原題:SANMON YAKUSHA

近代映画協会50周年記念作品

第24回モントリオール国際映画祭正式出品作品

2000年/日本映画/カラー/ビスタサイズ/上映時間2時間6分/ 配給:近代映画協会、東京テアトル/配給協力:メディアボックス/ 宣伝:ドラゴン・フィルム

2001年5月12日より「新藤兼人からの遺言状」でシネマライズにて再上映 2000年12月2日よりテアトル新宿にてロードショー 2001年6月8日DVD発売/2001年6月8日ビデオ発売

公開初日 2001/05/12

公開終了日 2001/05/25

配給会社名 0007

公開日メモ 「新藤兼人からの遺言状」として特集上映 鉄人・新藤兼人監督の創造する映画は独創性に富み、観客を圧倒するエネルギーに満ちている。監督作品は46本、89歳を越えた現在も次回作の構想を練り、週に1本の脚本を書き上げるというタフネスぶりを発揮する監督の過去の作品を堪能できます。

解説


戦後の日本映画界になくてはならない貴重なバイプレイヤーとして活躍した殿山泰司、自らを“三文役者”と称し、女と酒とジャズとミステリ小説を愛し続けた彼の俳優人生は、実に天衣無縫極まりないものであり、しかしそんな彼のことを、みな親しみを込めて“タイちゃん”と呼んだ。そして1989年4月30日、タイちやん逝く……。

 長年タイちゃんと共に映画製作を続けてきた同志でもある新藤兼人監督が、彼の人生を映画化しようと決心したのは、それからまもなくのことである。しかし、その足跡を追い、当時を再現させるには相応の準備が必要とされた。結果、構想7年という長い歳月を経て、99年5月、ついに映画『三文役者』はクランク・イン。ようやくタイちやんは、再び銀幕の中に蘇ることになったのだ。

 タイちゃんの役には、新藤監督が脚本執筆時からイメージしていたという竹中直人が、堂々の抜擢。殿山泰司独特の声色を真似しつつ、単にそっくりショーではない、ひとりの俳優の生きざまを、ぺーソス豊かに体現してくれている。タイちゃんを支え続けた“側近”のキミエには荻野目慶子が扮し、時に菩薩のような、時に鬼より怖いといった魅力的な女性像を生き生きと演じている。そしてタイちゃんの本妻アサ子には、吉田日出子。ひょうひょうと振る舞いながらも、タイちゃんをめぐって、一度も会いまみえることのないキミエと女の戦いを繰り広げてくれる。その他、大杉漣、田口トモロヲ、上田耕一、六平直政など、タイちゃん亡き後の日本映画界きっての個性派たちが競って集結。さらには倍賞美津子、原田大二郎、仁木てるみ、川上麻衣子などなど、タイちゃん及び新藤監督が主宰する独立プロ・近代映画協会になじみの深い面々も、大挙して周りを固めてくれている。スタッフも当然、近代映協の歴史と共に歩んできた重鎮メンバーばかりだ。

 そう、タイちやんの人生は、そのまま近代映協の歴史とオーバーラップするのだ。そこで新藤監督は、劇中に『裸の島』(60)『人間』(62)『母』(63)『悪党』(65)など、タイちゃんが出演した近代映協の名作群フィルムを挿入しつつ、それらの作品の撮影風景なども巧みに再現させることで、タイちゃんにオマージュを捧げると同時に、近代映協の歴史をセミ・ドキュメント・タッチで振り返るという、新藤映画ならではの重層的構成を試み、見事な成功を収めている。タイちゃんの証言者として、今は亡き名優の乙羽信子が登場し、時に劇中のタイちゃんたちに語りかけてくれるのも、今回の大きな話題のひとつだ。もともと『三文役者』は、彼女の遺作となった『午後の遺言状』(95)撮入の前に映画化される予定であり、彼女の証言シーンの数々だけは、既に撮り終えていたのだった。かくして2000年、近代映画協会50周年記念作品として完成した『三文役者』は、20世紀末尾を飾る日本映画の決定打として、まもなく公開される。

 ひとりの俳優の泣き笑い人生は、戦後日本映画界の象徴として、またヒューマニズムが強く求められる現代において、観る者に深い感動を与えてくれるに違いない。

ストーリー




タイちゃんこと殿山泰司は、1915年10月17日、銀座の「おでんお多幸」の長男として生まれた。父・信男は瀬戸内海生口島の出身。やがて大きくなったタイちやんは、俳優となる……。

 36歳になったタイちゃんは、京都の喫茶店「フランソワ」で、17歳のウェイトレス・キミエと出会い、相思相愛の仲となる。しかしタイちゃんには既に、鎌倉に内縁の妻アサコがいた。タイちゃんは、女優のおカジこと乙羽信子を仲介に、アサコに別れ話を持ち出すが、逆にアサコは区役所へ行ってタイちやんとの婚姻届を出し、さらには養女を迎えてしまった。東京でタイちゃんと同棲を始めたキミエは、負けじと兄の息子を養子に迎える。あっという間に、ふたりの子供の父親となってしまったタイちゃんであった……。

