原題:Dance of Dust

吹きすさぶ風。無情の雨。 容赦ない自然の中で生まれる、切ない物語。

1998年ロカルノ国際映画祭・銀豹賞・審査員賞受賞 1998年東京国際映画祭・アジア映画賞受賞 1998年ナント三大陸映画祭・監督賞受賞

1998年/イラン/カラー/35mm/スタンダード/75分/ 協力:イラン観光局/配給:ビターズエンド

2002年10月25日よりビデオ発売&レンタル開始 2002年10月25日よりDVD発売&レンタル開始 2001年6月23日よりテアトル池袋にてロードショー公開

公開初日 2001/06/23

配給会社名 0071

公開日メモ 吹きすさぶ風。無情の雨。 容赦ない自然の中で生まれる、切ない物語。

解説


《容赦ない自然の中で生まれる、少年と少女の切ない愛の神話》
強い風が吹きすさぶ砂漠の村。日干し煉瓦を造って暮らしている11歳の少年イリア。村にやって来た季節労働者の娘リムア。日々の仕事を通して、ふたりは微笑みあい、互いの名前を叫びあう。いつしか心をかよわせ、小さな愛情を育んでゆく。やがて、砂漠に雨季の到来を告げる雨が降る。季節労働者たちが村を去る時がやってくる。
『ダンス・オブ・ダスト』は、少年イリアと少女リムアの純粋な心のうちを綴っていく。ふたりは決して話すことなく、まなざしや叫び声、表情で”会話”する。リムアは手型を刻んだ煉瓦をイリアに、イリアは手の型のお守りをリムアに渡し、決して手に触れることなく、お互いの”手の温もり”を感じあう。音をたてて吹き続ける風、ふたりを包み込む砂の大地、すべてを溶かす雨。容赦ない自然の中で、過酷な労働の中で芽生えるふたりの愛情は、心の奥で結びつき、”強さ”と、さらには”崇高さ”をも感じさせずにはおかない。

《映像と音が織りなす、壮大な世界》
台詞が排された本作には、泣き声や笑い声、歌声や祈りの声、さらに風の音や雨の音、火の燃える音や水の流れる音など、日常にあふれるありとあらゆる音が紡がれている。その音に呼応する映像は、土地に根ざした人間本来の姿を描き、絶妙なカッティングで、時にスリリングに、時にユーモラスに積み重ねられていく。
一体となった映像と音は、壮大な一篇の詩となり、雄弁に語りかけ、圧倒的な力で観る者をとらえて離さない。「この映画を観るたびにいつも新しい発見がある。これは確かに私が創った映画だが、そこには私を超える何かが存在する」とジャリリが語るように、観る者は『ダンス・オブ・ダスト』で、今までにはない”映画”を体験することだろう。

《魂のコミュニケーション——心と心をつなぐ映画》
舞台は、実際に煉瓦造りが営まれ、様々な地方から季節労働者たちがやって来る村。ペルシャ語だけでなく、アラビア語、トルコ語、クルド語、そして英語までもが飛びかっている。ジャリリはこの村で映画を撮るため、6ヵ月間、季節労働者たちにまじり、煉瓦造りや寝食を共にし、お互いの信頼関係を築いていった。砂漠での生活を通して、ジャリリは脚本を膨らませた。そして、彼らに自分自身を演じさせることによって、撮影を進めていった。イリアとリムア、身重の妻を抱える労働者、コーランを読む老人、英語を話す不思議な男、そして子供たち——彼らの日常を映し取ることによって、彼らの”生”な姿とフィクションとが渾然一体となり、映画は、独特なリズムを獲得している。これが”ドキュ・ドラマ”と呼ばれるジャリリ映画の神髄である。
「『ダンス・オブ・ダスト』では、観客の魂に達するためにできる限り台詞を少なくしようと思いました。台詞を書けば、観客の注意を逸らしてしまいかねない」と語るように、ジャリリは本作から台詞を排し、イメージを積み重ねることから対話を生み出した。それは、言葉の通じない村での生活から、言葉ではなく心でコミュニケートすることの大切さを痛感したからであろう。
音と映像に結晶した、ジャリリと出演者たちとの心のつながり、そして、映画の中の主人公たちの心のつながり。この二重の心のコミュニケーションは、映画『ダンス・オブ・ダスト』に形を変え、観る者の魂に届けられる。
そして、映画『ダンス・オブ・ダスト』と、観る者の魂の間に、そこから新たなるコミュニケーションが生まれていくにちがいない。

