原題:The Chimp/MAIMYL

2001年カンヌ国際映画祭〈ある視点〉部門正式出品 第14回東京国際映画祭コンペティション部門出品::http://www.tiff-jp.net/

2002年1月23日フランス初公開

2001年/フランス・キルギス・日本/カラー/35mm/90分/1:1.66/ドルビーSRD/ 製作・配給:ビターズ・エンド

2003年10月24日よりDVD発売&レンタル開始 2003年10月24日よりビデオ発売&レンタル開始 2002年9月7日よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー公開

公開初日 2002/09/07

配給会社名 0071

公開日メモ 『あの娘と自転車に乗って』のアブディカリコフ監督長編第2作。17歳の少年チンプが経験する様々な出来事─初恋、父親との衝突。キルギスの雄大な自然のもと、思春期の少年が大人へと成長してゆく過程を瑞々しく描く。

解説



キルギスの小さな村から、
少年は大人への列車に乗って旅立つ——

煙を上げて列車が走る、山間の小さな村。耳が猿(チンパンジー)のように大きいので仲間たちから“チンプ”というあだ名で呼はれている少年は、この村で生まれ育ち17歳になった今、鉄道の仕事を手伝いながら仲間たちと兵役前のひとときを大いに楽しんでいた。タバコにお酒、バイクにギター、そして何より一番の関心事は女の子。ちょっぴり奥手のチンプにも遠くから想いを馳せる少女ウィカがいた。真夏の夜のダンスパーティー、初めてのキス、不器用な愛の告白…。浮き足立った毎日に、胸の鼓動は高鳴るばかり。しかし家では、酒に溺れる父親にしびれを切らした母親が妹を連れて村を出てゆくのだった…

『旅立ちの汽笛』は、キルキスの雄大な自然の中、17歳の青春期を迎えた少年が初恋や友情、父親との葛藤を経て、故郷の村を発ち、たくましく生きてゆく様を描き出す。好きな女の子への届かぬ想い、アルコール中毒の父親への反抗…。仲間たちとの奔放な日々は、突然、苦悩に満ちたものとなる。厳しい現実に直面し、何もできない自分に苛立ちを覚えなから、やがて少年は、困難に立ち向かう勇気を得て、未知の世界へと旅立つのだ。
時代が変わっても、国は違っても、少年期は誰にとっても特別で、自我を形成する上で最も大切な時間。本作『旅立ちの汽笛』の中に映し出される少年の姿は、観るものの記憶と共鳴し、いつまでも心に残り続けることだろう。

父親(監督=アクタン)と息子(主演=ミルラン)が
映画の中で共に過ごす青春時代、その幸福なる時間

世界中の人々を至福の感動で包み込んだ『あの娘と自転車に乗って』から2年、アクタン・アブディカリコフ監督、待望の最新作『旅立ちの汽笛』がキルギスから届いた。監督自身の少年時代を切り取る三部作の、最終章を飾る本作は、大人になり始めた17歳の少年の心の揺れを綴ってゆく。常に“少年時代の記憶”を作品に紡いできた監督。中編「ブランコ」には子供時代の、続く長篇テビュー作『あの娘と自転車に乗って』には思春期の、本作には青春期の、その時々の体験や思い出、感情といった様々な記憶のかけらが散りばめられている。
本作の主人公と同じ“チンプ”というあだ名で呼ばれていたアフディカリコフ監督。そんな彼の“少年時代の記憶”を、身を持って演じるのは前2作と同様、実の息子ミルランである。ミルランの成長とともに映画の中の主人公も成長してゆくという、今までにない奇蹟のような三部作が誕生した。
「映画を通して、父をより深く理解できるようになった」と語るミルランは、現在20歳。将来は父親のような映画監督になることが夢だという。父と子の絆は、この三部作での共同作業を通して、固く結はれた——。

五感を刺激する様々な“記憶のかけら”、
変わりゆく色や音…
アブディカリコフ監督の意欲的な試み

風にゆれるポプラの木のざわめき、陽に灼けた土の匂い、線路わきに咲く花の香り。そんな“五感の記憶”から鮮やかに蘇る、過ぎ去った青春の日々の思い出…。スクリーンには、画家を目指していたというアフディカリコフ監督ならではの詩的で、抒情的な世界が広がる。そして、三部作にわたる少年の成長の過程は、色や音といった映画的手法においても果敢に挑戦されている。モノクロ映像で、セリフもほとんどない「ブランコ」、続く『あの娘と自転車に乗って』ではモノクロの中に、少年の気持ちの変化に合わせてセピアやカラーシーンを挿入、音楽は1台の楽器が奏でるシンプルなものを2、3使ったのに対し、本作『旅立ちの汽笛』では、より現実的な大人の世界に近づき、記憶も鮮明になった少年の心境を示すかのように全編カラー。自然の音を生かしながらも、ビートの効いたダンスナンバーからオーケストラを使ったシンフォニーまで多種多様なジャンルの音楽を使用し、青春時代を迎えた少年の複雑な感情の変化を表している。

