ベン・ハー
原題:BEN-HUR
今なお映画史上不滅のアカデミー賞11部門最多受賞記録作品! 映画史上、最大のスケールと最高の感動!
東京国際ファンタスティック映画祭2001出展作品::http://www.nifty.ne.jp/fanta/tokyo/
1959年/アメリカ映画/222min DVD発売:ワーナー・ホーム・ビデオ 配給:ワーナーブラザース
2007年10月12日よりDVDリリース 2005年02月25日よりDVD発売開始 2002年1月19日よりル・テアトル銀座にてロードショー 2001年8月10日DVD発売 1960年4月公開
(c)1959 Turner Entertainment Co.and Warner Home Video,an AOL Time Warner Company.
公開初日 2002/01/19
公開終了日 2002/02/23
配給会社名 0085
公開日メモ 『ベン・ハー』は、七部門のアカデミー賞を獲得し、さらにチャールトン・ヘストンの名を不動のものとしたM−G−Mの傑作として、これからも常に人々の記憶に刻まれていくことだろう。
解説
『ベン・ハー』は、七部門のアカデミー賞を獲得し、さらにチャールトン・ヘストンの名を不動のものとしたM−G−Mの傑作として、これからも常に人々の記憶に刻まれていくことだろう。しかし、この作品の背景には、1959年の劇場公開よリもはるか以前に重層ないきさつが存在していたのである。
1880年、南北戦争の猛者ルー・ウォーレス司令官は、波浪万丈の自らの実生活を一篇の小説にまとめたとされている。それは、ビリー・ザ・キッドをはじめとする開拓無法者たちとともに、トルコ駐在米国公使としての彼の偉業を綴ったものである。とはいえ、ウォーレスがテーマとして若目したものは決して自分にとって卑近なものではなく、歴史的にも人類の発展の上で最も影響を与えていたキリストの時代における「聖なる地」がその焦点であった。
「『ベン・ハー』なら、年に少なくとも100ドルの印税が稼げるだろう」楽天家のウォーレスは、自分の妻にのべつこう語っていた。しかし、当の木人も、この小説が一世を風靡することになるだろうとは知る由もなく、やがて世界中の読者の心を釘づけにするに至るまでは考えていなかった。
ウォーレスは20年以上に渡る劇場舞台の著作権として100ドルで契約を交わし、彼の死後1905年には、この不動の名作の映画化にともない、さらに100ドルの契約が彼の親族に受け纏がれたのである。
1907年に1リールで制作された後、1925年にはフィルムの量も一段と贅沢に配した無声映画版『ベン・ハー』がM−G−Mによって公開された。それは製作費400万ドルという前代未聞の巨頓を投じ、そして公開後まもなく、世界的にも最も人々の目に留まる作品として君臨したのである。
一方、1950年代半ぱまでに、ハリウッド映画界は一つのパニックに見舞われた。テレビという新顔が世間に顔を出し、国民はこぞってこちらの方に注目するに至ったからである。それに対し映画界では、勇壮なスケールでの映画制作を看板に対抗し、小さな顔を持つテレビでは到底太刀打ちできない荘厳さを見せ付けた。1959年代、『ベン・ハー』はこうした芸術的奮聞の中で、最高の地位を築いたのである。
監督は、これまですでに『ミニヴァー夫人(1942)』と『我等の生涯の最良の年(1946)』でアカデミ一賞を手にしている映画界の大物、ウィリアム・ワイラーの手に委ねられた。彼が映画界に監督としての金字塔をうちたてる結果となったのは、この『ベン・ハー』を手懸けたことによるものであることに間違いはない。
プロデューサーのサム・ジンバリストは『ベン・ハー』の公開に先駆け、その制作に精力的な活動を見せていた。しかし、不運にも彼は、これを劇場で観るにはいたらなかった。彼は最終シーンの撮りのさなか、ローマで他界してしまったのである。
