聖アントニオの舌と盗人たち
原題:La lingua del santo
日本におけるイタリア年イタリア映画祭2001「イタリア旅行」90年代秀作選
2000年ベネチア映画祭出品
2000年/110分 主催:朝日新聞社、テレビ朝日(東京のみ)、開催会場、イタリア・シネマ(イタリア映画海外普及協会) 後援:日本におけるイタリア年財団、イタリア大使館、イタリア文化会館ほか 協力:(財)国際文化交流推進協会ほか
会期・会場:(2001年末まで全10会場) 2001年4月28日(土)〜5月6日(日)有楽町朝日ホール/ 2001年5月11日〜13日東北福祉大学/ 2001年5月16日〜19日高知県立美術館/ 2001年6月8日〜10日大阪市旭区民センター/ 2001年6月20日〜29日広島市映像文化ライブラリー
公開初日 2001/04/28
公開終了日 2001/05/06
配給会社名 0467
公開日メモ 日本におけるイタリア年、イタリア映画祭にて未公開作品を10本上映。
解説
1987年にナンニ・モレッティのプロデュース作として、そしておそらくその中でも今日にいたるまで最も優れた作品に数えられる「イタリアの夜」でデビューしたマッツァクラーティの力量が今度こそ遺憾なく発揮され、2000年ヴェネツィア映画祭に出品されて高い評価を受けた傑作。故郷パドヴァを舞台に、コメディの形を借りながら(彼の作品の多くはアイロニカルな喜劇的要素と、もちろんそれとは切り離すことのできない悲劇的要素を具有している)、サスペンスとエモーションと微妙な感情の綾の織りなす大胆かつ徴密なストーリー展開で観客の心をぐいぐい揺さぶり続け、舞台がイタリアであることを忘れさせてしまうようなスケールで圧倒し、時に、この上なく叙情的な風景を出現させ、しかもヴィデオクリップ作家も顔色を失う心憎さで音楽に乗せ、はみだし者の主人公たちの破天荒な行動と絶望と郷愁のあいだを行き交う心理を描きだしてゆきつつカタルシスに誘う手腕は、最近のイタリア映画の中でも較べるものがない。
彼を抜きに今日のイタリア映画を語ることはできない”百の顔を持つ二枚目”あるいは”イタリアのロバート・デ・ニーロ”とも目されるファブリツィオ・ベンティヴォッリョとトロイージ、ペニーニに続くコメディアンで、タヴィアーニ兄弟の『笑う男』でも主役を演じる今やひっぱりだこの名優、アントニオ・アルバネーゼという二大スターの恐るべき共演、新しいイタリア映画を担う撮影監督の一人、アレッサンドロ・ペーシの生き生きと深い色彩と躍動的かつ流麗なカメラワークがマッツァクラーティの失われた世界への憧憬を呼び起こす。見どころを挙げればきりのない名品である。
ストーリー
アントニオとウィリーは、ともに無職の40代定職についたことがないアントニオと、出ていった妻パトリツィアのことが忘れられないウィリー。
ある日ふたりは、パドヴァの教会から聖アントニオの「舌」を盗み出す。その聖遺物の代償金を要求するが、教会は取引に応じない。業を煮やしたアントニオが、盗品の一部である宝石をジプシーに見せたことから犯人とばれる。身を隠すために、ウィリーはパトリツィアの家から別荘の鍵を盗み出す。実業家マリタンが「聖人の舌」の取引に応じると公表しているのを知り連絡を取るが、警察に通報されて計画は失敗。
ウィリーは再度、マリタンに連絡をとり、潟に誘い込む。ふたりは警察の追跡を振り切るが、ウィリーはアントニオに金を持たせて出国させる。パトリツィアがまだ自分を必要としているからだと言う。船で連行されるウィリーの表情はすがすがしい。
スタッフ
監督:カルロ・マッツァクラーティ
脚本:フランコ・ベルニーニ/ウンベルト・コンタレッロ/カルロ・マッツァクラーティ/マルコ・ベッテネッロ
撮影監督:アレッサンドロ・ペッシ
録音:マリオ・イアクオーネ
衣装:リナ=ネルリ・タヴィアーニ
美術:レオナルド・スカルパ
編集:パオロ・コッティニョラ
助監督:マリーナ・ザンジロラミ
製作コーディネーター:ルイジ・ラグラスタ
製作マネージャー:ジャンルーカ・キアレッティ
製作協力:フランチェスカ・ディ・ドンナ
製作:マルコ・ポッチョーニ・マルコ・ヴァルザニア/ロデオ・ドライブ&メドゥーサ・フィルム
協力 TELE+
キャスト
アントニオ:アントニオ・アルバネーゼ
ウィリー:ファブリツィオ・ベンティヴォリオ
ロンキテッリ:イヴァノ・マレスコッティ
パトリツィア:イザベッラ・フェッラリ
聖アントニオ:マルコ・パオリーニ
マリタン:ジュリオ・ブロージ
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