台湾人生
あいち国際女性映画祭2009招待上映決定!!
2008年/日本/カラー/81分/ 配給:太秦
2009年6月27日よりポレポレ東中野 モーニングショー 2009年秋、函館・シネマアイリスにてロードショー
(C) 「台湾人生」 2009. All Rights Reserved.
公開初日 2009/06/27
配給会社名 0864
解説
台湾が日本だったころ・・・
台湾は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの51年間、日本の統治下にあった。日本は欧米への対抗意識もあり、台湾のインフラ整備や教育の普及、治安の維持に力を注いだ。また、同化政策により、台湾での学校教育は日本語で行われたため、この時代に学校教育を受けた世代は日本語を話すことができる。いわゆる「日本語世代」と呼ばれる人々である。本作の出演者たちも、日本統治時代最末期に日本語教育を受け、日本人として生きていた。第二次世界大戦の戦況が厳しくなると、台湾でも志願兵制度に続き徴兵制度が布かれた。台湾の軍人・軍属は約21万人を数え、そのうち約3万人が死亡。また、台湾の主要都市もアメリカ軍の空爆の標的となり、市民の死傷者・行方不明者は1万5千人にのぼった。やがて日本は敗戦、大陸から来た蒋介石の中国国民党が台湾統治をはじめたが、二二八事件や白色テロなど、激しい台湾人弾圧が行われた。さらに台湾語、日本語の使用が禁じられ、日本語世代は長い間口を閉ざさざるを得なかった。1972年、日中友好条約の一方で日台の国交は断絶したが、民間レベルの交流は今なお強固なままである。その根幹は日本語世代の担うところが大きかったが、時の流れとともに世代交代が進んでいる。
激動の歴史に翻弄されながらも、人生を力強く歩んできた5人の日本語世代たちの日々の暮らしの様子を交え、日本統治時代、戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまでの人生をインタビューで振り返る。台湾の最も波乱に満ちた時代を生きた日本語世代が、自らの人生を振り返るときに語る言葉とは—。
本作品は酒井充子監督の初監督作品である。新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画の制作および劇映画の制作、宣伝に関わりつつ、本作品の構想を練ってきた。台湾との出会いは1998年、1本の台湾映画に触発され、台湾を訪れた時に始まる。このときの、いわゆる日本語世代の老人との出会いが、のちの映画制作の原点となった。本格的に取材を始めたのは2002年から。足かけ7年におよぶ取材活動中に、病に倒れたり、鬼籍に入った人もいる。映画を通じて台湾のことを広く知ってほしいという強い思いが、限られた時間の中で再三訪台し、カメラを回す原動力となった。新聞記者時代に培った機動力と深い洞察力で、台湾と日本の忘れてはいけない歴史を浮き彫りにする。
ストーリー
台湾が日本統治下にあった時代に青春期を送った5人の台湾人のいまを追う。霧に包まれた茶畑で茶摘みに精を出す楊足妹さん(1928年生まれ)。故郷の友人たちを訪ねる旅に出る台湾原住民出身の塔立國普家儒漾さん(1928年生まれ)。地元の公学校(小学校)の同窓会で威勢よく校歌を歌う陳清香さん(1926年生まれ)。元日本兵でボランティア解説員として台湾の歴史を伝える蕭錦文さん(1926年生まれ)。日本人教師への感謝の念を抱き続ける宋定國さん(1925年生まれ)。舞台を、台湾東部の花蓮縣、台北、高雄、南部の恒春半島、基隆、日本の千葉県鎌ヶ谷市に移しながら、彼らの日々の暮らしの様子を交え、日本統治時代、戦後の国民党独裁時代を経て現在に至るまでの人生をインタビューで振り返る。
スタッフ
監督:酒井充子
撮影:松根広隆
音楽:廣木光一
編集:糟谷富美夫
プロデューサー、録音:田辺信道
支援:文化庁
制作:協映
キャスト
(登場してくださった人たち)
楊足妹さん
塔立國普家儒漾さん
陳清香さん
蕭錦文さん
宋定國さん
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