200万部を超える大ベストセラー、ついに映画化。 「ボクの一番大切な人。ボクのために自分の人生を生きてくれた人──ボクのオカン。」

2007年/日本/カラー/シネマスコープ/ドルビーデジタル/上映時間:2時間22分 配給:松竹

2007年10月24日よりDVDリリース 2007年4月14日(土)全国公開

(c)2007「東京タワー〜o.b.t.o.」製作委員会

公開初日 2007/04/14

配給会社名 0003

解説



200万部を超える大ベストセラー、ついに映画化。

「ボクの一番大切な人。ボクのために自分の人生を生きてくれた人──ボクのオカン。」
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」が、映画になります。
 原作は才人リリー・フランキーが亡き母への思いを中心に、親と子、社会と個人、時代によって変わるものと変わらぬものの姿を、真っ正直に綴った自伝小説。ご存じの通り、2005年6月に出版されるや「泣ける」「号泣した」との評判が社会現象的ブームを巻き起こし、「全国書店員が選んだいちばん!売りたい本 2006年本屋大賞」を受賞。200万部を超えるベストセラーとなった作品です。
 しかし、”200万人が涙した感動のベストセラー”という決まり文句では、「東京タワー」の持つ特別なパワーを表現するには足りません。既成の枠組みを超え、現代人の心の壁を突き破る力を持った小説「東京タワー」は、普段は本など読まない人たちにも本を買わせ、一方、”泣ける本”ブームには批判的なはずの”うるさ型”読者をも素直に泣かせました。幅広い読者層を圧倒し、熱烈に愛された傑作です。その映画化には多くの人々の熱い思いが、やはり従来の枠を超え、壁を超えて結集しました。
 映画『東京タワーオカンとボクと、時々、オトン』は、通常のベストセラー映画化とは少々異なる企画です。雑誌「en-taxi」誌上で原作の連載第一回がスタートした時点で、「これは新しい国民的文学になる」と見抜いた辣腕プロデューサーたちが映画化に向けて動き始めていました。松岡錠司監督はまだ依頼を受けない段階で、一読者として原作者のサイン会に並び、「映画化するなら自分に監督をさせてほしい」と直談判していました。原作本がベストセラーになる以前に、これぞ今の時代に映画化すべき物語だ、という映画人たちの熱気はすでに立ち上っていたのです。
 キャストにも錚々たる顔ぶれが集まりました。物語の語り手である主人公”ボク”を演じるのは、今をときめく日本映画界の星、オダギリ ジョー。つねに新鮮なイメージで変身し続ける時代のヒーローが、だらしない、ごく普通の男を静かに演じます。
 物語の真の主役と言える”オカン”を演じるのは、日本映画界を支える名女優、樹木希林。いつも通りの気負わぬそぶりでありながら、この役に賭ける決意には並々ならぬものを感じさせます。個性的な名バイプレーヤーとして活躍してきた彼女が、優しく温かく、たくましくてユーモラスな日本の母を、映画の真ん中に立って堂々と演じます。
 そのオカンの若き日を、本格的な演技はこれが初挑戦となる内田也哉子が演じていることも話題を呼ぶでしょう。樹木希林の実の娘である内田也哉子が母自身を演じることによって、映画に、奇跡的な本物の親子のぬくもりが加わることになりました。
 オカンとボクにつかず離れず、飄々と生きる”オトン”には実力派の名優、小林 薫。若き日から妻に先立たれる日まで、いつも自分の居場所を見つけにくい日本の父の切なさを絶妙に演じます。
 また、シークレットになっていたボクの彼女ミズエ役には、松たか子の出演が正式決定。オカンとボクの絆をそっと見守る重要な役どころを、平成の名女優が支えます。そのほか、ベテラン、新人、メジャー、アンダーグラウンドの垣根を越え、小さな役に至るまで「まさかこの人が」というミラクルなキャスティングが実現しました。
 脚本は劇作家、演出家の松尾スズキ。原作者リリー・フランキーと同世代で、同郷の北九州出身でもある彼は、他人の原作を他人の監督作品のために脚色するという異例の依頼を快諾。昭和の筑豊の炭坑町で育った少年が、平成の東京タワーの下で母を看取る原作の精神を正しく理解し、原作のディテールの魅力を損なうことなく、映画脚本として巧みに再構築しています。
 昭和から平成へ、泣いたり笑ったり、ぐるぐると迷い続けて生きる日本人の真ん中に立って、今も日本人を見つめる東京タワー。松岡監督は「結果的に、泣ける映画になるのかどうかは分からない。ただ、そこにいる人間を描くんだ」と言い切ります。”泣ける映画”の提供を目指すものではありません。日本映画の真ん中に、日本人の心を描きたい。東京タワーのように高く、まっすぐに。そういう思いへのたくさんの共感が、今、ひとつずつ積み重なろうとしている、新たなる国民映画の誕生です。

