原題:The President's Last Bang

この映画に嘘はあるか? この映画にタブーはあるか? この映画は真実なのか!──

2005第41回 百想芸術大賞・作品賞 2005第30回 カナダ トロント国際映画祭 出品 2005第43回 米国 ニューヨーク映画祭 招請

2005年2月3日韓国公開

2006年/韓国/カラー/104分/ビスタ/ドルビーステレオ/PG-12/日本語字幕:大塚毅彦  配給:エスピーオー

2008年06月04日よりDVDリリース 200712月15日(土)よりシネマート六本木、12月22日(土)よりシネマート心斎橋ほか、全国順次公開

(C)2005 by MK PICTURES

公開初日 2007/12/15

配給会社名 0116

解説


事実こそ最高のエンタテインメント!
韓国現代史上、最も衝撃的な1日が動き出す──
<パク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺=有故(ユゴ)>

1979年10月26日事件発生から28年──封印された暗殺前後の24時間を完全映画化。カンヌ、トロント、ニューヨーク…世界が今、その瞬間を目撃する!

79年10年26年 PM7:40頃ソウル市内の秘密施設…華麗な晩餐会場に2発の銃声が響き渡った。
1979年韓国の歴史上、最もショッキングな事実として今も鮮烈に人々の記憶に焼きついている事件…18年の軍事独裁政権に終止符を打った「10.26大統領殺害事件」。事件翌日の韓国の新聞では「大統領有故(ユゴ)」という見出しが一面を飾った。事件発生から現在に至るまで、韓国国内では封印された歴史として残されてきた惨劇は、ソウル市内中央情報部の秘密施設「安家」(「安全家屋」の略)で突如起こった。大統領の腹心で固めるファミリーの1人、中央情報部長(KCIA長官)、キム・ジェギュ(金載圭)が晩餐を楽しむ大統領を銃撃し、殺害したのだ。

この事件を題材にした映画を世界へ発信すること自体、韓国において非常にセンセーショナルな発想だった。1979年事件発生当時、本作の監督であるイム・サンスは高校2年生。彼の家ではパク政権に反対してきたリベラルなジャーナリストの父親が大統領の死を喜ぶ一方、学校は大統領の死を悼み、葬儀の日には慟哭する市民たちで街中が溢れた。そのアンバランスな風景が強烈な記憶として今も彼の脳裏に焼きついているという。本作品は、「いったいあの日に何が起きたか?」を、28年前にタイプ打ちされた膨大な量の捜査記録、証言記録の資料をベースに、映画的な演出を加え、その緊迫した一日を鮮烈な映像美とともに描き出した意欲作だ。そして、歴史の主役となった権力者だけでなく、歴史の闇に消えていった「脇役」、「端役」…大統領をとりまくファミリーに連なる普通の人物たちにも焦点をあてた。これは、大統領に銃口をむけ、独裁政権を崩壊させた人々の心情を淡々と映し出した人間ドラマでもあるのだ。

韓国公開直前、元大統領の遺族が上映禁止を裁判所に訴え、現在も係争中。
そして2007年12月19日、韓国第17代大統領選挙実施を目前に日本公開決定!
2005年、映画の完成直後、その内容や描写が故人および遺族の名誉を毀損するとして、パク・チョンヒ元大統領の遺族である長男パク・チマン氏が製作会社を相手取り、上映禁止の仮処分申請をソウル中央地方裁判所へ提出した。裁判所はパク大統領に関連する記録映像部分3分50秒間の削除を劇場公開の3日前に決定。製作会社は裁判所に異議申し立てを申請する一方、問題視された該当シーンを真っ黒に塗りつぶして劇場公開することを決断、2005年2月3日に封切を強行した。現在も韓国では名誉毀損をめぐり裁判は続いている。なお、パク・チョンヒ大統領の愛娘は野党ハンナラ党元代表として絶大な支持をえている政治家パク・クネ(朴槿恵)氏。2007年12月19日に実施される大統領選挙への立候補を宣言したが、ハンナラ党大統領候補者の予備選挙で、イ・ミョンバク(李明博)候補に1.5%というわずかな差で敗れた。

