジスタンスのビラを発見されたジャックは、その後、二度と彼らの前に姿を現わすことはなかった。
一方、オルガの付き合っている密売人ポール・メルボー(ティエリー・ジボー)こそが、俳優アリ・ボールを死に追いやった犯人だと確信したオーランシュは、彼女のもとから去る決意する。そして彼は置手紙に、こう記すのだった。「書く勇気はあるが、苦痛には耐えられない。でも、この恥の時代に戦いを挑む、僕の唯一の武器で。食うために書くのはやめる」と。そして、それはオーランシュが初めて明かす明確なレジスタンス宣言であった。しかし、愛人のスザンヌとも、彼女がはめている指輪をめぐって些細な嫉妬から激しい口論に発展したものだから、こうして行き場を失ったオーランシュが身を寄せたのは、スザンヌの衣裳係でもある未亡人のレーヌ(マリア・ピタレシ)のアパルトマンだった。
折りしも、イギリス軍による空爆が激化の一途を辿り、ジャン=ドヴェーヴルはシモーヌとひとり息子を、彼の名付け母ジョゼフィーヌが暮らすクルビニー村に疎開させることにする。こうして、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『密告』がコンティナンタル社を騒然たる話題で包み込んでいた頃、ジャン=ドヴェーヴルは、週末ごとにパリからクルビニー村までの片道385キロの道のりを、昼夜を徹して自転車で往復することになるのだった。
朝もやに煙るパリの町並みを往き、路面列車と併行した野道を抜けるや、朝露を残した若葉の草いきれが、彼の頬を爽やかに撫でる。湖の水面を横目に望み、時折通り過ぎるトラックの荷台に手をかけて、しばしペダルを扱ぐ足を休めるジャン=ドヴェーヴル。午後の木漏れ日が穏やかに降りそそぐ木立を走り、上り坂の続く山道を息を弾ませながら登りきった頃、次第にあたりは夕暮れの闇に包み込まれる。漆黒の闇の中、鮮明に浮かびあがる紅いランタンの輝きのみが、唯一の旅の道連れになっても、彼はただ前だけをしっかと見据え、ひたすら続く一本道を速度を緩めることなく、進み続ける。こうして、彼はクルビニー村でつかの間、最愛の家族の無事を見届けるや、今度は検問の目を逃れるようにして、同志たちのための食料をパリに持ち帰るのだった。泥が貌にはねかかろうとも、初春の夜風が容赦なく肌を刺そうとも、ゴーグルをかけた白皙に、きりりと一途な面差しを絶やすことのない彼の脳裏をよぎるのは、「普通に話せる日が来るのかしら」とぽつりとつぶやくシモーヌと我が子への惜別の情、そして自由への耐えがたい渇望に他ならないのだった。そして、どこまでも自力で自転車を駆って道を往くこと、それこそがジャン=ドヴェーヴルにとってのレジスタンスでもあった。
兄弟がレジスタンス活動に参加している容疑で、脚本家のシャルル・スパーク(ロラン・シリング)が逮捕されたと聞いたオーランシュは、次は自分の番かもと、不安を募らせるが、私生活では相変わらずはちきれそうなトランクを抱えながら、女たちの間を行き来している。しかし、意を決して久しぶりに立ち寄ったスザンヌからは、夫が来ているからと追い返され、結局、嘘と甘言を弄してレーヌのもとに再び転がり込むオーランシュであった。
トゥールヌールの『セシルは死んだ』の撮影中の週末、たちの悪い流感に悩まされ、寝込んでしまったジャン=ドヴェーヴルだが、ポティエから次回作の脚本を取りに行くよう命じられ、無理を押して撮影所に向う。ところが、守衛から渡された鍵は、フォン・シェルテルの部屋のものだった。こうして、軍事秘密の書類を入手することになったジャン=ドヴェーヴルは、ひょんなことからイギリス軍機に乗せられ、連合軍の諜報部に連行されてしまう。偶然の結果だと言ってもいっこうに信じてもらえず、執拗に取調べを繰り返されるジャン=ドヴェーヴル。こうして、彼にとって最悪で最高の週末は、映画以上とも言えるこのハプニングによって、劇的に過ぎていったのだった。

1943年11月
時代の空気は微妙に変化しつつあった。獄中に監禁されていたスパークが、「君の脚本が好きだ、君に書いてもらいたい」というグレフェンの要請によって、一時的に釈放され、撮影所に帰還を果たしたとき、映画の仲間たちは彼に拍手を惜しまなかった。そしてジャン=ドヴェーヴルは、スタッフから贈られた「元気を出してくれ」のメモ書きをスパークに手渡すのだった。
一方、レーヌ、ボストと閑寂とした食卓を囲むオーランシュは、「俺は半開きに目を閉じるんだ、人々が通り過ぎるのを、そっと見るために。不真面目だ」と自嘲気味に真情を吐き捨てる。そんな彼に、ボストは脚本を執筆することの意義について静かにこう語るのだった。「職人たちの人生が脚光を浴びる。そのうえ、こんなにいい友人に恵まれた」。それを聞いたオーランシュの表情に、わずかながらも安堵の微笑が浮かんだ。
それから間もなく、ル・シャノワの逮捕を知ったジャン=ドヴェーヴルは、自転車にまたがり、撮影所を後にする。17時間、ペダルを踏み続ける彼は、もう振り返ることはない。レジスタンスの同志の許へ向うだけだ。その後、彼はコンティナンタルの撮影所内に二度と足を踏み入れることはなかった。今、ジャン=ドヴェーヴルはこう言う。「もし、あの時代に戻ったとしても、きっと同じことをするだろう…」と。

スタッフ

監督:ベルトラン・タヴェルニエ
脚本&台詞:ジャン・コスモ
撮影監督:アラン・ショカール
音楽:アントワーヌ・デュアメル

キャスト

ジャック・ガンブラン
ドゥニ・ポダリデス
マリー・ジラン

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