 一方でタイちゃんは、近代映画協会第1回作品『愛妻物語』(51)で知り合ったカントクこと新藤兼人監督の56年作品『銀心中』の撮影中、谷底に転落し、九死に一生を得るという事故にも遭ったが、彼はカントクを敬愛し、その後もカントク作品に出演し続けていく。60年『裸の島』の撮影前、タイちゃんは酒の飲み過ぎがたたって重度の肝硬変となるが、医師の反対を押し切って真夏の瀬戸内海に浮かぶ小島での合宿撮影に参加し、苛酷な仕事を始めるが、アルコールと無縁の労働の日々を過ごすうちに、病気が治ってしまった。カントクは命の恩人となったのだ。

 62年の『人間』では、タイちゃんは毎日映画コンクールやNHK映画コンクールなどの男優主演賞を受賞し、キミエやアサコを喜ばせる。しかし続く63年『母』の撮影中、タイちゃんは酒の飲み過ぎで、カントクの背中にゲロを吐き、大いに自己嫌悪。以後、禁酒を誓うが、それも長くは持たなかった。女癖も相変わらずで、そのたびにキミエに怒鳴り散らされる始末。66年『悪党』の撮影中には、急に実の母親に急に会いたくなって、失踪事件を起こしたこともあった。しかし、それは結果として、母親との最期の面会ともなった……。

 タイちゃんはカントクの作品だけでなく、ポルノでもアクションでも教育映画でも、何でも別け隔てなく、お声がかかれば出演し続けていった。しかし月日が経ち、68歳になったタイちゃんに依頼される仕事の本数は減り、仕事に行くふりをして都内をブラブラする日が多くなっていく。アサコの養女、キミエの養子も結婚した。親らしいことは、何ひとつしてやれなかった……。

 タイちゃんが、再び病魔に侵されたまさにその時、仕事が3本も続けて舞い込んできた。三文役者の意地をかけ、勇んで撮影現場に通うタイちゃん。しかし堀川弘通監督作品『花物語』(89)の出演を終えた直後、ついに倒れてしまう……。1989年4月30日、タイちゃんはキミエに看取られながら、帰らぬ人となってしまった。享年74歳であった。

スタッフ

製作:新藤次郎
脚本・監督:新藤兼人
プロデューサー:新藤次郎、平形則安
撮影:三宅義行
美術:重田重盛
音楽:林光
照明:山下博
録音:武進
編集:渡辺行夫
スクリプター:吉田純子
助監督:山本保博
製作担当:森賢正

キャスト

タイちゃん:竹中直人
キミエ:荻野目慶子
アサ子:吉田日出子
オカジ:乙羽信子
佐藤慶:緋田康人
山本圭:三浦景虎
キミエの父:桂南光
美子:広岡由里子
美子(3歳):入澤佳苗
美子(12歳):鈴木祐紀
安夫:笠原秀幸
安夫(5歳):篠田拓馬
河原林の酒屋の主婦:波乃久里子
酒屋の女子中学生:車田梨絵
縄手の旅館のかみさん:二木てるみ
トシコバーのママさん:倍賞美津子
ジャズ喫茶の古田:塩野谷正幸
夢子バーのママさん:渡辺とく子
キッスする女:夏目玲
白鯨亭のオヤジ:江角英明
トラックの運ちゃん:田中要次
カントク:新藤兼人
元芸者屋階下のばばあ:藤夏子
肉屋のオヤジ:嶋崎伸夫
肉屋のカミさん:野呂瀬初美
助監督(人間〜悪党):大森南朋
助監督(落葉樹):鈴木卓爾
助監督(花物語):芹沢礼参
衣裳係(花物語):大原康裕
カントク(花物語):堀川弘通
カメラマン:渋谷拓生
カメラ助手(悪党):唐沢龍之介
製作部(悪党):石岡潤一
アパートの近所の人:前沢保美、小池
榮、今井和子、津田真澄、谷津勲
ユカリ:川上麻衣子
愛仁病院の院長:原田大二郎
近映協の糸氏:千葉茂樹
悪党の俳優AとB:Har'G KETTELS
ラーメン屋のばばあ:東郷晴子
広島のパーの女:真野きりな
廓の女:給沢萠子
中学同級生A君:新田亮
タクシーの運転手(亀岡):六平直政
タクシーの運転手(広島):上田耕一
トロフィーを受ける男:木場勝己
タイちゃんの実母:原ひさ子
キミエの兄:松重豊
鯛次の客:うえだ峻
フランソアのママ:水野あや
かいば屋主人:加地健太郎
かいば屋客:富沢亜古
夢子バー麻雀客男:西沢仁
夢子バー麻雀客女:梶原阿貴
古田細君:伊藤あやみ
安夫の花嫁:菊地百合子
乙羽信子(裸の島):翠美恵
肥だこ担ぎを教える男:堀本量幸
中隊長:蓮見隆弘
ポルノ女優:古谷裕美
近大映協の女性1:吉利治美
近快映協の女性2:岡林桂子
近代映協の女性3:諸江みなこ
フランソアの大学教授:下飯坂菊馬
中年女優(花物語):霧生多歓子

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