原題:FIRE-EATER

1998年ロサンゼルス国際映画祭グランプリ受賞 1998年ロカルノ国際映画祭 特別賞/新人賞受賞

1998年10月30日フィンランド公開

1998年/フィンランド/100分/カラー&モノクロ/35mm/1:1.85 配給:アップリンク

2001年7月14日よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー公開

公開初日 2001/07/14

配給会社名 0009

公開日メモ 光と影が繊密にコントロールされた美しい映像の中で、双子の少女の姉妹愛を描くと共に、親娘の愛の在り方を問いかけた作品である。

解説


フィクション、ドキュメンタリーともに数々の映画を世に生み出してきた監督のピルヨ・ホンカサロ。北欧の映画監督の中でも際立った存在の彼女。1991年から1996年にかけて撮影されたドキュメンタリー作品群『A Trilogy of the Sacred and Satanic(神聖と邪悪の三部作)』は世界的に高い評価を受け、彼女の名は世界に知れ渡ることとなった。中でも脚のないヒンドゥー教徒の男が光を求めて6000㎞の巡礼の旅に出る姿を追りた作品『Atman』は、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭においてグランプリを受賞している。10年ぶりにフィクションの世界に戻ってきた彼女が描く本作は、光と影が繊密にコントロールされた美しい映像の中で、双子の少女の姉妹愛を描くと共に、親娘の愛の在り方を問いかけた作品である。

《ピルヨ・ホンカサロ監督の言葉———》
『白夜の時を越えて』を製作するに当たり、私はシモーヌ・ウェイルの『グラヴィティ&グレイス』を手に取りました。本の表紙を開いた私の目に飛び込んだのは次のような言葉でした。
“全人類の中で、我々が100%その存在を認めるのは、愛情を寄せる者だけである”
“己の醜さを他人に押し付けるという行為は、まったく耐え難い行動である。まるで悪魔払いだといわんばかりに、我々はこのような行動を起こしがちだ。犯罪とはすべて、ある行動の結果、人間の心に潜む「悪魔」が何等かに作用して行為となって表れたものなのだ…
たとえ「悪魔」が「行動」に変化しても、われわれの心から「悪魔」は消えるわけではなく、われわれの心の中で増大していく。これが増殖の方式なのだ。では「悪魔」をどこへ追いやればよいのか?われわれの汚れた心から「悪魔」を引きずり出し、苦難を受けさせるのだ”

『白夜の時を越えて』は、ある世代から次世代へと引き継がれる「かせ」をテーマにしています。また愛情と別離を描いた作品でもあります。

私は思春期を迎えた子供たちを今まで何度も自分の作品に登場させてきました。彼らは2つの世界の狭間にいるために、自らの本能に疑問を抱き、まったく別の道を進むことがあります。このことは自己への目覚めや疑問、そして恐怖心を感じさせるきっかけとなるでしょう。また思春期は、「性」を意識し始める年頃でもあります。私自身は、この頃の自分のことなどほとんど覚えていませんし、自分が一人の人間だという自覚もありませんでした。だから”彼女”に起きた出来事を第三者の目で見ているわけです。恐らく私自身、思春期の頃の自分を取戻し記憶に留めるために、この年代の子供たちを描いているのかもしれません。

ストーリー

ある夜、寂れた酒場で主人公のヘレナは、一人の少女に出会う。父親の酒代を稼ぐために酒場で歌うその少女を哀れに思ったヘレナは、少女と一緒に歌う。そんなヘレナにすっかりなついた少女は、ヘレナのそばを離れようとしない。見知らぬ少女から逃れようと夜更けのヘルシンキの街を歩き続けるヘレナ。しかしどこへ行っても少女はヘレナを見つけ出し、後を追ってくる。その少女の姿に、ヘレナはふと昔の自分の姿を重ね合わせる。私は自分自身から逃げているのだ…夜明けの空を見ながらヘレナは、母親や世間から疎外された自らの少女時代を回想し始める。