ストーリー




母と子、父と子、愛と友情、青春の屈託…。
あなたにどこか似ている普通の人へ。
陰影、優しさ、想いの深さをあまさずくみとる物語。

この話は、東京に弾き飛ばされ
故郷に戻っていったオトンと、
同じようにやってきて帰るところを失ってしまったボクと、
そして、一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに、
東京に連れてこられて、戻ることも帰ることもできず、
東京タワーの麓で眠りについた、
ボクの母親の、ちいさな話です。

 1960年代、ボクが3歳の頃。真夜中にオトンが玄関の戸を蹴破って帰ってきた。酔っぱらったオトンはボクにいきなり焼き鳥の串を食わせ、そして……オカンにホウキで殴られた。故郷の小倉で、オカンとオトンとボクの3人が暮らした短くも幸せな日々の、それが最後の思い出だった。オトンの家を出て、オカンはボクを筑豊の実家に連れ帰った。オカンは妹の”ブーブおばさん”の小料理屋を手伝いながら、女手一つでボクを育ててくれた。毎日、オカンは夜中に起きて漬け物の糠床をかきまぜる。「朝ご飯の時間から逆算するたい。今起きて混ぜるんが、いちばん美味しく漬かるんよ」とオカンは言う。オカンの作ってくれる美味しいご飯を食べて、ボクは大きくなった。トロッコに乗ってやんちゃな遊びをやらかすような、昭和の炭坑町のガキになった。
 オカンも漬け物をかき混ぜてばかりいたわけじゃない。近所の人たちと花札に興じたりして、酒乱のオトンから解放された自由をそれなりに謳歌もしていた。ボーイフレンドらしき人ができたこともある。オカンもまだ若くて、女だった。
 学校が長い休みになると、ボクはオトンのところへ行かされた。一度、オトンがボクのために船の模型を作ってくれたことがある。何事もやりかけで終わるオトンが作ってくれた船は、やっぱり未完成品だったが。

 1970年代、筑豊の炭坑も小倉の製鉄所も、煙突から煙を上げなくなった頃。中学3年になっていたボクは、寂れた町を出ていきたくなった。早くオカンを自由にしてあげたいという思いもあった。
 大分の美術高校に合格し、一人で下宿生活をすることになった春の日。駅まで見送りにきたオカンがボクに持たせたカバンには、新しい下着と弁当箱と、しわくちゃの一万円札を忍ばせた封筒が入れてあった。列車の中、オカンのおにぎりと漬け物を噛みしめて、15歳のボクは泣いた。

春になると東京には、
掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでいく塵のように、
日本の隅々から若い奴らが吸い集められてくる。
暗闇の細いホースは、夢と未来へ続くトンネル。
しかし、トンネルを抜けると、そこはゴミためだった──。