「製作前から訴えられると覚悟していた。しかし、映画監督として一度は描きたかったテーマだった」現代韓国版”大島渚“イム・サンス監督が挑む表現の限界!
イム・サンス監督をはじめ製作者陣は、1997年国際通貨危機以降、韓国映画界の活況を支えてきた386世代(1998年当時30歳代、80年代入学、60年代生まれ)の映画人たち。ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権の支持基盤であり、かつて民主化運動、学生運動を担ってきた彼らの世代が結集し、現代史のタブーに挑んだ。監督イム・サンスは、「崩壊寸前の家族」「タブー視されてきた女性の性的欲望」「青春」などをキーワードにこれまでメガフォンをとってきた。世界で注目されるきっかけとなったのは、第3作『浮気な家族』。禁断の性と欲望、崩壊した家族をモチーフに韓国社会の腐敗を描き、2003年ベネチア映画祭をはじめ国内外で高い評価を受けた。そして、4作目にあたる『ユゴ〜大統領有故〜』では2005年カンヌ映画祭出品を果たす。タブーを恐れない異端の才能、ベネチア、カンヌで熱狂的な支持をうけるイムはまさに現代韓国版”大島渚“。次回作はフランスの製作会社で、パリを舞台に現在準備中である。

1979年、”あの時“を再現する豪華なセット、日本語の会話、演歌歌唱!?
忠実に再現された暗殺現場=豪華な晩餐会場のセットの中、衝撃的な場面が次々と贅沢かつスタイリッシュな映像で描かれていく。日本大衆文化の流通・放送を禁止していた大統領が、人気女子大生歌手シム・スボンに「北の宿から」を歌わせ、自らも楽しむ場面もそのひとつ。監督は語る。「この映画でどこまでがフィクションでどこまでが事実か……。ひとつ言えることは、拷問の末に作られた供述記録と違うからといって、フィクションとはいえないということです。私の書いたシナリオのほうがきっと真実に近いと信じています」
主演は韓国映画界の名優『シュリ』『二重スパイ』のハン・ソッキュ、『地球を守れ!』『ビッグ・スウィンドル!』で強烈な個性と実力をみせたペク・ユンシク。ふたりが首謀者となり、あの歴史に残る1日の幕は切って落とされた……。なお、女子大生歌手シム役では、日韓で人気のロック・グループ「紫雨林(チャウリム)」の女性ヴォーカル、キム・ユナが出演、「悲しい酒」など日本の演歌を弾き語りで披露している。

ストーリー

ファミリーに渦巻く憎しみと殺意
1979年10月26日 ソウル午前9時20分
韓国中央情報部(KCIA)のチュ儀典課長は、大統領をはじめとするVIPたちが顧客リストに名を連ねるリゾート施設<安家>で朝を迎えた。この朝も「大統領と恋愛関係にある」と主張する女性の母親をなだめすかせなくてはいけなかったのだ。チュ課長は彼の仕事の大半を占める、こうした尻拭いばかりの雑務にうんざりとしていた。それでも中央情報部のトップであるキム・ジェギュ部長(KCIA長官)の右腕として信任も厚く、そうしたジレンマに苛立つ毎日だった。
大統領はその朝、ヘリコプターで地方の視察に飛んでいた。彼に随行したのは、ヤン大統領秘書室長とチャ大統領警護室長だけだった。権力の中枢に君臨して大統領への忠誠心争いを繰り広げているファミリーのもう一人、キム中央情報部長は同行していなかった。ヘリコプター視察のメンバー選定の決定権をチャ室長が持っていたからだ。3人のパワーゲームはすでに発火点を超えていた。軍をも掌握しかねない傲岸不遜なチャ警護室長、政界では隠然たる勢力をもちながらも調整力のないヤン秘書室長、肝臓の病気と慢性的な疲労に苦しんでいるキム中央情報部長——彼ら3人が大統領の裏のファミリーを構成していた。

許さない!めぐり来る粛清の季節
宮井洞(クンジョンドン)本館 午後4時10分
 “大行事”…それは大統領を入れたファミリー4人による権力の晩餐会の符丁だ。キム部長は大統領から、今夜大行事を開きたいという知らせを受けると、すぐに部下のミン大佐とチュ課長に連絡を取った。接待の女性を二人用意するようにとの指令にチュ課長はいやいや、歌手のシムと知り合ったばかりの女子大生チョを呼んだ。キム部長は軍の最高指揮官である参謀総長も夕食に招待することを直接、電話で伝えた。場所は大行事が開かれる同じ宮井洞だ。参謀総長を味方に抱き込めば大規模なクーデターも可能となり、ここのところ押されっぱなしのチャ室長を黙らせることもできるのだ。その頃、シムとチョは誓約書を書かされていた。そこには、今日この場で見聞きしたことを口外したら処罰すると書かれている。もう何人に書かせたことだろう、チュ課長はこうした汚い仕事は今回が最後と本気で考えていた。
ヤン秘書室長が最初に到着し、キム部長と会う。二人が、日増しに強くなってきたチャ室長の傲慢な振る舞いに怒りを新たにしていると、参謀総長もやってきた。そして大統領を乗せた高級車スーパーサロンを多数の警護員が取り囲んだ。キム部長は大統領とチャ室長が到着すると、情報部次長に参謀総長の相手をさせて二人を迎えに出た。

