視線のエロス
原題:la femme defendue
他人のものが欲しくなる・・・ 妻とは別れない、それでも若く美しい女を誘惑する男−−−フランソワ、39歳。 妻子ある身と知りつつ、男の心とからだ全てが欲しい女−−−ミュリエル、22歳。
☆第50回カンヌ国際映画祭正式出品作品
1997年フランス映画/102分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーステレオ/字幕:松岡葉子/ 配給:ギャガ・コミュニケーションズ
1999年11月5日よりビデオレンタル開始 1999年、4月17日より新宿シネマ・カリテにてゴールデンウィークロードショー
公開初日 1999/04/17
配給会社名 0025
解説
二人の関係は世に言う“不倫”。始まりはほんの偶然の出会い。あからさまにからだを求める男。関係をじらす女。だが男の新鮮なまでにストレートな欲望に、ついに女は男に身をまかせる。一度火のついた女の欲望は、男の思惑を超えて、男の心とからだを独占しないではいられない...。
フェティシズムに満ちた“男の視線”
第50回カンヌ映画祭コンペ部門に出品され、全編を男の視線でとらえた主観キャメラで撮影するというエロティックな手法と、言葉によるポルノグラフィーともいえる会話内容で物議を醸した「視線のエロス」。本作品の登場人物はたったふたり、しかも実際にキャメラに映し出されるのは、ひとりの女だけ。一方、この女を見つめ続ける男の存在はキャメラという「視線」に同化し、?見る?という行為が素晴らしく官能的に表現されていく。
不倫という今ではありふれた愛の形をとりあげながら、永遠に理解しえない男と女の本質的な違いを、赤裸々な会話の中に浮き彫りにしていく。男は女を手に入れるために惜しみない情熱を注ぐが、肉体関係を結んでしまえばしだいに熱が冷めていく。女は妻から男を奪うことに夢中になり、男が自分から離れられないよう心理的な駆け引きを仕掛ける。求める関係がすれ違っているにも関わらず、互いに惹かれあうのは「他人のものが欲しくなる」という人間のどうしようもない欲望にふたりがとり憑かれているからだ。
感情の透視〜フェティシズムに満ちた男の視線〜を全編にわたって主観キャメラで表現するというオリジナリティ溢れる手法により、かつてないセクシャルな愛の世界を表現することに成功したのは監督兼主演のフィリップ・アレル。彼の私小説ともとれる本作においてファム・ファタル〜運命の女〜を演じるのはフランスの新進女優イザベル・カレー(本作にてセザール賞ノミネート)。彼女に注ぐアレルの視線はエロティックな欲望に溢れ、監督と女優という関係以上のものを連想させられる。
ストーリー
フランソワ 39才男性 既婚
ミュリエル 22才女性 独身
パリ、激しく降り注ぐ雨の夜のパーティー。フランソワ(フィリップ・アレル)は天使の微笑を湛えた女、ミュリエル(イザベル・カレー)に出会い、そのセクシャルな美しさに魅せられる。一方、ミュリエルにとってフランソワは未知の男。妻をもちながらも、強引なアプローチを仕掛ける年上の男に対して言い様のない感情を抱き始める。それは“他人の男を奪いたい”という女の本能的な欲望であった。そして再会の約束・・・。不実な密会を重ね、いつしかふたりは互いのからだに溺れ、後戻りできない関係に堕ちていく。
(午後のカフェ・フランソワを見つめるミュリエル)
僕と寝たいと思う?
独身だったら。
君に触れたい。手にさわっていい?
ノン。
どうして?
奥さんは?
関係ない。
いつか私も裏切られるのね。
残念だな。君とならステキに過ごせる、何時間でもセックスできるのに。
秘密と嘘で固めた関係ね、そんなのイヤ。
友だちとして君の手に触れていい?君の手は感じやすそうだ。少しだけでいい。
いいわ。
(夜のレストラン・ワインをかたむけるミュリエル)
君に頼みがあるんだ。
言ってみて。
君のヌードが見たい。
何のため?
見たい、それだけだ。何もしないと誓う。
バカみたい。
ごく当然の欲求さ、きみはきれいだから。
見るだけで何もしない?
一度でも僕が何かした?
信じるわ。
(ホテルのスィートルーム・裸で横たわるミュリエル)
僕が欲しい?
ノン。
後悔してる?
分からない。
笑ってくれ。
あなたの勝ち、満足ね。
愛している。
口先だけ。
本当だ。
悪いことしているみたい、恥ずかしいわ。
何が?
こそこそ隠れて奥さんに嘘ついて。でも今、私はあなたの腕の中。
嫌?
幸せ、だから怖いの。抱いて、強く。
スタッフ
監督:フィリップ・アレル
脚本:エリック・アスー、フィリップ・アレル
製作総指揮:ミシェル・グイロックス
撮影:ジル・ヘンリー
キャスト
ミシェル: イザベル・カレー
フランソワ: フィリップ・アレル
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