懐かしさと素朴が同居する国、キルギス

中央アジア、キルギス共和国。91年ソ連邦が崩壊し、独立を宣言して10年余り。標高5000メートルを越える天山山脈のふもとに広がる山岳と草原の国は、その風光明媚な立地から“中央アジアのスイス”と呼ばれている。かつて、アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの一地点として栄え、様々な国の人々の往来があったこの地帯。その影響は今も色濃く残り、本作『旅立ちの汽笛』には、髪色、肌色、目の色の違う多様な人種がごく普通にひとつの村に暮らしている状況を映し出している。そして少年チンプをはじめ、日本人とよく似た顔つきの人々も登場する。
チンプ以外のキャストには、役柄のイメージに近い村人たちがオーディションによって選ばれた。彼らの日常会話を取り入れることで、自然な演技を引き出すことに成功している。
陽だまりの国キルギス——雄大な自然と穏やかな人々が生きるこの国には、今もゆったりとした時間が流れ、少年の未来を見守る温かな眼差しに満ち溢れている。

キルギス共和国の映画製作について

キルギス(現キルギス共和国)は、旧ソ連加盟の15の共和国の中で、一番遅く映画製作がスタートした国である。最初の長編劇映画が製作されたのは1957年、そして、キルギスフィルム・スタジオが正式に発足したのは61年である。以後、スタジオで毎年3、4本の長編劇映画が製作されるようになった。60年代後半には、日本でも紹介された監督、ボロトヘク・シャムシエフ(『白い汽船』76)や、トロムーシュ・オケーエフ(『白い豹の影』84)らの作品が国際的に注目を集め、それらは“キルギスの奇跡”と賞賛された。それ以降も、キルギス映画は国際映画祭で様々な賞を受賞する。
90年代に入り、ソ連崩壊後の独立に沸いた一方で、キルギスでの映画製作においては、困難な状況の始まりであった。隆盛を放ったキルギスフィルム・スタジオは、国営のまま維持されてはいるものの、国家予算で作られる作品は、テレビ用のドキュメンタリーやアニメーションのみとなり、劇映画に関しては、独立プロダクションによる製作が中心となる。しかし、長編ともなると、莫大な製作費が必要となるため、海外の資本もしくは共同で製作することとなる。そして独立後7年にしてフランスとの合作により、キルギス共和国の長編劇映画第1作『あの娘と自転車に乗って』が誕生した。世界中の映画祭で上映され賞賛を浴びて、次回作が待たれた2年後、ついに本作『旅立ちの汽笛』がフランス、日本(ビタース・エンド製作参加)との合作により完成した。脚本には、フェリーニ、アントニオーニ、アンゲロプロスといった巨匠の作品を数多く手がけるベテラン、トニーノ・クエッラが参加。海外との共同作業によって夢のコラボレーションが実現した。
フランスでの一般公開に続き、本国キルギスで『旅立ちの汽笛』が一般公開されるや、前作『あの娘と自転車に乗って』を上回る大ヒットを記録した。劇場では、アメリカやヨーロッパの映画ばかりが上映される中、観客たちは、自らの未来への希望を少年チンプの姿に重ね合わせるかのように、本作に酔いしれ、笑い、涙した。『旅立ちの汽笛』の大ヒットによってミルランは、キルギスでかなりの人気者になっているという。

(東京国際映画祭では、The Chimpの題名で上映)

ストーリー



兵役の前の身体検査。少年の日焼けした大きな背中にあてられた聴診器からは、規則正しく心臓が鼓動するのが聴こえる。廊下では頭を丸坊主に刈った少年たちが順番を待っている。

夜更けに母親から起こされた少年は、今日もまた父親が酔っ払ってどこかに留め忘れてきたらしいバイクを探すように言われる。闇の中を歩き回り、ようやくバイクを見つけて家に帰ると、酔った父親が暴れ、母親ととっくみ合いをしていた。とめに入った少年が今度は父親と掴み合いになる。騒ぎで目を覚ました妹が、目に涙をいっぱい溜めてその様子を見ている。

少年は仲間たちの間でチンプというあだ名で呼ばれている。耳が少しとがって前に傾いている感じが猿のそれと似ているからである。走る貨物列車の横を二人乗りした自転車で飛ばして追い越すチンプたち。秘密の場所に友達と集まってすることといえば、タバコを吸って、酒を回し呑みすること。そして目下の関心事は兵役の前に女の子と“やる”ことだ。女の子とあやとりしながら靴の先にのせた鏡でスカートの中を覗き見したり、友達が手に入れたヌード写真の載ったトランプを見てどの女がタイプかとはしゃいでみたり。まだまだあどけない少年たちの頭の中は異性のことでいっぱいだ。