権力の継承を最前列で観よ!
宮井洞宴会場 午後6時05分
キム部長に続いて大統領、ヤン秘書室長、チャ警護室長が宴会場に入る。宴会場執事のシムが料理や飲み物の確認を終えて出ていくと同時に飲み食いが始まった。酒はシーバスリーガルだ。大統領とヤン秘書室長がハイペースで飲むのを横で見ながら、チャ警護室長は最近の情報部の仕事振りについてキム部長を罵倒する。大統領も激しく彼を叱責した。いたたまれなくなったキム部長は気づかれないように部屋を出た。チュ課長が女性たちを連れてくると、チャ警護室長はチュ課長の態度にも難癖をつけてから女性たちを宴会場へと入れた。シムは大統領の左側、チョは右側に座った。女性たちの登場で場の雰囲気は一変し、歌手のシムが大統領のリクエストに応えて歌いだすと宴会はさらに盛り上がっていった。「日本の演歌をやれ」。シムが歌いだしたのは、「北の宿から」だった。
キム部長はミン大佐とチュ課長を呼び出して、ついに大統領を今夜暗殺することを宣言した。二人にはその準備をするよう命じると、最初はショックを受けたものの、二人はこの計画に協力することに同意したのだった。チュ課長は自分の部下3人を選んで、合図に従って一斉に大統領の警護員たちを撃つように指示した。

崩壊と制圧。ついに姿を現した巨大な影
宮井洞宴会場 午後7時30分
暗い秋の夜、冷えた空気に晒されて宣戦布告は切って落とされた。キム部長は宴会場に戻ると先ずチャ警護室長を狙った。パン!第1弾は右腕を貫く。トイレへ逃げ込むチャ警護室長を追ったキム部長は大統領を見下ろし第2弾を発射した。大統領は首を垂れながら横に倒れ、額を机にぶつけた。その時、館内の電気が一斉に消えた。同時に警備員の待機室と厨房は拳銃の発射音と怒声が混ざり合い、一瞬にして修羅場と化した。チュ課長は親友である警護主任と射撃の名手である副主任を、ミン大佐に率いられた情報部員が厨房にいた警護員を撃ち抜く。大統領はチョの膝の間に頭を埋めていたがまだ息があった。宴会場から出てきたキム部長はチュ課長からリボルバーを受け取り、引き返すとチャ警護室長に止めをさした。それからおもむろに、50センチの至近距離から大統領の頭を撃ち砕いた。銃撃戦の間、ヤン室長は宴会場の机の下に隠れたままだった。突然、そしてあっけなくファミリーは崩壊した。多くの血とともに。
                    *
大統領が発した最後の言葉は、「私は大丈夫」だったという。午後7時58分、ヤン秘書室長は国軍ソウル地区病院へ大統領を運び入れたが、血圧、脈拍、呼吸はなく、瞳孔の反応もなかった。ヤン室長の連絡を受け、最初に青瓦台に現われたのは総理大臣だった。キム部長は「大統領有故」を伝え、総理大臣は陸軍本部で急遽国務会議を開催した。しかし、ヤン室長の自供からその場でキム部長は逮捕となった。
翌10月27日午前、戒厳司令部は戒厳令を布告、合同捜査本部の発足を発表した。その長に任命されたのは、数時間前まで序列50番目の軍人だった。そしてその瞬間、これからの韓国の運命を握る男としてチョン・ドファン(全斗煥)少将が歴史の表舞台に初めて登場した。

スタッフ

脚本/監督:イム・サンス『浮気な家族』
撮影:キム・ウヒョン『浮気な家族』
照明:コ・ナクソン
美術:イ・ミンボク
編集:イ・ウンス
音楽:キム・ホンジプ
サウンド:キム・ソックァン
ハン・チョルヒ
特殊視覚効果:チャン・ソンホ
小道具:イ・ミンボク
衣装:キム・ドヒ
メイク:チョ・ヒョンスク
制作:シム・ジェミョン
シン・チョル『LISE/嘘』
製作投資:イ・ウン
チェ・ジナ
キム・ギョンモク

製作:MKピクチャーズ

キャスト

ハン・ソッキュ
ペク・ユンシク
ソン・ジェホ
キム・ウンス
チョ・サンゴン
クォン・ビョンギル
チョン・ウォンジュン
チョ・ウンジ
キム・ユナ
チョン・ジョンジュン
イ・ジェグ
キム・サンホ
キム・ソンウク
キム・テハン

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