 1980年代、憧れの東京に出て美大生になったボクは、ナウいヤングにもなりきれず、ただ自堕落な日々を送っていた。学校へもろくに行かず、絵も描かず、ダラダラ過ごすうちに4年が過ぎた。「このままやったら卒業できん」ボクは苦労して学費を出してくれたオカンに親不孝な告白をしたが、オカンは強かった。「あと一年、オカンもがんばるけん。あんたも卒業までしっかり学校行きなさい」
 オカンに甘えて留年させてもらい、オカンを喜ばせるためになんとか卒業したが、その後の進路は考えてなかった。就職する気がないことをオカンには言えず、オトンに相談した。「どんなことも最低5年はかかるんや。なんにもせんにしても、5年は何もせんようにしてみぃ」という遊び人のオトンの言葉には妙に説得力があった。

 1990年代、ボクに関係ないところでバブルがはじけた頃。何もしないでいるうちに溜まってしまった借金を返すため、何でもかんでも仕事を引き受けているうちに、ボクはいつの間にかイラストレーター兼コラムニストとして食えるようになってきた。
 やっとオカンに心配かけずにやっていける……と思った矢先、ブーブおばさんから電話で「あんたのオカン、ガンの手術で入院しとるんよ」と聞かされた。
 オカンの手術は一応成功したが、完治はしなかった。残ったガン細胞を投薬で抑え続けていくしかない。それでもオカンはまだあの寂れた田舎町で、働くつもりでいた。
「東京に来たらいいやん」
「ほんとに行ってええんかね」
 遠慮するオカンをボクは東京に呼び寄せた。15の歳でオカンの元を離れてから15年、ボクとオカンは東京の雑居ビルで、また2人で暮らすことになった。
 ボクには新しい彼女、ミズエもいた。オカンはミズエを気に入り、ミズエもオカンを慕っている。ボクは東京に出てきて初めて幸せを感じた。
 オカンは代々受け継ぐ糠床を大事に持ってきていた。ボクの友人や仕事仲間など、訪ねて来る人たちにオカンは必ず手料理をふるまう。ボクがいなくても、オカンの料理を食べに友達が集まってくるようになった。いつも笑い声が響く、にぎやかで温かい家ができた。オカンが来て、ボクが帰る田舎はなくなったが、雑居ビルの一室がボクの「家」になったのだ。

 しかし、つかの間の幸せに忘れたふりをしていても、ボクが恐れる「いつかやってくる日」は、確実に近づいていた……。

2001年4月1日、
桜の季節にもかかわらず雪が降った。
オカンとボクは、病院の窓から
東京タワーを間近に見上げていた。

スタッフ

原作=リリー・フランキー
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(扶桑社刊)
脚本=松尾スズキ
撮影=笠松則通
照明=水野研一
美術=原田満生
録音=柿澤 潔
編集=普嶋信一
音楽=上田 禎
衣裳=宮本まさ江
メイク=豊川京子

監督=松岡錠司

主題歌=福山雅治「東京にもあったんだ」 (ユニバーサルJ)


制作プロダクション=フィルムメイカーズ、リトルモア
配給=松竹
製作=『東京タワー o.b.t.o.』製作委員会(日本テレビ放送網、リトルモア、松竹、衛星劇場、三井物産、電通、扶桑社、バンダイフィル、読売新聞、読売テレビ放送、ガンパウダー、アンシャンテ、フィルムメイカーズ、札幌テレビ、中京テレビ、広島テレビ、福岡放送)

キャスト

オダギリジョー
樹木希林

内田也哉子

松 たか子

小林 薫

冨浦智嗣
田中?平
谷端奏人
渡辺美佐子
佐々木すみ江
原 知佐子
結城美栄子
猫背 椿
伊藤 歩
勝地 涼
平山広行
荒川良々
辻 修
寺島 進
小島 聖
吉本菜穂子
光石 研
千石規子
仲村トオル
土屋久美子
小泉今日子
板尾創路
六角精児
宮?あおい
田口トモロヲ
松田美由紀
柄本 明
田中哲司
塩見三省
岩松 了
江本純子
安藤玉恵
栗原 瞳
麻里也
竹下玲奈
小林麻子
ぼくもとさきこ

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