第二次世界大戦の終わり、双子の姉妹ヘレナとイレネはヘルシンキの街に生まれた。しかし、実の母親(シルッカ)は生後間もない2人を自分の母親の元へ置き去りにし、ドイツ兵と中央ヨーロッパに旅立ってしまう。コミュニストだったヘレナとイレネの祖母は、信愛するレーニンの名を取り、2人をそれぞれ、”ウラディミール””イリイチ”と呼ぶ。子供の頃から美しく誰からも可愛がられるイ
レネを、ヘレナは羨ましく思うのだった。そんなある日、育ての親であり共産主義の教えを授けてくれた祖母が急死してしまう。

まだ8歳の2人は養護施設に預けられることになる。しかし施設に入った姉妹は2人だけの世界に閉じ篭り、決して他人を寄せ付けようとはしない。ヘレナとイレネは一心同体だった。お互いを強く想う気持ちが、姉妹の人生を支える唯一の救いだった。

肌寒いある秋の日、2人を捨てた母親(シルッカ)がひょっこり養護施設を訪れる。彼女には連れがいた。スペイン人でサーカスのブランコ乗り、ラモンという男だ。しなやかな体を持つイレネを一目で気に入るラモン。彼はイレネをサーカスで引き取ろうと考えていた。だが施設の園長はヘレナも連れて行くよう母親とラモンを説得する。

ラモンは中央ヨーロッパを巡業でまわる間、いやがるイレネに空中ブランコの技を教える。イレネを溺愛する母親は、ヘレナにこう告げる。「この世には才能ある人間と、その人間に仕える人間がいる。アイリーンの忠実な僕になることこそ、お前の運命なのだ」と。そういう母親自身もまた、男たちに仕える僕だった。日が昇る間は自分に自信が持てず身を隠すヘレナも夜になると、誰にも邪魔されないイレネとの世界に安らぎを見いだすのだった。

サーカスでの厳しい生活は、やがてイレネの精神を蝕んでいく。演技をしている最中、彼女はブランコから落下してしまう。ケガこそないものの、この事件をきっかけにイレネは心に大きな痛手を受け、誰とも口をきかず、歩くことさえ拒絶してしまう。50年代半ば、サーカス団の一行はハンガリーに到着する。双子一家に利用価値がなくなったと見るや否や、ラモンは共産主義反対のデモに沸くハンガリーの街に姿を消してしまう。ラモンが去ると母親のシルッカは早速、フィンランド行きの列車の中でロシア兵に色目を使うのだった。

列車の道中、ヘレナは火食いの芸をモノにしたことを母親とイレネに披露する。そして生まれて初めて母親から賞賛の眼差しを向けられる。3人はワゴンに乗り、北フィンランドの建設現場を転々と回る。母親とイレネを従え、火食いの芸を見せるヘレナ。すっかり女らしくなり色気を漂わせる彼女の体に、酔っ払いの男どもの視線は集中する。ある日、火吹きのショーを終えたヘレナとイレネは、母親が建設現場の男と寝ている現場を目撃する。人生に絶望したイレネは森の奥へと行き、氷のはっている春の冷たい河に身を投げようとする。ヘレナが間一髪、イレネを助けるが、ヘレナの肩には母親とイレネを養うという重責がのしかかる。しかし、やがて過酷な運命が3人を引き裂いてしまうのだった…

時は戻り現在のヘルシンキ。少女から逃れるのを止め、その後を追うヘレナ。自分の過去を振り返り、自己を蔑すむ気持ちを捨てた彼女は、初めて自らの意志で、自分以外の人間の面倒を見ようと決意を新たにするのだった…。

スタッフ

監督:ピルヨ・ホンカサロ
製作:マルコ・リヨール
脚本:ピルッコ・サイシオ
撮影:チェル・ラゲルルース
美術:ティーナ・マッコネン
セット:クリスティーナ・トゥーラ
音楽:リカルド・アインホルン
編集:ミカル・レスッチロヴォスキー/ベルンハールド・ヴィンクレル

キャスト

エリナ・フルメ
ティーナ・ヴェックスレム
エレナ・レーベ
エルサ・サイシオ
ヴァップ・ユルッカ
ホルディ・ボレル
オアール・ラヌナル

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