原題:FOUJITA

パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?

第28回東京国際映画祭コンペティション部門

2015年/日本・フランス/カラー/126分/ 配給:KADOKAWA

2015年11月14日(土)、角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

© 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド

公開初日 2015/11/14

配給会社名 0058

解説


『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽倻子のために』『眠る男』など海外でも評価の高い小栗康平監督10年ぶりの新作。タイトルの『FOUJITA』は、フジタのフランス語表記。1913年、27歳で単身フランスへ渡り、1920年代前半に発表した「ジュイ布のある裸婦」(寝室の裸婦キキ) をはじめとして、“乳白色の肌”と称された裸婦像が絶賛を浴び、エコール・ド・パリの寵児となり、社交界の人気者となった。1940年、第二次大世界大戦でパリがドイツ軍の手に落ちる寸前に、帰国を果たす。戦時の日本では「アッツ島玉砕」をはじめとして数多くの“戦争協力画”を描く。戦後、戦争責任を問われて日本を去り、その後、フランスに帰化。カソリックになって洗礼名をレオナール・フジタとする。フジタは戦後、二度と日本に戻っていない。
小栗監督はフジタが生きた二つの時代、二つの文化の差異に注目する。「パリの裸婦は日本画的といってもよく、日本での”戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。『大東亜の理想』が叫ばれていたときである。これをフジタの”ねじれ”ととるか、したたかさ、ととるか、掘り下げるべきテーマは深い。」と語る。
伝記映画の枠にとどまらない、小栗監督のオリジナル脚本である。

主演のフジタを演じるのはオダギリジョー。韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいが、本作が初めての欧州進出となる。本映画の半分はフランス語。猛特訓して撮影に挑んだ。共演には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などの中谷美紀。ほかに加瀬亮、岸部一徳。フランスからも人気の俳優が顔をそろえている。フランス側のプロデューサーは、クローディー・オサール。『アメリ』で世界的大ヒットを飛ばし、エミール・クストリッツア監督『アリゾナ・ドリーム』ヴィム・ベンダース監督『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』などアート系の作品も数多く手掛けている。小栗監督の静謐な映像美でフジタの知られざる世界が現出する。話題の映画だ。

【藤田嗣治とは】
1886年生まれ。フジタはエコール・ド・パリ を代表する画家のひとりである。エコール・ド・パリとは、第一次世界大戦と次の世界大戦との谷間の、
10年ほどの期間にモンパルナスを中心に活躍した芸術家たちの総称で、外国から移り住んだ人たちが多かった。
1913年、単身フランスへ渡り、モディリアーニやスーチンらとシテ・ファルギエールのアパートで暮らしながら制作に励む。1919年、サロン・ドートンヌに6点の作品を初出品し、すべて入選。「私の部屋、目覚まし時計のある静物」「五人の裸婦」などを発表し、高く評価される。
1929年に17年ぶりに一時帰国。1940年、戦時の日本に戻り「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」ほか数多くの戦争協力画を描く。
1949年に日本を発ち、アメリカを経由しフランスへ戻る。1955年フランス国籍を取得。59年にカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタとなる。1968年1月29日スイスのチューリヒで死去。

ストーリー




1920年代、「乳白色の肌」で裸婦を描き、エコール・ド・パリの寵児となっていたフジタ。戦争を機に日本に戻り、数多くの「戦争協力画」を描いて日本美術界の重鎮に上りつめていく。5番目の妻である君代と疎開先の村で敗戦を迎えることになるが—

スタッフ

監督・脚本:小栗康平
製作:井上和子、小栗康平、クローディー・オサール

キャスト

オダギリジョー
中谷美紀
アナ・ジラルド

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