第15回東京国際映画祭特別上映作品::http://www.tiff-jp.net/ 1965年モスクワグランプリ・1968年アカデミー外国語映画賞

1965-67年/ディレクターズカット版(430min)/総集編(235min)モスフィルム

2005年03月25日よりDVDリリース 2002年12月16日よりDVD発売開始 2002年11月3日第15回東京国際映画祭特別上映作品としてディレクターズ・カット版上映 2001年、『ロシア映画の全貌2001』三百人劇場にて総集編公開。9/7 12:15、9/8 2:20より

公開初日 2001/09/07

配給会社名 0082

公開日メモ 『ロシア映画の全貌2001』ソヴィエト連邦が解体して10年、激動の世紀を歩んだ映画大国ロシアの名作群を共和国の作品も含め一挙69作品上映!

解説


レフ・トルストイ(1828-1910)は、ロシア文学はむろんのこと、世界文学にそびえ立つ巨峰、その最大最高の名作が「戦争と平和」(1869)である。日本ではオードリー・ヘプバーン主演のハリウッド版「戦争と平和」(1957)に続いて、このセルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和」(1965-1967)が公開された。ボンダルチュク版は、当時のソ連の国力を動員し、映画界の総力を結集した画期的な超大作として「さすがは本場」「トルストイの国ならではの本物」と絶賛を浴び、モスクワ映画祭グランプリや米アカデミー外国語映画賞その他数々の世界的栄誉に輝いた。日本における初公開時(1966、1967)には《第1部》《完結編》の2部に分けて公開され、1972年にはオリジナル版のほぼ半分に当たる総集編も上映された。1993年には、4部作が7時間5分の原型どおり、全編一挙ニュープリントで完全上映。そして世紀を超え、2002年秋に記念上映されることとなったのである。
原作は、トルストイが1825年のデカブリストの反乱(近代化を目指す進歩的貴族グループの反帝政蜂起)にヒントを得て執筆を開始した長編。ロシア帝政社会のさまざまな階層—上層に位する中央貴族と官僚たち、これに不満を持つ批判的な地方貴族や知識人や将軍、農奴制のくびきにあえぎつつ、したたかに生きる無名の民衆たち—の歴史を、19世紀はじめにまでさかのぼり、力強く描写。ナポレオン戦争をロシアの勝利に導いた民衆の力を壮大な歴史絵巻と人間群像のパノラマとして描き切った。そのロシアの風土に展開する大陸的スケールと登場人物559人を1人1人、鮮明に描き分けた巨匠の才能をスクリーンに移し変えることの困難さを考えると、同じトルストイ作品でも、『復活』や『アンナ・カレーニナ』に比べると映画化作品が稀なのもうなずける。
この大作に敢えて挑んだのが、セルゲイ・ボンダルチュク。彼は「オセロ」(1956、セルゲイ・ユトケーヴィチ監督)の主役などですでに名優の評価を確立しており、初の監督・主演作「人間の運命」(1959)の成功に続いて念願の『戦争と平和』映画化に取り組んだ。彼は「私たちは何ごとも新たに作り出そうとはしなかったし、何も付け加えなかった。トルストイが、この映画の作者である」と語り、映画「戦争と平和」を徹底した原作への謙虚な敬意を土台に、丸ごと映像化するという、映画史上空前にして空前絶後の野心的なプランに挑戦した。正味5年をかけ、現在の邦貨50億円に相当する巨費を投じ、主要な役だけで36人、せりふのある役559人、のべ出演人員595,193人、ボロジノの大会戦だけで実際のソ連軍兵士124,533人を動員。宮殿の大広間を埋めつくす上流社会の華麗な群像も、地平線の果てまでも軍隊が並び、砲煙が立ち込める壮絶な大戦場も、すべて実物大に再現された。
ボンダルチュクが忠実に守ったのは、原作のスケールだけではない。ナターシャのリュドミラ・サヴェーリエワ、アンドレイのヴャチェスラフ・チーホノフらを中心に、映画、演劇界の第一線演技陣を惜しげもなく配役、トルストイがひとつのシーンの端役さえおろそかにしなかった緻密な筆致を見事にスクリーンによみがえらせる。
そしてナターシャの愛の目覚め、不安と動揺に満ちた愛の遍歴をタテ糸としながら、ナポレオンの侵入を迎え撃つロシア社会のさまざまな情勢を、くっきりと浮かび上がらせる。《アウステルリッツの合戦》《ナターシャ最初の舞踏会》《ボロジノ大合戦》《モスクワ大火から、フランス軍敗走、ロシアの勝利》へと、大画面でなければ絶対味わえない映画の醍醐味を堪能させられる上、原作に込めた大トルストイの思想と哲学もまた、深く心に刻み付けられる。
名カメラマン、アナトリー・ペトリツキーらの撮影スタッフが、時にはヘリコプターやジェット機からの航空撮影をも駆使し、リモコンで作動できるモニター`テレビカメラまで用意するなど、製作当時の最新技術をフルに活用した映像の成果もまた特筆される。

