原題:Nicky's Family

2011年/チェコ・スロバキア合作/カラー/101分 提供:エデン、ポニーキャニオン、東急レクリエーション、パイオニア映画シネマデスク 後援: チェコ共和国大使館、チェコ・センター、スロヴァキア共和国大使館 配給協力:東急レクリエーション 配給:エデン+ポニーキャニオン

2016年11 月 26 日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA他順次全国にて愛と涙のロードショー!

ⓒTRIGON PRODUCTION s.r.o. W.I.P.s.r.o. J&T Finance Group,a.s. CZECH TELEVISION SLOVAK TELEVISION 2011

公開初日 2016/11/28

配給会社名 0113/0068

解説


これは“イギリスのシンドラー”と呼ばれた男と
「パディントン」のモデルになった子どもたちの物語。

1938年、第二次大戦開戦前夜のチェコスロヴァキア。イギリスのビジネスマン、ニコラス・ウィントンはナチス・ドイツによる迫害の危機にさらされていたユダヤ人の子どもたちを救うため、<キンダートランスポート>を実行し、チェコにおけるその中心人物となる。だが、彼らの行動に世界は冷たく、多くの国々が協力を拒否し、門戸を閉ざした。唯一子どもたちの入国を受け入れたのは彼の母国イギリスだけだった。ニコラスはイギリスで里親を探し、書類を偽造して、子どもたちを次々と列車で出国させるが、その活動は1939年9月1日の大戦勃発によって中止を余儀なくされる。彼が救った669人の子どもたちはホロコーストの時代を生き延び、各国でさまざまな職に就き、また多くの子孫を生み、育てた。その数約6000人。
だが、ニコラスはそんな自らの偉業を誇ることはおろか、家族にさえそれを語ったことは無かった。それから50年後、1988年のある日、妻グレタが屋根裏部屋で埃を被った一冊のスクラップブックを見つける。そこには子供たちの詳細な情報が記載されていた。それを入手したイギリスのテレビ局BBCは子供たちの行方を追い、生放送の番組内でニコラスと再会させるサプライズを計画する。そしてそれは、人々を涙と感動で包む奇跡の瞬間となった。その一部は動画サイトにアップされて“世界で一番泣ける動画”とも呼ばれ、既に3000万回以上も再生されている。映画は、再会シーンはもちろん、そこに至るドラマチックな経緯と、一人の人間の愛と善意が驚くほどの影響力を持って今も世界中に広がり続けている姿を追っていく。

“英国のシンドラー”とも呼ばれ、その功績が認められてエリザベス女王からサーの称号を、チェコ政府からは最高名誉勲章を授与され、ノーベル平和賞の候補にも度々名を挙げられたニコラス・ウィントンは、その後も様々な慈善活動を続け、2015年7月1日、106歳の天寿を全うした。これは愛と勇気の人、ニコラス・ウィントンの知られざる活動の足跡をたどるとともに、子どもたちを救うことの大切さを伝える愛と感動のドキュメンタリー。モントリオール世界映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭観客賞はじめ、世界各国の数多くの映画賞に輝く傑作である。
 
製作・監督・脚本は、同じくニコラス・ウィントンを取り上げた60分のテレビ番組で、15年に日本テレビの「世界まる見え!テレビ特捜部」で「愛の力:ニコラス・ウィントン」と題されて一部が紹介され話題となった「THE POWER OF GOOD」(02)で国際エミー賞を受賞したマテイ・ミナーチュ。彼は本作にも登場する救われた子どもの一人、ヴェラ・ギッシングの著書「キンダートランスポートの少女」に感銘を受けて以来、ニコラスをテーマにした作品に長年取り組んでいる。撮影はチェコ、スロヴァキア、アメリカ、カナダ、カンボジア、イスラエル、デンマーク、フランス、スウェーデン、ハンガリーと世界各国におよび、450時間の映像が撮影され、ポスト・プロダクションには4000時間を費やした。
感動的な物語の語り部として出演、ナレーションを担当するのは、自らも救われた子どもの一人で、「THE POWER OF GOOD」でもナレーターを務めたカナダのTVジャーナリスト、ジョー・シュレシンジャー。再現ドラマ部分では近年ハリウッドでも活躍するチェコの人気女優クラーラ・イソヴァー(『サヴァイヴィングライフ〜夢は第2の人生』『ナルニア国物語/第2章 カスピアン王子の角笛』)がニコラスに子どもを託す母親役を演じ、『クーキー』などのミハル・スラニーがニコラス役で出演している。

世界中で愛され、近年映画化もされた「くまのパディントン」の原作者マイケル・ボンドは、首から名札をさげてスーツケースを持ったパディントンのキャラクターは、彼が子供の頃にニュース映像で見た<キンダートランスポート>でイギリスにやってきた子どもたちの姿にインスパイアされて創作したと語っている。

ストーリー




1本の電話が彼の人生を変え、多くの命を救った…。

1938年、第二次大戦開戦前夜、ナチス・ドイツの脅威が迫るチェコスロヴァキアで、669人ものユダヤ人の子どもたちの命を救った一人のイギリス人がいた。彼の名はニコラス・ウィントン。だが、それから50年の間、その事実は世界中の誰にも知られることはなかった。そのときに命を救われた子どもの一人で、その後カナダでTVジャーナリストとして成功したジョー・シュレジンジャーは、自らの経験を振り返り、自分たちを救った英雄の足跡を辿り、ニコラスが指揮した奇跡の救出作戦の全貌を解き明かしていく。

