原題:RadioFreccia

日本におけるイタリア年イタリア映画祭2001「イタリア旅行」90年代秀作選

1998年ベネチア映画祭出品、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ新人監督賞受賞

1998年/112分 主催:朝日新聞社、テレビ朝日(東京のみ)、開催会場、イタリア・シネマ(イタリア映画海外普及協会) 後援:日本におけるイタリア年財団、イタリア大使館、イタリア文化会館ほか 協力:(財)国際文化交流推進協会ほか

会期・会場:(2001年末まで全10会場) 2001年4月28日(土)〜5月6日(日)有楽町朝日ホール/ 2001年5月11日〜13日東北福祉大学/ 2001年5月16日〜19日高知県立美術館/ 2001年6月8日〜10日大阪市旭区民センター/ 2001年6月20日〜29日広島市映像文化ライブラリー

公開初日 2001/04/28

公開終了日 2001/05/06

配給会社名 0467

公開日メモ 日本におけるイタリア年、イタリア映画祭にて未公開作品を10本上映。

解説

1970年代のイタリア、エミリア・ロマーニャ州の小さな町を舞台に大きく移り変わろうとしている年代を一気に駆け抜けたフレッチャと、屋根裏部屋に作られた町で最初の私設ラジオ局で、二度と戻らない日々を過ごす若者たちとの友情と恋愛と理想と失望の物語「ラジオフレッチャ」は人気ロックスター、ルチャーノ・リガブエのベストセラー短編集「村の外と内で」を自らの手で映画化した話題作である。
1960年生まれで高校卒業後、季節農業労働者、DJ、セールスマン、公務員といった様々な職業を渡り歩いた後、87年にシンガーとしてデビューし、89年には「世界の上で踊ろう」で一躍スターダムにのし上がったリガブエは、イタリアのスプリングスティーンともいえるストレートでワイルドなスタイルで鳴らし、そのパワーと豪快な世界観と類まれな人類愛は本作にもドライブ感溢れる鼓動となって脈打っている。
ある意味で70年代の「アマルコルド」(マルコ・ロドリ)とも呼べる愛すべき一作。

ストーリー

フレッチャと呼ばれる少年は、鼻っぱしが強いが、勇敢で、誠実なところもある。ブルーノとティート、イエナとボリスが彼の仲間だ。
舞台は、70年代のエミリア・ロマーナ州の小さな町。ブルーノは、家の屋根裏に自分たちのラジオ局をつくり、そこが五人の二番目の家となった。一番目の家は町のバールだった。その店のアドルフォは、口は悪かったが、彼らの理解者でもあり、父親や母親より頼れる存在だった。時は流れ、学生のブルーノをのぞいて、みな働き始めた。フレッチャは都会から来た麻薬中毒の少女に出会い、自分も麻薬におぼれるようになるが、努力の末、仲間のもとに戻ってくる。やがて恋人もできた。しかし、彼女が去ると、ふたたび麻薬中毒者となりそれが彼の命取りとなる。
彼の死以後、ラジオ局はラジオフレッチャと名前を変える。ラジオ局の開設から18年目の今日、最後のオンエアが行われる。

スタッフ

監督ルチアーノ・リガブエ
脚本:アントニオ・レオッティ、ルチアーノ・リガブエ
撮影監督:アルナルド・カティナーリ
美術・衣装:ステファノ・ジャンバンコ
録音:ガエターノ・カリート
編集:アンジェロ・ニコリーニ
助監督:アントネッロ・グリマルディ
製作:ドメニコ・プロカッチ
製作会社:FANDANGO S.r.l.
協力:MEDUSA FILM

キャスト

フレッチャ:ステファノ・アッコルシ
ブルーノ:ルチアーノ・フェデリコ
イエナ:アレッシオ・モディカ
ティート:エンリコ・サリンベニ
ボリス:ロベルト・ズィベッティ
アドルフォ:フランチェスコ・グッチーニ
マルツィア:パトリツィア・ピッチニーニ
キンゴ:ダビデ・タヴェルネッリ
麻薬中毒の少女:コジマ・コッケリ
カルロ:パオロ・マリア・スカロンドロ
フレッチャの母:セレーナ・ブランデイ
クリスティーナ:クリスティーナ・モリア
ヴィールス:フルヴィオ・ファルネッティ
ボナンツァ:マヌエル・マッジョーリ
プルート:オットリーノ・フェッラリ
オメロ:パオロ・クレモニーニ

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