原題:精武門/Fist of Fury

今、蘇るブルース・リー! オリジナルノーカット版がスクリーンで初公開!

1972年3月22日香港初公開 1974年7月20日日本初公開

1972年/香港/110分/ 配給:ギャガコミュニケーションズ

2010年11月26日よりDVDリリース 2005年06月24日よりデジタル・リマスター版DVDリリース 2001年7月25日ビデオ発売&レンタル開始 2001年4月28日〜5月7日よりシネ・リーブル池袋にて広東語版を公開 2001年5月8日〜5月17日よりシネ・リーブル池袋にて英語吹き替え版公開 2001年3月24日〜30日長野県飯田市飯田トキワ劇場にてイブニング・レイトショー

公開初日 2001/03/24

公開終了日 2001/03/30

配給会社名 0025

公開日メモ ブルース・リー生誕から60年。新世紀を迎え、闘う龍が蘇る。 約20年の間、日本で劇場上映されていない「ドラゴン怒りの鉄拳」。

解説


マニア向け企画として、「ドラゴン怒りの鉄拳」の英語版も続けて上映。
広東語版と英語版を見比べて見る貴重なチャンス!

①「あちゃーっ!」で有名な怪鳥音が初めて使われたのが、この「怒りの鉄拳」。まさに記念すべき作品です。
②1974年、1983年に日本公開されたものはいずれも英語版で、今回の広東語版は日本での初の上映となります。
②過去に公開時にカットされていた幻の「芸者ストリップシーン」も収録。日本初公開のオリジナルのノーカット版となります。

ストーリー

20世紀初頭の上海、迷踪拳の達人であり武術学校精武館の指導者であるホウ・ユンジャが死んだ。遠く離れた地で師であるホウの死を聞いたチェン(ブルース・リー)が急いで精武館へと戻ると、そこでは今まさにホウの埋葬しようとしているところだった。取り乱して師の棺を掘りおこそうとするチェンは他の弟子たち(ティエン・ファン、ジェームズ・ティエン、トニー・リュウインら)によって引き離される。
弟子達が落ち着いたチェンに師は日本人と試合をしたのちに急死したことを教えたそのとき、二人の日本人がウー(ウェイ・ピンアオ)という中国人通訳を連れて精武館にやってきた。日本人は上海にある虹口道場の高弟である。ウーたちは虹口道場の道場主である鈴木(橋本力)が書いた「東亜病夫(東アジアの臆病者)」という屈辱的な看板を、精武館に渡しにきたのだった。怒りに燃えるチェン。しかしチェンを慕うリー(ノラ・ミャオ)らにとどめられ、その場は歯を食いしばって耐えるしかなかった。
虹口道場は表向きは武術を教える道場であったが、その実は上海支配を狙う日本軍の尖兵的な存在であった。そんな虹口道場で道場生たちが訓練をしているところに一人の中国人が道場に入ってきた。チェンだ。殺気に満ちた日本人たちは一斉にチェンに襲いかかるが、ヌンチャクを持ったチェンにはまるで歯が立たない。鈴木は不在であったため、師範代の男が代わりに相手をつとめるが、これもやはりチェンの敵ではなかった。チェンは「俺たちは臆病者ではない!」と叫ぶと看板を叩き割り、日本人にその紙を食わせて楓爽と引きあげていった。
しかし逆襲に転じた日本人たちはチェンが戻る前に精武館を襲撃し、道場やホウ先生の位牌をを壊していった。「チェンのせいでこんなことに・・・・・」精武館に戻って道場の惨状を目のあたりにしたチェンに、同門の弟子たちからも冷たい言葉が投げかけられる。
精武館を出る決意をし、師の位牌の前で最後の夜を過ごしていたチェンは、台所から聞こえる小声に気付く。不審に思い台所をのぞきこむと二人のコックが密談していた。「ホウ・ユンジャを毒殺したことがバレないようにしなければ・・・・・・」怒りと悲しみで凄まじい形相になったチェンは、その場で二人のコックを血祭りにあげたのだった。
翌朝、師が毒殺されたことを記したメモを残してチェンは姿を消した。復讐を開始するために・・・・・。

スタッフ

制作総指揮:レイモンド・チョウ
制作:リュウ・リャンファ
監督:ロー・ウェイ
音楽:ジョセフ・クー
アクション指導:ハン・インチェー

キャスト

ブルース・リー
ノラ・ミャオ
ティエン・フン
ウェイ・ピンアオ
橋本力
ロバート・ベイカー
ウォン・チュンスン
勝村淳
マリア・イー
ジェームズ・ティエン
リー・クン
トニー・リュウ

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