1988年、ニコラスの妻グレタは、物置となっていた屋根裏で一冊のスクラップブックを見つけ、その内容に驚く。それは夫が50年前に関わった「チェコスロヴァキアからイギリスへの子供たちの救出作戦の記録」だった。そこには、子供たちの顔写真と名前、両親の名前、当時の住所、イギリスでの引き取り先など、すべてが整理され、詳細かつ丁寧に記されていた。ニコラスは妻にさえ、“キンダートランスポート”と呼ばれるその救出作戦に関わったことを一切話していなかった。それには、ある理由があった…。

 1938年12月、29歳のニコラス・ウィントンは証券会社の優秀なディーラーだった。それまで彼は人道支援やボランティアとはまったく無縁の生活を送っていたが、プラハでユダヤ人難民支援を行っていた友人からの電話を受け、その手助けのためにチェコスロヴァキアを訪れたことで彼の人生は大きく変わる。彼が目にしたのは、ナチスの迫害によって悲惨な生活を強いられているユダヤ人難民たちの姿だった。
 当時、ナチス・ドイツはヨーロッパ全土を征服すべく、各国への侵攻計画をたてていた。独裁者ヒトラーによるナチズムは、他民族、特にユダヤ人への憎悪をドイツ人の心に植え付け、それを利用して国を戦争へ向かわせようとしていた。
ニコラスは命の危険にさらされている人々を前に、せめて子どもたちだけでも救い出すことができないかと、持ち前のバイタリティと行動力で活動を開始する。彼は公的機関を装った移住のための委員会を組織し、各国の指導者に手紙を書き、大使館との交渉を試みるが、アメリカをはじめ欧米のほとんどの国々から受け入れを拒否される。やがて、その頃すでにドイツからの“キンダートランスポート”活動を行っていた母国イギリスだけが受け入れを認めたが、そのためには厳しい条件をクリアする必要があった。それはすべての子どもたちに里親となる家庭を探し、一人につき50ポンドの保証金を政府に支払うというものだった。
 ニコラスはプラハで子どもたちの写真入りの資料を作成し、それをもとにイギリスで里親探しを開始した。プラハでは子どもを出国させたい家族の多くが、藁をもつかむ思いでニコラスの事務所に殺到した。ニコラスはプラハから列車でドイツ領内を通過してオランダへ向かい、船で英仏海峡を渡ってロンドンに向かうという経路で作戦を実行、1939年3月14日から8月2日までの間に、669人の子どもたちを救出させた。
しかし、1939年9月に予定されていた250人の子どもたちの輸送は、9月1日のドイツのポーランド侵攻による第二次世界大戦勃発により中止を余儀なくされる。そのとき列車に乗るはずだった子どもたちのほぼ全員が、その後強制収容所などで命を落とした。
 戦争が始まった以上、正式な公的機関ではなかったニコラスの委員会には、もはや活動を続けることは困難だった。最後の作戦の中止に心を痛め、後悔の念に苛まれたたニコラスは、その後、彼が関わった子どもたちの輸送に関して一切口を閉ざし、自らは赤十字に参加してフランスで難民支援活動を続けた。
 
 50年後、妻グレタによって発見されたスクラップブックは、BBCのプロデューサーの目に留まり、やがてある番組が企画された。それは、“That’s Life!”という日曜夜の生放送バラエティ番組で、局が探し出した数十人の“救われた子どもたち”をニコラスには内緒で再会させるというものだった。1988年2月27日に放送された番組は全英を驚きと感動で包み、その話題は世界へと大きく広がっていった。
“救われた子どもたち” はニコラスとの再会を喜び、その後も定期的に彼を囲んで親交を続けた。輸送作戦から70年目にあたる2009年9月1日には、プラハからロンドンに向け記念列車“ウィントン・トレイン号”が運行され、ニコラスはロンドンで成長した子どもたちを再び出迎えた。
子どもたちの多くは戦後、世界各国に渡り、様々な分野で活躍した。そして自らも親として多くの子どもを育て、孫たちに囲まれて幸せな生活を送っていた。669人の子どもの家族は今や約6000人にも及ぶ。そして、「人を助けることの素晴らしさ」を身に染みて知る彼らは、それぞれの暮らす土地で現在も慈善事業や奉仕活動を行っている。
 ニコラス・ウィントンは2015年7月1日、子どもや孫たちに囲まれながら106歳で天寿を全うした。彼の物語と思いやりの精神は、今も世界中の多くの人々の心に生き続け、語り継がれている。

スタッフ

監督:マテイ・ミナーチュ
製作:マテイ・ミナーチュ
パトリック・パッシュ
脚本:マテイ・ミナーチュ
パトリック・パッシュ
編集主任:パトリック・パッシュ
編集担当:アレナ・スプストヴァー
ローベルト・ツプリーク
音楽:ヤヌシュ・ストクロサ
撮影:ドド・シモンチッチ
ペテル・ズバル
アントニーン・ダニュヘル
マルティン・クバラ
録音:ペテル・ネーメツ
イゴル・ヴラベツ

キャスト

ニコラス・ウィントン
ジョー・シュレシンジャー
ヴェラ・ギッシング
アリス・マスターズ
ベン・アベレス
エリ・ヴィーゼル
ダライ・ラマ14世

<再現フィルム出演>
クラーラ・イソヴァー(母親)
ミハル・スラニー(ニコラス・ウィントン)

ナレーション:ジョー・シュレシンジャー

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