原題:Tano da morire

日本におけるイタリア年イタリア映画祭2001「イタリア旅行」90年代秀作選

1997年ベネチア映画祭出品、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ新人監督賞受賞

1997年/80分 主催:朝日新聞社、テレビ朝日(東京のみ)、開催会場、イタリア・シネマ(イタリア映画海外普及協会) 後援:日本におけるイタリア年財団、イタリア大使館、イタリア文化会館ほか 協力:(財)国際文化交流推進協会ほか

会期・会場:(2001年末まで全10会場) 2001年4月28日(土)〜5月6日(日)有楽町朝日ホール/ 2001年5月11日〜13日東北福祉大学/ 2001年5月16日〜19日高知県立美術館/ 2001年6月8日〜10日大阪市旭区民センター/ 2001年6月20日〜29日広島市映像文化ライブラリー

公開初日 2001/04/28

公開終了日 2001/05/06

配給会社名 0467

公開日メモ 日本におけるイタリア年、イタリア映画祭にて未公開作品を10本上映。

解説

2000年のヴェネツィア映画祭には新作「スッド・サイド・ストーリー」をひっさげて登場し、またしても話題を一手にさらった感のあるTV界出身の鬼才ロベルタ・トッレの名を世間に知らしめた『死ぬほどターノ』は、十年前にこの世を去った実在のマフィアのボスを題材にした初のミュージカルである(正式には”マフィア・ギャングスタ(ー)・ラップ・ミュージカル”とされる)。
出演者はほとんどが地元パレルモ出身のズブの素人で、その中にはターノと直接つながりのある人間もいるが、その誰もがいかにも肉づきの素晴らしい、その点では非常にリアリスティックな体躯と、通常われわれがマフィアを想像する場合に思い描くような重厚でものものしいわけではなく、かといって絢燗豪華というよりは実にけばけばしい原色のファッションに身を包み、これでもかと言わんばかりの大げさなジェスチャーで見事に豊かな南部の生活感を浮き彫りにしてみせる。
ミラノ出身でシックできわめてコンテンポラリーなセンスの持ち主のトッレ女史は、見るからにテレビ世代の騒がしく派手でふざけてライブでキッチュでテープな映像で、実際には町の個人商店主でもあったりする大犯罪組織の親分をめぐる恐怖と抗争の日々を小気味よく血祭りにあげ、その痛快な勇気と”コロンブスの卵”的なアイデアと徹底したショーマンシップで聴衆の喝采を浴びた。

ストーリー

マフィアの一員であるターノ・グアラシは、血の気は多いが、情に厚い魅力的な人物としてパレルモの街で名をはせていた。
ターノの四人の妹たちは、彼の過度の愛情と干渉のために、だれも結婚できないでいた。ターノは1988年のマフィアの闘争のさなか、自分の店のなかで殺し屋に撃たれる。彼の死は、街中の人々の口にのぼった。ターノの死の二年後、彼の妹のひとりであるフランカ・グアラシが結婚式をあげる。パーティーも終わろうとするとき、殺し屋たちが会場に乱入する。フランカは殺され、警察やマスコミはマフィアの復讐劇の犠牲になったと報じる。だが、タノを知る人たちの間では、妹の結婚を嘆いたターノが墓から戻ってきたのだという噂がまことしやかに語られる。
この物語は、このようなターノの伝説にもとづいて作られた…。

スタッフ

監督・脚本:ロベルタ・トッレ
美術:ファブリツィオ・ルーポ・クラウディオ・ロッソ
振付:フィリッポ・スクデリ
録音:グラウコ・プレッティ・マウロ・ラッツァロ
音楽編集:ルチアーナ・パンドルフェッリ
衣装:アントネッラ・カンナロッツィ
編集:ジョルジョ・フランキーニ
脚本協力:ジャンルーカ・ソダーロ・エンツォ・パリーノ
ラインプロデューサー:マルコ・ピストレージ
撮影監督:ダニエレ・チプリ
音楽:ニノ・ダンジェロ
製作:ドナテッラ・パレルモ、ロエス・カムスティーブ

キャスト

ターノ:チッチョ・グアリーノ
ナレーター、ターノの友人:エンツォ・パリーノ
フランカ・グアラシ:ミンマ・デ・ロザリア
ターノの妹たち:アデレ・アリオッタ
       :アンナマリア・ゴンファローネ
       :マリエッラ・アリオッタ
ジャーナリスト:マッシモ・プッララ
殺し屋:フランチェスコ・アッザーロ

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