サラバンド
原題:Saraband
巨匠イングマール・ベルイマン監督、最高にして最後の傑作 バッハの音楽に秘められた、激情の四重奏——
2005年アルゼンチン映画批評家協会賞特別賞受賞 2004年ニューヨーク映画祭正式出品
2003年12月01日スウェーデン公開
2003年/スウェーデン/112分/カラー/16:9(ハイビジョン)/ドルビーSRD/ 翻訳:石田泰子 字幕監修:三木宮彦 後援:スウェーデン大使館 配給:シネフィル・イマジカ 地方配給:ユーロスペース
2007年05月26日よりDVDリリース 2006年10月21日、ユーロスペースにてロードショー<全国順次公開>
(C)SVT 2006. All Rights Reserved
公開初日 2006/10/21
配給会社名 0297/0131
解説
巨匠イングマール・ベルイマン、最高にして最後の傑作
ゴダールが、「誰よりもオリジナリティがある映画作家」と絶賛し、ウディ・アレンが、ロバート・アルトマンが、ラース・フォン・トリアーが、ジム・ジャームッシュがもっとも影響を受けたという北欧が生んだ世界的巨匠イングマール・ベルイマン。映画界を引退し、舞台演出に専念すると宣言していたベルイマンが、85歳にして、『ファニーとアレクサンデル』以来20年ぶりに映画に挑んだ。この北欧が生んだ世界的な名匠が、文字通り“最後の作品”として選んだのは、1974年に撮った『ある結婚の風景』の続編であった。その荒々しさ、その光、その噴出。どこにも源泉はなく、それはベルイマンそのものから湧き出る神の咆哮のようだ。
憎しみの終わり。終わりのない愛の始まり
かつて夫婦として生活をともにしたマリアン(リヴ・ウルマン)とヨハン(エルランド・ヨセフソン)は、離婚後30年ぶりに再会する。一方、ヨハンの近くで暮らす彼の息子のヘンリック(ボリエ・アールステット)とその娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)は、剥き出しの父娘愛のなかで愛憎をたぎらせ、痛みと苦しみの感情を〈サラバンド〉(バッハの《無伴奏チェロ組曲第5番》)にぶつけていく…。
『ある結婚の風景』の続編である本作は、男女の愛の深遠をテーマに引き継ぎ、絶望的な愛の欲求を極限のなかに描き出す。ふたりの人間がもつれるたびに深まり激化する、激情の噴出からなる音楽。しかしやがて彼らは、愛憎の砦を破り、魂の安息の場所へとたどり着くのだった…。
“神”という絶対的な存在は、自分と相手という人間のペアの愛憎の関りのなかでしか認識しえない。〈サラバンド〉というベルイマンの組曲は、その受難を、普遍のなかに描き出す。
『ある結婚の風景』から『サラバンド』へ
『ある結婚の風景』は、弁護士のマリアン(リヴ・ウルマン)と医師のヨハン(エルランド・ヨセフソン)の、一見平穏で円満そのものにみえた夫婦関係に亀裂が生じ、崩壊するさまをリアルに描いた作品である。もともとは全6話からなる5時間を越えるテレビ・シリーズとして製作された。デンマークで放映された際には、主人公たちの運命を知ろうとして急いで帰宅する人たちの車の列が交通パニックを引き起こし、さらにストーリーに刺激されて離婚が急増するなど、社会現象にまでなったいわくつきのセンセーショナルな作品である。
テレビ版を再編集した168分の劇場版も、ゴールデン・グローブ賞外国映画賞、全米批評家協会賞作品賞、NY批評家協会賞女優賞(リヴ・ウルマン)などを受賞し、日本では’81年に公開された。そこには、主演女優たちとの華麗な遍歴から生まれたベルイマン自身の結婚生活が色濃く反映されている。この劇場版も、今や結婚生活の内実をリアルに浮き彫りにした古典として揺るぎない位置を占めており、最近では、フランス映画の鬼才フランソワ・オゾンが『ふたりの5つの別れ路』を撮る際に、この作品から深くインスパイアされたことを率直に表明しているほどだ。
『サラバンド』では、厖大な思い出の写真がうず高く積まれた机の前に座り、キャメラに向かって柔和な表情を浮かべたマリアンが、離婚後のふたりがどうなったか、そしてふいに啓示を受けたように、片田舎の別荘で隠遁生活をしているヨハンを訪ねる決意をしたことを淡々と語り始める。プロローグとエピローグに全10章を加えたこの作品は、リヴ・ウルマンのゆるやかな語り口で、観る者を一気に引き込んでいく。30数年ぶりに再会を果たしたふたりは、まるで恋人同士のように再会を祝福し合い、キスを交わし、抱擁し、ノスタルジックで親密な会話を重ねていく。別荘の近くには、ヨハンの息子ヘンリックが娘のカーリンと暮らしており、一見、美しい自然に囲まれた穏やかな環境で、幸福な余生を送る老人の日々がスケッチされていくかにみえる。
