シネマGOラウンド

2000年TOKYO FILMeX参加作品

2000年/日本/28分/ヴィデオ作品 製作・配給:映画美学校/アテネ・フランセ文化センター 主催:映画美学校/アテネ・フランセ文化センター

2001年6月22日(金)〜7月7日(土)(日曜休館)まで アテネ・フランセ文化センター(130席)にて上映

“シネマGOラウンド”公開記念イベント&トークショー開催!::http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=1561

公開初日 2001/06/22

公開終了日 2001/07/07

配給会社名 0218

公開日メモ 映画美学校の講師をつとめる気鋭の4人の映画作家が、生徒たちとのコラボレーションにより製作した“シネマGOラウンド”のRound3!

解説


ユーモラスな作風で知られる西山洋市監督によるコメディである。「日本の古い諺”風が吹けば桶屋が儲かる”を完全映画化する」との字幕で始まるのだが、人を喰っているのは、この字幕がロシア語で日本語スーパー付きという体裁を取っている点だろう。とにかく、この諺通りに話が進展していくのである。主要登場人物は、ジュリアス、アーサー、レナードと男3人とロビンという女性(ただし、アーサーは女性が演じている)というクレージーな4人組(ただし、不思議なことに4人が揃って登場するシーンはない)。といったら、下敷きが見えてくるかもしれない。マルクス兄弟である。少なからず、ジュリアスにはグルーチョの、アーサーにはハーポの、レナードにはチコのイメージが重ねられているようだ。だが、重要なのはキャラクター・レヴェルの類似ではなくて、その世界の有り様がキャラクターのアクションによって引き起こされるというクレージー・コメディの法則なのである。とにかく、ここに登場する人物たちに、世間一般の常識は通用しない。言葉は同音異義語を介して、別の意味へと横滑りし、奇抜な展開を呼ぶ。その西山流「意味の論理学」の作動ぶりこそ、最大の見所である。そのワンダーランドを支えるために、登場人物の目線は徹底して外され、アクションはジャンプし、時空間は捻じ曲げられる。大風による砂埃で失明者が続出し、盲人は三味線を習い、品不足になった三味線の皮の原料であるネコを捕獲する仕事をし、結果ネズミが増え、ネズミに齧られた桶が不足し、はたして桶屋が儲かったのか、という物語があちこちで奇想天外な脱線を起こしつつ、最後までたどりつけるのかと観客を引きずりまわす。しかも、最後はドキュメンタリーへと至るという暴走ぶりには、喝采を送るしかあるまい。

《監督からのコメント》
日本には「風が吹けば桶屋が儲かる」という古くからの謎めいた言い伝えがあります。この言い伝えば、現代日本の、そして世界の、特に環境と経済の問題についての不気味な暗示であり、鋭い予言である…と、僕には思えて仕方がない。それによって多くの人々が失明するという「風」とはいったい何なのか?最後に大儲けをするという「桶屋」とは一体誰なのか?しかし、僕はこの言い伝えを自分一人の解釈で断定的に描こうとは思わなかった。この言い伝えのプロットは、もともときわめて映画的な構成とディティールの設定を備えている。暗示的・予言的なものは、あくまでも暗示的・予言的なものにとどめ、時代設定のみ現代に移しかえて、いまや多くの日本人でさえ知ることの少ない古の言い伝えの全貌を、そのまま伝えるだけで十分魅力的な映画になりうる。僕が唯一考えるべきことは、言い伝えに表れている古の日本人の素晴らしくナンセンスなユーモアのセンスと知恵を、それに相応しく、映画的に再構築するということだけだ。

ストーリー

ユーモラスな作風で知られる西山洋市監督によるコメディである。「日本の古い諺”風が吹けば桶屋が儲かる”を完全映画化する」との字幕で始まるのだが、人を喰っているのは、この字幕がロシア語で日本語スーパー付きという体裁を取っている点だろう。とにかく、この諺通りに話が進展していくのである。主要登場人物は、ジュリアス、アーサー、レナードと男3人とロビンという女性(ただし、アーサーは女性が演じている)というクレージーな4人組(ただし、不思議なことに4人が揃って登場するシーンはない)。といったら、下敷きが見えてくるかもしれない。マルクス兄弟である。少なからず、ジュリアスにはグルーチョの、アーサーにはハーポの、レナードにはチコのイメージが重ねられているようだ。だが、重要なのはキャラクター・レヴェルの類似ではなくて、その世界の有り様がキャラクターのアクションによって引き起こされるというクレージー・コメディの法則なのである。とにかく、ここに登場する人物たちに、世間一般の常識は通用しない。言葉は同音異義語を介して、別の意味へと横滑りし、奇抜な展開を呼ぶ。その西山流「意味の論理学」の作動ぶりこそ、最大の見所である。そのワンダーランドを支えるために、登場人物の目線は徹底して外され、アクションはジャンプし、時空間は捻じ曲げられる。大風による砂埃で失明者が続出し、盲人は三味線を習い、品不足になった三味線の皮の原料であるネコを捕獲する仕事をし、結果ネズミが増え、ネズミに齧られた桶が不足し、はたして桶屋が儲かったのか、という物語があちこちで奇想天外な脱線を起こしつつ、最後までたどりつけるのかと観客を引きずりまわす。しかも、最後はドキュメンタリーへと至るという暴走ぶりには、喝采を送るしかあるまい。

スタッフ

キャスト

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