原題:442-Live with Honor, Die with Dignit

第11回マウイ・フィルム・フェスティバル 観客特別賞受賞 第23回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門 正式出品

2010年/日米合作/カラー&BW/ステレオ/HDCAM/97分 配給:フィルムヴォイス

2010年11月13日より新宿K'scinema、横浜ニューテアトルにて公開

(C) 442Film Partners

公開初日 2010/11/13

配給会社名 0635

解説

『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』は、第二次大戦時に日系人で編成された特殊部隊・442連隊戦闘団の真実と、生存者の現在を描いたドキュメンタリー作品。父母の祖国・日本と戦う苦悩を抱えながら、アメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦った伝説の兵士たちの物語である。アメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に燦然と輝く。終戦後、ハリー・S・トルーマン第33代アメリカ合衆国大統領は『諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ』と最大級の賛辞を送り、自ら部隊の生還者を激励した。442連隊はアメリカ国内における日系人の地位向上に寄与しただけでなく、フランスをはじめとしたヨーロッパ諸国では、ファシズムからの解放をもたらしたヒーローとして、現在も語り継がれている。
監督はアメリカ在住のすずきじゅんいち。442連隊に迫った本作は、2009年公開作品『東洋宮武が覗いた時代』に次ぐ“日系人史ドキュメンタリー”第2弾にして最高作の呼び声も高く、今年6月に開催されたマウイ・フィルム・フェスティバルでは観客特別賞を受賞。7月末からはロサンゼルスでの公開がスタートし、初日より驚異的な動員を記録。現在も全米各地での上映が続いている。
現在80代半ばから90代となった元兵士の最後とも呼べる証言は“知られざる日系人史”であり、“442連隊兵士の個人史”でもある。先人たちの貴重な声が収められた本作が、平和を願う多くの人々に共有され、歴史の教訓として活かせる素材になれば幸いである。

ストーリー


スティーブ・シミズ、89歳。日系人の彼は442連隊戦闘団の元兵士。カリフォルニアで妻と慎ましい生活を送るスティーブは、生涯で忘れ得ようもない時間を静かに回想する。「うまく行っていたんです。戦争が始まるまではね…」。
1941年12月8日、日本軍のハワイ真珠湾攻撃により、太平洋戦争が開戦。これはアメリカに住む日系人にとって苦難の幕開けを意味した。アメリカ国民であるにも関わらず、敵の日本人と同様の“敵国人”とみなされたのである。翌年2月、大統領令9066により、アメリカ西海岸に住む約12万人の日系アメリカ人と在米日本人は、急造された全米10ヵ所の強制収容所に入れられることになる。ハワイには1500名もの日系兵士が従軍していた。彼らは国の為に戦いたくとも“敵性国民”として銃を取り上げられ、場合によっては除隊させられた。しかし、ハワイの軍の半数にも及ぶ日系人の処遇はアメリカ軍当局の頭痛の種となった。全員を除隊させると混乱が起きるのは目に見えていたし、かと言って他の米兵と同等に扱うことは無理であった。ミッドウエイ海戦が近づき、もし米軍が破れると日本軍がハワイに上陸するのは規定のこととされ、その時の混乱=日本軍と同じ顔の日系部隊がいるとどちらが敵か味方かわかりにくい、などの理由もあり、日系兵全員をひそかにアメリカ本土に移送した。そして、これらの日系アメリカ人だけで特殊な部隊、100大隊が結成されたのである。1942年5月のことであった。100大隊に所属した日系人兵士たちは、優秀な訓練成績を残し、軍からの高い評価を勝ち得るのであった。
連隊規模の日系人部隊の創設が決定し、ハワイやアメリカ本土の強制収容所からも兵が集められた。1943年2月1日、442連隊が結成される。当初、日系人兵士の中では、ハワイ出身者とアメリカ本土出身者の間に文化の違いによる確執もあったが、日系人強制収容所を訪れたのをきっかけに、“日系人への人種差別”を目の当たりにし、連隊としての結束を深めていくことになる。442連隊が本土で厳しい訓練に励む中、1943年9月、100大隊はイタリアへ上陸。ドイツ軍落下傘部隊との激しい戦闘を繰り広げることになる。
アメリカ本土での訓練を終えた442連隊は、イタリアへ送られて100大隊と合流。多くの死傷者を出しながらも、「ゴーフォーブローク!(当たって砕けろ)」を合言葉に、地獄のヨーロッパ戦線を乗り越えていく。
1944年9月、442連隊はフランス戦線に送り込まれた。命を賭した戦いにより、翌10月には、フランスの町・ブリエラをドイツ軍による長い占領から解放。442連隊は休む間もなく、ドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出に向った。ドイツ軍が容赦ない攻撃を仕掛ける危機的状況の中、211名のテキサス大隊兵士を救出。しかし、442連隊は、救出者の数を遙かに上回る死傷者を出すことになる。
442連隊に属していた522野砲大隊は、配属の変更のため442連隊を離れ、ドイツへ進軍。彼らは、1945年4月末にナチスのダッハウ収容所を解放へ導いたのである。皮肉にも、アメリカ本土の日系人収容所から出征した兵士たちが、ユダヤ人収容所を解放するという歴史的な事実は、あまり公表されていない。
一方、442連隊はドイツ国境に近いフランス東北部での戦いを終え、フランス南部へ転戦。軍部の強い要望により、北イタリアにあるドイツ軍最後の生命線“ゴシックライン”へ送られたのである。442連隊は戦闘のエースとして期待される存在になっていた。
1945年8月15日、終戦。翌年の7月15日、ワシントンで442連隊の表彰式が行われ、大統領から迎えられた史上唯一の部隊となった。そして終戦から65年。最強の部隊として、アメリカ史上に名を残す442連隊の数少ない生存者たちは、家族に、そして現代に生きる我々に、戦場での記憶を語り始めた…。

スタッフ

企画・脚本・監督 : すずきじゅんいち
製作総指揮 : 鈴木隆一(フィルムヴォイス)、早川敏和(UTB)
共同総指揮 : 古賀哲夫(NTTLS)
チーフプロデューサー : 寺坂重人
プロデューサー : 岡野進一郎、羽田アン 
音楽 : 喜多郎
撮影監督 : 小渕将史
編集 : 水原徹
ナレーション : レーン・ニシカ

翻訳 : 秋本みゆき
特別協力:ジョージ・アラタニ/アイリーン・ヒラノ/海部優子
     DOMOミュージックグループ/MI(ミュージシャンズ インスティテュート)
協力:ゴーフォーブロークナショナルエデュケーションセンター/全米日系人博物館
  ドーモミュージックグループ/日米文化会館/フレンズ アンド ファミリー ニセイ ベテランズ
後援 :日米メディア協会(ユマ朝倉)
制作 : UTB、フィルムヴォイス
製作 : 442フィルムパートナーズ
   UTB、フィルムヴォイス、NTTラーニングシステムズ
    かねふくアメリカ、米国日本ハム、レドンド社
配給:フィルムヴォイス

キャスト

ダニエル・イノウエ(現米国上院議員)
スティーブ・シミズ
ネルソン・アカギ
ジョージ・サカト
ジョージ・カナタニ
テッド・ツキヤマ
ローソン・サカイ
マツジ・サクモト
ヨシアキ・フジタニ
スス ム・イトウ
アーサー・イワサキ
エドワード・ヤマサキ
サム・サカモト
バーニー・ハジロ

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