ストーリー

第1部
1805年。帝制ロシアの貴族たちのサロンの話題は、やはり風雲児ナポレオン・ボナパルトの動向であった。ナポレオンは、欧州の運命と歴史の鍵を、その掌中に握っていた。砲兵士官から身を起してフランス皇帝にまでなった彼の野望と栄光への執着は、欧州全土の征服に向い、オーストリアと同盟を結ぶロシアもまた、ナポレオン軍との戦いに参加せざるを得ない形勢にあった。
名門の生まれである若い貴族アンドレイ・ボルコンスキー(ヴィヤチェスラフ・チーホノフ)は、志願して戦いに行く決意をしていた。親友のピエール・ベズーホフは、フランス育ちのせいでナポレオンの進歩的側面を評価し、世界の英雄相手の戦争などは無意味だと主張したが、アンドレイにとって、出征は虚栄と愚にもっかぬおしゃべりに終始する貴族サロンからの脱出であり、青春の欝々たる情熱が選んだ自己に対する試練の途だった。身重の妻リーザ(アナスタシア・ヴェルチンスカヤ)の反対と嘆きも、彼の決心を左右することは出来なかった。
ピエール・ベズーホフ(セルゲイ・ボンダルチュク)には、アンドレイのような行動の目標がなかった。なにをしたら良いのか、わからなかった。外国帰りで私生児の彼は、ひどく自由な身分だったが、その自由はせいぜい悪友たちに加わって夜毎馬鹿騒ぎをくりかえす生活をもたらしただけで、内心は不安だった。
ピエールは、社交界の花形ロストフ伯爵家を訪れた。彼は、そこの気どりのない自由な空気が好きだった。その日、ロストフ家では、13歳になった次女ナターシャ(リュドミラ・サヴェーリェワ)のおひろめの祝いが開かれていた。黒い瞳も愛くるしくいきいきと走りまわるその少女は、すべての大人たちの好意を一人じめしていたが、その時ピエールはまだ、彼女が将来自分にとって最も重要な人物になるだろうことは想像すら出来なかった。むしろ、ピエールを驚かしたのは、父ベズーホフ伯爵の危篤の知らせがモスクワからもたらされたことだった。
死の迫ったベズーホフ伯爵のまわりには、社交界を巧みに泳ぎ回るワシーリー公爵をはじめ、遺産めあての人々が群がってみにくい争いをくりひろげていたが、伯爵の遺言は、その巨万の富のすべてをピエールに譲るというものだった。一夜にして、ピエールは大金持ちになった。
アンドレイは、田舎に引退している父ニコライ・ボルコンスキー公爵(アナトリー・クトーロフ)を訪れ、妻リーザをあずけた。ボルコンスキー公爵は、かつて勇名をはせた軍人であり、その毅然とした厳格さは、娘マリアとの淋しい生活にも残されていた。
老ボルコンスキーからロシア軍司令官クトゥーゾフ将軍あての紹介状を持って出征したアンドレイは、将軍の副官として血みどろの戦争を目のあたりにすることになる。
一方、ベズーホフ伯爵の遺産の分け前にあずかれなかったワシーリー公爵は、自分の娘エレン(イリーナ・スコブツェワ)とピエールを結婚させようと画策した。エレンは、美人だったが虚栄心が強く、派手好きな性格だった。ピエールは、エレンの美しさにひかれ、深い考えもなく結婚を承諾した。
ナポレオン軍と戦うオーストリア=ロシア連合軍は、共同戦線のちぐはぐさを突かれて退却を続けた。クトゥーゾフ統いる本隊の退却を助けるために、バグラチオン将軍がわずか四千の兵でナポレオン軍の急進を喰いとめた華々しいエピソードもあったが、アウステルリッツにおける連合軍対ナポレオン軍の決戦を前に、クトゥーゾフはきわめて悲観的な観測をしていた。
はたせるかな、皇帝の戦いと呼ばれて史上有名なこの会戦は、連合軍の敗走に終った。浮足だった味方兵士の退却を喰いとめるために、アンドレイは軍旗をかかげて敵中におどりこんだが、銃弾を受けて倒れた。
老ボルコンスキー公爵に対する公式の報告は、アンドレイが行力不明になり、戦死したものと判断される、ということだった。彼にはリーザに真実を告げる勇気がなかった。モスクワでは、英雄バグラチオン将軍の帰国を祝う夜会が開かれた。領地から久しぶりにモスクワに出てきたピエールは、妻エレンが無頼放蕩の士官ドーロホフ(オレグ・エフレモフ)と情事を重ねて公然のスキャンダルになっていることを知った。ドーロホフは、夜会の席で哀れな亭主に対する侮蔑を隠さず、カッとなったピエールは決闘を申し込む。雪上で行なわれたピストルによる決闘で、ピエールはドーロホフに重傷を負わせたが、自分自身に対する恥ずかしさと後悔に打ちのめされてしまう。結局、ピエールはエレンと別居した。
リーザの出席の夜。医師や産婦があわただしく立ち働く寒い雪の日に、死んだとばかり思われていたアンドレイが老ボルコンスキーの家に帰って来た。しかし、妻のリーザは異常なほどの苦しみようで、男子出産後、夫の顔も識別出来ぬまま死んでいった。
アンドレイとピエールの再会。親友どうしの間には、互いの傷をなぐさめあういたわりの情愛が流れた。アンドレイには、戦場や名誉や出世に対する希望はもはやなかった。人間関係もうとましく、無意味に思え、とりとめもない憂愁に襲われた。