しかしベルイマンは、章を追うごとに仮借ない眼差しで、このヨハンとその家族が抱える〈精神の地獄図〉ともいうべき苦痛に満ちた、“叫びとささやき”が交錯する修羅場そのものを執拗に暴いていくのである。
「女たちの世界はわたしの世界だ」
かつて、イングマール・ベルイマンは「女たちの世界はわたしの世界だ」と語ったことがある。その言葉を立証するかのごとく、映画批評家時代のフランソワ・トリュフォーは「ベルイマンの映画は、まさしく、女性に捧げられた映画だ。ベルイマンの映画の女たちは、男の視点から一方的に見られた存在ではなく、ベルイマンと女たちの完璧な共謀となれあいのなかでとらえられたイメージなのである。男の人物たちが型にはまったキャラクターばかりなのに対して、女たちが無限のニュアンスに彩られていきいきとしているのも、そのためだ」と見事に分析している。
実際に、新人女優を育てる名人であったベルイマンは、ハリエット・アンデルソン(『不良少女モニカ』)、ビビ・アンデルソン(『第七の封印』)、イングリット・チューリン(『野いちご』)、リヴ・ウルマン(『仮面/ペルソナ』)などを発掘し、その魅力を開花させ、世界的な大女優へと育て上げていった。そのうちの何人かとは愛人関係となり、結婚し、離婚した後も親密なパートナーシップは永く続くことになる。『仮面/ペルソナ』で、突然、声を失った舞台女優の役でベルイマン作品に衝撃的にデビューしたリヴ・ウルマンは、知性と匂うような官能的な魅惑を両方併せ持った稀有なヒロインであり、それ以後、公私共にベルイマン映画の最も重要なミューズとなったのは周知の通りである。
この最新作でベルイマンが発見したのは、カーリン役のユーリア・ダフヴェニウスだが、まるで初期の傑作『不良少女モニカ』のハリエット・アンデルソンを思わせる溌溂としたエロティックな肢体は、登場しただけで画面に生々しい官能性が息づくかのようである。たとえば、マリアンとカーリンがワインを飲み、談笑しながら、夫や父親をこき下ろす場面には、女性同士の密やかで打ち解けた柔らかなトーンが画面に漂い、至福感に包み込まれるような魅惑が溢れている。
とくに、突然真っ赤な壁をバックに登場し、あるいは真っ赤な服を着て祖父に会いに行くカーリンは、全篇が真紅のイメージで統一されていたベルイマンの『叫びとささやき』で幽閉されていたハリエット・アンデルセンを否応なく想起させる。
一方でトリュフォーが指摘したごとく、ベルイマン作品に登場する男たちは自意識が強く、観念偏重型で融通がきかず、ユーモアのかけらもない、メランコリックな孤独に沈潜するタイプばかりである。この映画でも、ヨハンとヘンリックは双生児のように似ており、会えば、あたかも近親憎悪のように侮蔑の言葉を吐き、罵倒し合うのである。とくに、ヘンリックは妻のアンナが病死して以後、チェロの才能を持つ娘のカーリンを異様に溺愛し、音楽学院のオーディションに備え一緒に練習に励むのだが、その根底には畸形的な愛が仄見える。
サラバンド——バッハの音楽に秘められた、激情の四重奏
題名の『サラバンド』とは、17〜18世紀にヨーロッパの宮廷で普及した古典舞曲のことで、とくにバッハの《無伴奏チェロ組曲第5番》のサラバンドは有名である(アトム・エゴヤンが、この曲をモチーフに世界的なチェロ奏者ヨーヨー・マを俳優としても起用し、『サラバンド』という短篇を撮っているのはよく知られている。またヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』、ソクーロフの『太陽』などでも、同じサラバンドが使用されている)。この作品では、あたかもふたりの父娘の身悶えるような常軌を逸した愛憎そのものを象徴しているかのようだ。というのも、カーリンから訣別の言葉を聞くとヘンリックはこのサラバンドを弾いてくれるように頼み、娘が決定的に去った後には自暴自棄となり、痛ましい行為に走るからである。