《封印されてしまったジャリリの幻の傑作》
ジャリリは、既に8本の長編劇映画(うち1本は未完成)を発表している。過酷な状況下にある少年の姿を描くことなどが問題となり、海外での上映は許されていたものの、本国イランではすべての作品が上映禁止(作品によってはTV放映のみされている)となっていた。
しかし、1992年に製作された本作に限っては、理由も判らないまま、一切の上映を禁じられ、封印されてしまう。幻の作品となってしまった本作は、突如98年になって、ロカルノ、東京、ナントなどの国際映画祭のスクリーンに姿を現した。たちまち世界は騒然となり、本作は数々の賞に輝き、ジャリリの名は、一躍世界に轟いたのである。
その後、『ダンス・オブ・ダスト』はフランスでも一般公開され、批評家たちだけでなく、観客からも絶賛されヒットを記録した。
近年イランでは、ハタミ大統領が提唱する解放・自由化の政策にともない、映画界も少しづつ変わり始めている。今までタブーとされていた性の問題を絡めた作品や、政治や社会問題といった現実を直視するテーマを扱った作品が登場し、また上映禁止になっていた作品が一般公開されるようにもなり出している。
そして昨年、ジャリリの長年の夢でもあった『ダンス・オブ・ダスト』が、ようやく本国イランで一般公開された。本作は、ジャリリにとって、イランの劇場で公開された、記念すべき最初の作品となったのである。

ストーリー




強い風が吹きすさぶ砂漠の村。11歳の少年イリアは、村人たちと一緒に、日干し煉瓦を造って暮らしている。ひとりぼっちのイリアはいつも、まるで自分を呼んでいるかのような風の音に駆り立てられ、野原を、山を駆けてゆく。
ある日、季節労働者たちが村にやって来る。イリアは、その中に自分と同じ年頃の少女リムアがいることに気づく。大人たちまじって、子供たちも煉瓦造りを手伝っている。そんな中、ふたりは視線をかわし、微笑みあい、名曲を叫びあう。過酷な自然環境の中で、過酷な労働の中で、いつしか、ふたりは心をかよわせてゆく。
ある日、リムアは、自分の思いを託し手型を煉瓦に焼きつける。そして、イリアの家にそっと置いてゆく。その煉瓦は、唯一イリアの心を落ちつかせるものとなる。しかし、ふたりの様子に気づいたリムアの母親は、煉瓦を井戸に投げ込んでしまう。その日から、リムアは原因不明の重い病気にかかってしまう。
イリアは、祈祷所から人の手を型どったお守りを盗み、リムアの回復を願って土に埋める。しかし、リムアの容態はいっこうに良くならない。
村に雨季の到来を告げる雷が鳴り響く。村人や季節労働者たちはみんな、雨が降らないようにと神に祈りを捧げる。イリアも神に祈り、懸命に踊る。しかし、無情にも雨は降り、日干し煉瓦を溶かしてゆく。季節労働者たちは、嘆き悲しみ、村を去る準備をする。
リムアは家族と共に駅へと向かう。イリアは、土に埋めたお守りを掘り起こし、リムアにそっと渡す。急に思いたったイリアは、村へ駈け戻り、井戸から煉瓦を拾い上げ、大事にしまっておく。
季節労働者たちが去ってしまい、人影のなくなった砂漠の村。イリアは、またひとりぼっちになってしまう。いつものように、風の音に駆り馴立てられ、丘を駈け登ってゆく。そして叫ぶ。しかし、自分の声がこだまするだけであった。

スタッフ

監督・脚本:アボルファズル・ジャリリ
撮影:アタ・ハヤティ
編集:アボルファズル・ジャリリ
音楽:ネザムーンディン・ギアイー
製作:モハマド・メーディ・ダドグ

キャスト

マームード・ホスラヴィ
リムア・ラーヒ

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