原題:Factory Girl

60年代ニューヨーク アンディ・ウォーホルのミューズとして 時代を駆け抜けたイーディ その儚くも美しい一瞬の煌きを描く

2006年/アメリカ/カラー/91分/ 配給:ファントム・フィルム、AMGエンタテインメント、エイベックス・エンタテインメント

2008年4月19日(土)、渋谷シネマライズ他にて全国ロードショー

公開初日 2008/04/19

配給会社名 0442

解説


1960年代、ウォーホルはニュ−ヨ−クに“ファクトリー”と呼ばれるスタジオを構え、ポップ・アートの旗手としてカルチャ・ーシーンに君臨していた。アーティスト、ミュージシャン、詩人、俳優たちの活気と才能で溢れていたサロンのような“ファクトリー”で、「80枚の2ドル札」「200個のキャンベル・スープ缶」などのシリーズ、「210本のコカ・コーラの瓶」「マリリン・モンロー」など後世にも多大な影響を与える傑作が次々と生み出されていた。“ファクトリー”でまさに工場のようにアートを制作し、ウォーホルは芸術と大衆文化の壁を見事に取り払うというポップ・アート旋風を巻き起こしていたのだった。

ストーリー

1965年、ニューヨーク。アンディ・ウォーホルがポップ・アートの旗手としてアンダーグランド・カルチャー・シーンに君臨していた時期、画家を目指し、ケンブリッジ美術学校を退学して1人の女の子がニューヨークにやってきた。彼女の名はイーディ・セジウィック。由緒ある名家で莫大な冨を築き、アメリカでは知らないものはいない“セジウィック家”の令嬢。友人の誘いでギャラリーのパーティに出かけたイーディは、アンディ・ウォーホルを紹介される。名家の令嬢ということだけでなく、人々を惹きつけてやまない美貌とセンスを持ったイーディは会場の人々の注目を集め、周囲には男性が取り巻いていた。そして、ウォーホルでさえも例外ではなく、一瞬にして心を奪われてしまった。

ニューヨークのカルチャーが凝縮されていた“ファクトリー”には多くのアーティスト、詩人、ミュージシャンたちが集まり、前衛的な実験映画が撮影され、後世に残る数々のアートが生み出されていた。ウォーホルのお気に入りとなったイーディはたちまちファクトリーの仲間入りを果たし、ウォーホルの映画のカメラテストを受ける。そして、サンタバーバラで育ち、パパのことをファジーと呼び、亡き兄のことをミンティと呼び、自分自身も精神病院に入っていたことをカメラに向って語った。未だに母親と暮らし、子供の頃は精神衰弱だったウォーホルとの距離が縮まるのに時間はかからなかった。長く美しい髪をピクシー・カットにし、お揃いの金髪に染め、ウォーホルと共にパーティに繰り出していた。2人はいつも一緒に出かけ、電話では他愛もないおしゃべりをし、お互いに欠かせない存在となり、イーディはファクトリーでも中心的存在になっていった。ウォーホルの才能を心から尊敬していた彼女は裕福な知人たちをファクトリーに呼んでは、作品を売る手助けもしていた。

いつもウォーホルのとなりにいる魅力的な女性をマスコミは放っておかなかった。イーディが主演したウォーホルの映画が上映されると同時にメディアの注目を集め“画家と社交界に咲く花”、“アンディ・ウォーホルのミューズ”ともてはやされた。数々のファッション雑誌が彼女を追いかけ、ヴォーグ誌は彼女と契約を結び、イーディの印象的なアイメイク、大きなイヤリング、黒いタイツなど、彼女のファッションスタイル全てが流行となった。もはやウォーホルだけではなく、時代のミューズとなった彼女をウォーホルは“スーパースター”と呼んだ。

しかし、そんなイーディを快く思わない厳格な両親は、ウォーホルに対しても批判的な態度を示すのだった。幼い頃から厳格なだけでなく異常な家庭環境で育ち精神的に不安定だったイーディは次第にドラッグと毎晩繰りひろげられるパーティに身を委ねていった。ある日、大学時代の親友だったシドがニューヨークにやって来た。彼はイーディをある人物と引き合わせるために連れ出す。彼こそが飛ぶ鳥を落とす勢いのロック・スター、ボブ・ディラン(映画の中ではビリーという名前)だった。セレブリティ同士の出会いの瞬間を捉えようと群がるマスコミのシャッター音とフラッシュに包まれながら、イーディの中に新しい感情が生まれていた…。

スタッフ

監督:ジョージ・ヒッケンルーパー
脚本:キャプテン・モズナー
撮影:マイケル・グラッディ

キャスト

シエナ・ミラー
ガイ・ピアース
ヘイデン・クリステンセン

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