第2部
「人生は31で終るものではない」と、アンドレイが考えはじめたきっかけは、たまたまロストフ伯の領地を訪れ、ナターシャと会ったことであった。ナターシャは、美しい娘に成長していたが、その天衣無縫の明るさは、アンドレイの気持ちさえ不思議になごませた。
1810年、皇帝ニコライ主催の大舞踏会がひらかれた。そしてその舞踏会は、18歳をむかえたナターシャの社交界へのデビューの夜でもあった。
ナターシャは、もう無我夢中の状態にあった。着飾った貴族たちが群舞する絢燗たるその場の光景は、はじめて見る彼女を圧倒した。時間がたつにつれて、ナターシャは少しづつ悲しくなってきた。精いっぱいめかしこみ、出来るだけしとやかに立っている彼女を、誰も踊りに誘ってくれなかったからだ。泣き出しそうになった時、涙にぼやけた瞳にアンドレイ・ボルコンスキーが近づいてくる姿が映った。
アンドレイは、ナターシャにワルツを踊ろうと申し込んだ。軽やかに、生まれたばかりの蝶のようにいきいきと、二人は踊った。ナターシャは、初めての舞踏会で初めての恋をした。そして、アンドレイもまた初々しく可憐なその娘に、かつてない愛をおぼえた。
アンドレイは、ナターシャに結婚を申し込んだ。しかし、式は一年後に、という条件をつけた。一年たって互いの気持ちが変わらなければ、結婚に踏みきろうという、過去の経験が教えた慎重なやりかただった。無論、ナターシャは不満だったが、アンドレイは約束をとりつけると旅に出た。
ナターシャにとって、一年はあまりにも長すぎた。全身にみなぎる若い生命の奔流が、彼女を狂わせた。理性ではアンドレイを愛し、尊敬していながら、アナトリー(ワシリー・ラノヴォイ)という色男ぶったつまらない男の誘惑をしりぞけることが出来なかったのだ。
アナトリーは、エレンの弟で、ドーロホフ達の仲間の一員だったが、強引にナターシャを誘惑し、妻子のある身にもかかわらず結婚を約束し、駆け落ちを計画した。
計画は事前にナターシャの姪ソーニャに発見されて失敗に終わった。ピエールは、事件を知るとアナトリーの卑劣な行為に激怒した。アナトリーに金を与えて国外に追いやり、同時にナターシャの名誉を守ることに奔走した。しかし、ピエールが恐れていたように、アンドレイはナターシャの行動を許さなかった。自己嫌悪と悔恨に打ちひしがれたナターシャに、ピエールは慰める言葉を持たなかった。しかし、ナターシャが自分の人生がすべて終ったと思っていることを知った瞬間、ピエールは彼女に対してずっと抱いていた深い愛情と信頼の言葉を口にした。不器用だが、誠実なピエールの愛の告白だった。

第3部
1812年は、ロシアにとって運命の年になった。
とめどもない野望に狂ったナポレオンが、大軍を率いてロシアに侵入してきた。次々とナポレオン軍の手におちるロシアの領土。ボルコンスキー家に近いスモレンスクもまたそうなった頃、老公爵が永眠した。
クトゥーゾフ将軍のロシア軍と、ナポレオン軍の激突は、モスクワからl00キロばかりはなれた寒村ボロジノで行われた。敵味方20万の精鋭が砲煙と弾雨のなかにぶつかりあい、血みどろの白兵戦をくりかえした。
戦場を自分の眼で確かめたいとボロジノにやって来たピエールは、あまりに凄惨なその光景に打ちのめされ、戦争の狂気を憎んだ。その戦闘のなかにはアンドレイもいたが、再び重傷を負って後方に運ばれた。