とくにふたりが向き合ってチェロを練習するこのシーンは、言葉をもたない激しい対話のようにサラバンドが使用され、それはやがてラストの、マリアンとその娘マッタの言葉をもたない、しかし感情の激しい触れ合いにまで移行することとなる。そこにはあきらかに、憎しみや苦しみを超えた、神の顕現とも言うべき愛が通う瞬間がある。
生きることへの限りない意志
制作時85歳という高齢にもかかわらず、ベルイマンはこの作品を最新のHD技術で撮影するという大胆な試みを行なっている。とくに純白の空間でチェロを弾くカーリンが次第に遠ざかっていく幻想的なシーンは、驚嘆すべき抽象的なイメージの広がりが感じられ、この不世出の巨匠の絶えざる実験精神に心打たれるのである。
ベルイマンのデビュー作『危機』は、生みの親と育ての親がエゴイズムを剥き出しにして小さな娘を奪い合い、彼女を不幸に追いやるという作品だったが、図らずも遺言とも言うべき最後の作品『サラバンド』でも、同じモチーフを取り上げたことになる。
しかし、うららかな秋の日差しのような柔らかいトーンで始まったこの映画は、やはり、女性たちへの限りなき讃嘆の想いを託した感動的なエンディングで締め括られる。深夜、言い知れない不安に駆られ呆然と立ち尽くすヨハンを、マリアンはベッドに受け入れるのである。頑迷ですぐに絶望しペシミスティックな世界に自閉してしまいがちな男たちを、寛容に包み込むリヴ・ウルマンの名演には、ただ圧倒されるほかない。そこには、ベルイマンならではの生きることへの限りない肯定の意志、微かな希望と至福に向かうイメージが垣間見える。『サラバンド』は、真の女性映画の名匠の白鳥の歌にふさわしい、集大成ともいえる傑作である。
ストーリー
プロローグ
ひとりの女性が大きなテーブルに山積みになった写真を前に、おだやかに語り始める。1枚ずつ、昔の写真を取り出しながら。女性の名前はマリアン(リヴ・ウルマン)。離婚して30年になるかつての夫ヨハン(エルランド・ヨセフソン)のこと。ふたりの娘、いまは精神を病んで療養所生活をするマッタと、結婚してオーストラリアに移住したサーラのこと。やがてなにかの啓示のように、30年ぶりにヨハンに会うために、彼の別荘を訪ねる決心をする。
第1章〈マリアン、計画を実行に移す〉
森と湖が広がるその場所に、ヨハンの別荘はあった。年月の乖離など感じさせぬような二人の再会。かつての夫婦は、過去の軋轢を乗り越えたかのような、穏やかで、親密な関係性を見せる。マリアンはすでに63歳、ヨハンもゆうに80歳を超えていた。わずかな滞在を予測していたマリアンは、すでにそこでの長逗留を意識せざるをえなかった。
第2章〈ほぼ、1週間が経過〉
別荘のそばには、ヨハンの息子のヘンリック(ボリエ・アールステット)とその娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)が住んでいた。二人はカーリンが音楽学校に入学するため、ヨハンが所有する別宅でチェロの訓練を昼夜問わず重ねていたのだ。
そんなある日、ヨハンの留守中、マリアンのもとへカーリンが動揺を隠しきれない表情で飛び込んでくる。初対面であるにも関らず、カーリンは自分の不安と怒りをマリアンにぶつける。父親のエゴイスティックな指導、そして激しい束縛と確執。そのあふれんばかりの感情に、マリアンは飲み込まれそうになっていく。
第3章〈アンナについて〉
マリアンとひとときを過ごしたカーリンは、落ち着きを取り戻して父親の元に戻る。ヘンリックは途方に暮れた表情で娘を待ちうけていた。そして娘と一緒のベッドで、2年前に病死した妻アンナとの思い出について、娘に語り始める。結婚直前にアンナを失いそうになったことを。カーリンが家を出たとき、それを思い出していかに動揺したかを。アンナはヘンリックにとって生命の一部だった。それをヘンリックは“奇跡”と呼んだ。そして「私にはやがて、厳しい天罰が下るだろう」と自分の運命を予知するのだった。
第4章〈約1週間後、ヘンリックは父を訪ねる〉
ある日、ヘンリックは父親のヨハンを訪ねる。父親とは思えぬ憎悪の表情で息子に対峙するヨハン。うろたえるヘンリック。ヘンリックはカーリンのために、父親に借金を申し出たのだ。チェロの名器があり、それを彼女に買い与えたいと。しかし、侮辱にまみれた言葉で息子を追い詰めるヨハン。そこには50年にも渡る父子の憎しみの感情が横たわっていた。50年前に息子が吐いた「あなたは父親ですらない」という一言に引きずられるように、憎しみを増幅させてきたヨハン。そしてそのヘンリックに対して「お前は無だ。存在すらしない」と吐き捨てるように言う。