今や伝説的ともいえる俳優、チヤールトン・ヘストンを匹頭に、国際的大スター達が世界をまたにかけた舞台で共演した。配役事務所はローマに設置され、画面に登場する5万人以上のキャスティングについては一切の責任がここに萎ねられた。365人の俳優に台詞が与えられ、そのうち45人が主役格として名を連ねた。
78頭の馬を使ったことで知られる馬車レースの撮影は、ローマ郊外にあるシネチッタ・スタジオの裏敷地で行なわれ、80エーカー以上を占めるかつて類のない最大級規模のセット、そして100万フィート近い木材、100万ポンド以上の漆喰を要した。
冒険に満ちあふれ、巨額の製作費を費やした『ベン・ハー』は、決して真似のできない芸術的大事業の一つといえるだろう。初公開以来35年を経過した今、その復興版が再びM−G−Mによって提供される。そしてこの古典的作品は、時代を間わず他の追随を許さない映画界の宝としてその名をはせ続けてくれるだろう。
ストーリー
西暦紀元26年、ローマ帝国の占領下にあったユダヤの都エルサレムに新しい総督が就任した。指揮官として乗り込んできたメッサラは、故郷に錦を飾って得意の絶頂。エルサレムきっての裕福な王族ハー家の当主ジュダ・ベン・ハーとの再会をよろこびあう。「ローマに行って出世しろ」と言うメッサラのおごり高ぶる態度と、ローマの支配に苦しむユダヤ人ベン・ハーの気持ちとは相容れなかった。少年時代からの親友は敵同士に変わり、対立したまま別れる。
新総督が就任したパレードがハー家の前にさしかかったとき、瓦が崩れ落ちて総督の頭を直撃したとき、すべてが狂いはじめた。一家が反逆罪に問われて連行されても権力に酔うメッサラは知らぬ顔をして裏切った。ベン・ハーは奴隷として鎖につながれ、母と妹は地下牢に放り込まれた。奴隷が腕で漕ぐローマの軍艦に送られたベン・ハーは、漕ぎつづけて言語に絶する3年間の苦役に耐え、強靭な肉体を鍛えた。ひとときも母と妹を助け出すことと、メッサラへの復讐を忘れたことはない。
ローマ艦隊が海賊艦隊と決戦を交えたとき、ベン・ハーが漕ぐ軍艦は敵艦と衝突して沈んだ。偶然に司令官の命を救ったため、奴隷から解放されて自由の身となり、司令官の養子に迎えられた。ローマきっての剣闘士になり、もてはやされてもユダヤへの想いがつのる。エルサレムへ帰り、ハー家の莫大な財産を管理してきた忠実な執事の娘エスターとの愛が燃え上がった。
ベン・ハーの追求を恐れたメッサラは、肉体が崩れてゆく不治の病におかされた母と妹を死の谷へ送った。その途中、二人は人目を忍ぶ暗がりでエスターの目に触れる。母と妹はベン・ハーの健在を知ると、生きていることは内緒にして、地下牢で獄 死したと告げて欲しいとエスターに約束させる。
母と妹が死んだと聞いたベン・ハーはメッサラへの怒りをつのらせた。エルサレムの闘技場で開かれる古代戦車競争にメッサラが参加すると知り、出場して勝利を競った。砂煙を立てて疾走する10台の戦車。メッサラは自分の戦車に細工をほどこし、ベン・ハーの戦車を転倒させて殺そうと企てた。戦車から転落して重傷を負ったメッサラは、優勝したベン・ハーに母と妹の居場所を告げて息絶えた。
エスターは愛を説くイエスという若い行者が不治の病をいやすと聞き、ベン・ハーとともに母と妹を死の谷から連れ出した。イエスは十字架を背負わされてゴルゴダの丘の刑場へ向かっていた。ベン・ハーはその人こそ、かつてローマ兵に鞭打たれて砂漠を行くとき水を与えてくれた人と知る。イエスの死とともに雷雨が起き、母と妹の不治の病は奇跡的に治り、ベン・ハーの胸から憎しみが消えて希望に燃える。
スタッフ
監督:ウィリアム・ワイラー
製作:サム・ジンバリスト
脚色:カール・ターンバーグ
音楽:ミクロス・ローザ
キャスト
チャールトン・ヘストン
スティーブン・ボイド
ジャック・ホーキンス
ハイヤ・ハラリート
ヒュー・グリフィス
マーサー・スコット
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