第4部
今回の戦いは、双方が多大の軍事的な傷手を受け、一方が相手を圧倒するような結果にはならなかった。特に、ロシア軍の恐るべき頑強な抵抗は、国の運命を背負っているという自覚が、兵士の一一人一人にのしかかっていたからである。
ロシア軍に、二つの道が残された。首都モスクワを死守するか、明け渡して後方に撤退、戦力の補充と再編成の時をかせぐか、の二つである。クトゥーゾフは、反対を押しきって後者を選んだ。
ナポレオン軍がモスクワに入城したとき、市民のほとんどはすでに避難していた。ロストフ家の人々も後方に逃れたが、ナターシャは運命の偶然によって傷を負って運ばれるアンドレイに再会した。
ナターシャは、アンドレイにかつての罪の許しを乞い、献身的な看護にあたった。しかし、アンドレイは幾度となく死線をさまよい、すべてを許しながらより深く強くナターシャを愛しているという言葉を残して、死んでいった。
一方、モスクワに残ったピエールは、ナポレオン軍による狂気のような略奪、放火を目撃した。聖なる都モスクワは、無残な灰土と化してしまった。かつての世界の英雄も、すでに理性を失った狂人であることを知ったピエールは、百姓姿に身をやつして、ナポレオンを暗殺するために歩きまわった。しかし、ピエールはピストル所持によってナポレオン軍に捕えられ、銃殺刑は間一髪のところでまぬがれたものの、捕虜としてのみじめな生活を送ることになった。
ナポレオンの講和の申し出を、クトゥーゾフ将軍は拒絶した。彼は国民とともに全力をあげて戦ったボロジノの戦闘において、ナポレオン軍が致命的な打撃を受けたことを、全身で確信していた。
冬将軍に追われるように、ナポレオン軍はモスクワから撤退を始めた。クトゥーゾフは泣き伏して神に感謝した。遂に、ロシアは勝ったのである。
国をあげてロシアの反撃が始まった。かつての栄光は見るかげもなく、ナポレオン軍は飢えと寒さと、恐怖におびえながら、悲劇的な敗走を続けた。50万のナポレオン軍は、ひとにぎりの敗残兵の集団と化したのである。
ピエールは、捕虜生活から救出され、モスクワに帰って来た。勝利の喜びと、力強い復興の息吹が、首都をうずめつくしていた。ピエールは、多くの苦難を経て、人間はすべて幸福を甘受するために生まれ、生きてゆくものだという深い信念を持つようになっていた。
ピエールはナターシャと再会した。静かだが、深く力強い愛が、ふたりの聞にはぐくまれた。それはピエールの考えた通りの幸せに包まれた生活を得るだろうことを、互いに確信させあうものだった。

スタッフ

原作:レフ・トルストイ「戦争と平和」
脚本:セルゲイ・ボンダルチュク、ワシリー・ソロヴィヨフ
監督:セルゲイ・ボンダルチュク
撮影:アナトリー・ペトリツキー
戦闘シーン撮影:アレクサンドル・シェレンコフ、イォランダ・チェン=ユーラン
美術:ミハイル・ボグダーノフ、ゲンナジー・ミャスニコフ
音楽:ヴャチェスラフ・オフチンニコフ
編集:タチアナ・リハチョワ

キャスト

ナターシャ・ロストワ:リュドミラ・サヴェーリェワ
アンドレイ・ボルコンスキー:ヴャチェスラフ・チーホノフ
ピエール・ベズーホフ:セルゲイ・ボンダルチュク
リーザ・ボルコンスカヤ(アンドレイの妻):アナスタシア・ヴェルチンスカヤ
エレン・クラーギナ:イリーナ・スコブツェワ
アナトリー・クラーギン:ワシリー・ラノヴォイ
イリヤ・ロストフ伯爵(ナターシャの父):ヴィクトル・スタニツィン
ナターリャ・ロストワ(ナターシャの母):キーラ・イワーノワ=ゴロフコ
ニコライ・ロストフ(ナターシャの兄):オレグ・タバコフ
ソーニャ・ロストワ(ナターシャの姪):イリーナ・グバーノワ
マリヤ・ボルコンスカヤ(アンドレイの妹):アントニーナ・シュラーノワ
クトゥーゾフ将軍:ボリス・ザハーワ
ナポレオン:ウラジスラフ・ストルジェリチク
バグラチオン将軍:ギウリ・チョホネリーゼ
プラトン・カラターエフ(農民兵):ミハイル・フラブロフ

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