真夏の夜のダンスパーティ。闇夜に浮かぶライトは頬を照らし、バンドが鳴らす激しいビートは心臓を打ち、少年たちの体は次第に熱を帯びてくる。思い思いのステップを踏んで踊り戯れる少年たち。女の子の前でかっこつけて、とかす髪もない坊主頭に櫛をあててみたかと思えば、その櫛で今度はズボンの折り目をつけてみる。持て余したカを発散させるかのように、女の子の奪い合いで、他のグループの少年たちと喧嘩をして、警宵に追いかけられたりもする。

チンプにも密かに思いを寄せている女の子がいた。その娘の名前はヴィカ。すらりとした脚がきれいで風になびく柔らかい金髪がとてもすてきな女の子。いつもチンプは遠くから見つめているだけである。ある晩、皆でセリョージャの家に集まった。レコードから流れるスローな曲に合わせてダンスが始まった時、チンプは思い切ってヴィカと踊ろうと踏み出すが他の少年にとられてしまう。

兵役までの間、チンプは鉄道整備の仕事を手伝っている。兵役の前に女の子と遊ばなきやと大人たちにからかわれながら、線路を点検してゆく。踏切近くの鉄塔に駐在しているカーチャは、チンプの憧れの女性。とても綺麗な顔立ちだがなぜだか寂しげな眼をしていて、片方の頬に大きなあざかある。鉢に咲く紅い花の手入れをしながらカーチャは今日も鼻歌を歌っている。

時にはテンプも家で夕飯のしたくを手伝うことがある。中庭の食卓で、いたずら好きな妹と、母親も交えてじゃれあいながら、久しぶりに明るい声が家のなかにこだまする。そして、今日に限って酒の入っていない父親が不機嫌な面もちで帰ってきて水を差すのだった。「うるさい!騒ぐな!」

ある日、職場仲間2人が太った娼婦ジーナをバイクに乗せて仕事場にやってきた。帰ると言いだしたジーナをバイクで送るように言われたチンプは青空の下、ジーナを乗せてバイクを走らせる。チンプの背中にぴったりと抱きついて、ジーナは陽気に歌を唄いながら、だんだんとその手をテンプの股間に当ててゆき、からかう。腹立ち半分、もやもやした気持ち半分でチンプがいてもたってもいられなくなったその時、ガソリンが切れてバイクは止まってしまった。火照った身体を冷ますためチンプは一人河に飛び込んだ。

ある日チンプはセリョージャたちとジーナの家に忍び込んだ。ドアの隙間からジーナがベットに寝ているのを確認して、こっそりと部屋に入る。セリョージャがスボンのシッパーを降ろしたその瞬間、突然声が上がった。一目散に逃げ出す少年たち。ゆっくりとドアから現れたのはあひるだった。

日が暮れて、大きなポプラの木の下に皆で集まって、焚き火を囲み、ギターを弾いて歌を唄っていると、酔っぱらったチンプの父親が、呑み仲間とジーナと共にバイクでやってきて、飲み屋に酒をせがんでいた。腰が立たず壁にへばりついた父親の姿に見かねたチンプは立ち上がって、父親を背中にかついでサイドカーに乗せた。呑み仲間から大声で怒鳴られながら、懸命にバイクのエンジンをかけようとするがかからない。その様子を見ていたセリョージャが、歌の輪から抜け出して2人が乗ったサイドカーを押して手伝う。

父親の酒癖の悪さについに我慢ができなくなった母親は子供たちを連れて家を出ることを決心する。チンプは村を出るバスにいったんは乗り込んだが、職場に仕事をやめることを伝えてくると言ってバスから降りるのだった…。

スタッフ

監督:アクタン・アブディカリコフ
脚本:アクタン・アブディカリコフ、アヴタンティル・アティクロフ、トニーノ・グエッラ
撮影:ハッサン・キディラリエフ
編集:ティレク・マムヘトワ、ナタリア・ウァヴィルキナ
美術:スィリキシー・サキボフ
音楽:アレキサノダー・ユルタエフ
プロデューサー:フレデリク・ドュマ=ザジェラ、マルク・バシェット
        チェドミール・コラール、定井勇二
製作:ノエ・プロダクション、スタジオ・ベシュケンピール、ビターズ・エンド

キャスト

チンプ:ミルラン・アブディカリコフ
セリョージャ:セルゲイ・ゴロフキン
父:ズィリキシー・ザキホフ
娼婦ジーナ:アレキサンドラ・ミトロキーナ

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