ミリキタニの記憶
2016年/日本/カラー/21分 配給:湖畔八丁目
2016年8月27日公開
公開初日 2016/08/27
解説
2012年10月12日、ジミー・ツトム・ミリキタニはニューヨークで波乱に満ちた92年の生涯を終えた。「ミリキタニの猫」の撮影が始まったのは2001年だが、それ以前のジミーを知る人々の証言と、当時のジミーの写真そしてジミーの描いた絵などでつづられた、ジミーの過去をめぐる旅。
ストーリー
(1)東京編 〜東京在住の3人
松崎美紀子はニューヨークで写真を学んでいた当時の2001年の春、チャイナタウンの公園でベンチに寝転がっていたミリキタニと出会う。一緒にいて居心地がよく、受け入れてくれる感じがあったので、その後ジミーの元に何度も通って写真を撮っていた。写真を撮りながら自分も癒されていた部分があったと思うと語る。
坂本ジョージは日本企業のニューヨーク駐在員として赴任していた際、1994年末ないしは1995年の始めに、ある教会が主催する、週末にホームレスに無料でランチを提供する活動のボランティアとして働いていた時に、通って来たジミーと出会った。「私のアトリエに遊びにきなさい」と誘われて行ってみたら、チャイナタウンの公園で絵を描いていた。その後、月に3〜4回の割合で公園に通い、2年間ほど交流が続いた。その間にもらった十数点の絵はすべて日本に持ち帰っている。1996年に会社から帰任命令が出て、別れの挨拶にいったときのジミーの言葉は衝撃的だった。
佐藤哲郎は1990年代半ばに何度か冬にニューヨークに飛んでホームレスの写真を撮っていた。そんな中で1994年1月にジミーと出会う。ホームレスを200人ほど撮った中の1人だったが、面白いおっさんだと思い、その後ほぼ毎日会っていた。ホームレスになっても描き続けていることに衝撃を受けた。悲しそうな目をしていて、でも強がっている人だという印象がある。どこで寝ているのか、会った後につけていったこともある。10年ほど前、東京でホームレスの写真展を開いた時、ジミーの写真を見たお客さんが、この人の映画が公開されると教えてくれて、まだ生きていたことに驚いた。
(2)広島編 〜広島在住の2家
三力谷家(本家)には第27代戸主の三力谷一弘氏がいた。代々伝わる三力谷家の家系図を保管しており、その中にはジミーの父・市太郎とその兄妹全員の名前を見ることができる。ジミーの父の末の弟が一弘氏の祖父である。
日野家の兄妹の父・達見がジミーの兄として一緒に育った。年長の満寿江さん、隆さんは戦前の幼少時にほんの何度かジミーを見た記憶がある。戦後の1950年代にジミーは絵を送って、広島で表装してもらい達見に送り返してもらっていたことを覚えている。また同時期にはニューヨークからコーヒーや靴、ハガキを送ってきてくれた思い出がある。1950年代にジミーが送って来た絵が十数点、筒に入っていたものが十数年前に物置から見つかった。
(3)ニューヨーク、そして・・・
ジミーの最後の10年ほどの年月を日夜ともに過ごし、ジミーの晩年を一番良く知る存在にもインタビューを試みたが・・・。
そして「尊厳の芸術展」(The Art of Gaman)
2012年の秋に東京藝術大学美術館を皮切りに、2013年にかけて仙台、福島、広島、沖縄と巡回して評判になった「尊厳の芸術展」。日系人が強制収容所にいるときに作った日用品・美術工芸品を集めたこの展覧会にはジミー・ミリキタニの描いた絵も展示されていた。その作品もここで登場。現存が確認されているものの中では、ジミーが描いた一番古い絵(1946年作)になる。(絵の由来に関しては「ミリキタニの人生」を参照)
スタッフ
監督・製作:Masa
編集:出口景子、石田優子、杉田協士
撮影・スチール:御木茂則、芦澤明子
音楽:SKANK/スカンク
整音:滝澤修
整音:右田聡一郎
キャスト
松崎美紀子
坂本ジョージ
佐藤哲郎
三力谷一弘
日野家
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