第5章〈バッハ〉
教会ではヘンリックが弾く、バッハの《トリオ・ソナタ》の第1楽章が荘厳に流れていた。そこを訪れるマリアン。ヘンリックはそこで、カーリンへの、ひいてはアンナへの強い愛情をマリアンに吐露する。アンナが亡くなったいま、死はいとも簡単に、近くにある、と。ひとりになった教会で、マリアンは窓からふいにさしこむ強い光に誘われ祭壇の前に行き、そして神に祈るばかりだった。
第6章〈申し出〉
ブルックナーの交響曲が鳴り響くヨハンの家に、カーリンが祖父を訪ねる。祖父から呼ばれたのだ。ヨハンは友人からだというその手紙を読み上げた。それはヨーロッパでも有数の音楽学校の教授であるその友人から、カーリンへの入学の誘いの手紙だった。父親であるヘンリックを決して通さず、カーリンに直接話したい、というヨハンの確固たる思い。それは彼の、息子への憎悪と、カーリン、そして亡くなったアンナへの強い思いの表れでもあった。
第7章〈アンナからの手紙〉
カーリンが一通の手紙を携えて、マリアンの元を訪れた。それは本の間に隠されていたという、アンナからヘンリックに宛てた手紙だった。死の数日前に書かれたもので、ヘンリックのカーリンへの強すぎる愛情を危惧する内容だった。その限界を知らない底なしの愛情は、カーリンを束縛し、やがて深く傷つけることになるだろう、と。だからあの子を自由にしてほしいと、その手紙は訴えていた。母親の危惧が現実になったことに、カーリンは動揺するばかりだった。
第8章〈サラバンド〉
家ではヘンリックが、数ヵ月後に父娘コンサートを開催することになったと張り切って娘を迎えた。曲はバッハの《無伴奏チェロ組曲第5番》、サラバンドだと。しかし母親の手紙を隠していたことに怒りを隠せないカーリンは、父親にその思いをぶつけ、自分が探した音楽学校に入学することを決めたと宣言する。生まれて初めて自分が決めたことなのだと。絶望の淵に立たされたヘンリックは、せめて最後にサラバンドを弾いてくれ、と娘に哀願するのだった。
第9章〈決定的瞬間〉
ヘンリックが自殺未遂をしたという連絡が、ヨハンとマリアンの元に入る。さらにヘンリックへの憎悪を剥き出しにするヨハン。「カーリンを罪悪感から守れ」とマリアンに、その気持ちをぶつける。
第10章〈夜明け前〉
その夜、廊下でひとり、ヨハンは震えながら泣いていた。その震えは止まらず、助けをマリアンに求める。マリアンに促されるように、すべての着衣を脱ぎ、そして今度はマリアンが裸になり、彼女のベッドで一緒に寝る。そこに到るには長い時間が必要だったと言わんばかりに。落ち着きを取り戻すヨハン。「なぜ不意に訪ねてきたのだ?」。そう言うヨハンに、マリアンは「あなたが、呼んでいると」と答えるだけだった。
エピローグ
ふたたび、マリアンは膨大な写真が積まれたテーブルの前にいる。そしてその後を回想する。穏やかな数日をヨハンと過ごしたこと。別荘から戻っても、ヨハンと連絡を取り合っていたものの、あるときからぷっつり連絡が取れなくなったことなど。そして写真のなかからアンナの写真を取り出し、彼女がどんな女性だったのか思いを馳せる、と。やがて彼女は療養所にいる娘のマッタと会ったことを回想する。それはヨハンに会ったことに、きっと関係があるのだろうと言いながら。
パイプベッドと椅子だけがある、マッタの療養所の部屋。焦点の合わない目を隠す眼鏡をはずす母親の手は、マッタの顔を慈しむように触れていく。マリアンは言う、「この手で、自分の娘に触れてる。わたしの子に…」と。
スタッフ
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:レイモンド・ウェンメンロブ
ペーオー・ラント
ソフィ・ストリッド
美術:ヨーラン・ワスベリイ
照明:ペール・スンディン
衣裳:インガ−・ペルソン
メイク:セシリア・ドロット=ノルレーン
サウンドエンジニア:ボリエ・ヨハンソン
編集:シルビア・インゲマルソン
サウンドミキシング:ガボール・パストル
AD:トルビョーン・エーンバル
製作:ピア・エーンバル
キャスト
マリアン:リヴ・ウルマン
ヨハン:エルランド・ヨセフソン
ヘンリック:ボリエ・アールステット
カーリン:ユーリア・ダフヴェニウス
マッタ:グンネル・フレッ
LINK
□IMDb□この作品のインタビューを見る
□この作品に関する情報をもっと探す