原題:送還

2004年 サンダンス映画祭 “表現の自由賞”受賞作品 2004年 チョンジュ国際映画祭シネマスケープ部門正式出品作品 2004年 カルロビ・バリ映画祭コンペティション部門正式出品作品 2004年 ブリスベーン映画祭招待作品 2004年 インファクト映画祭正式出品作品

2003年/韓国/35mm/カラー/ビスタサイズ/148分/モノラル/ 宣伝・配給:シグロ、シネカノン

2006年3月4日、シネ・アミューズにてロードショー!

公開初日 2006/03/04

配給会社名 0035/0034

解説


●韓国でNO.1ヒットを記録し、日韓の映画監督たちが絶賛。
その公開が待ち望まれていた、ドキュメンタリーついに日本公開へ!

韓国で多くの人々の心を震わせ、No.1ヒットを記録した本作は、同じく韓国でもっとも売れている映画雑誌「CINE21」10周年記念号で過去10年の映画ベスト1を受賞。またロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭での「表現の自由」賞をはじめ世界の数多くの映画祭でも高い評価を受けた、珠玉のドキュメンタリーである。公開を熱望する各界からの声が実を結び、いよいよ日本初上陸となる。

●私たちはこんなにも、隣の国のことを知らなかったのだろうか。
キム・ドンウォン監督が12年をかけて追い続けた、「北のスパイ」と呼ばれた人間味あふれる老人たちのドラマは、その真実だけで人は深く感動することができることに気付かせてくれる。韓国のドキュメンタリー映画が素晴らしいのはなぜか。それはこの映画のように、悲しくても心から信じられるものがあるからなのだ。30年以上ものあいだ囚われ、歴史に翻弄された老人たち。家族や兄弟たちとも会うことが出来ず、釈放後も韓国社会の中で、孤高で複雑なその人間性を守り通してきた人たち。キム・ドンウォン監督は、カメラで寄り添いながら、彼らの純真な心から、涙で磨かれた宝物を受けとっていく。12年間の長期取材は、老人たちの北朝鮮への送還で中断する。生きている間には二度と会えないだろう老人たちは、ビデオレターで、キム監督を息子のように感じていたと告白する。キム監督は再会をあきらめ、ほんとうの父親のような彼らの姿を胸に、映画の編集を始めるのだった・・・。

●数字で見る『送還日記』の記録
『送還日記』の制作期間は12年。その間撮影に費やしたテープだけで500個を上回る。初期のハイ8(Hi-8)ミリを始めとしてユーマチック(U- matic)やVHSまで含んだ500個以上のテープにはおおよそ800時間を越える元長期囚たちの映像が収められた。これは韓国映画史上明らかに未曾有の記録だと言えるだろう。また、2000年9月‘北’へ送還された63人の元転向長期囚たちの収監期間を合わせると2045年というものすごい数字が出て来る。彼らは若さの盛りに逮捕され、1坪にもならない監房の中で30年以上の歳月を送ったのである。さらにいまだ送還されない長期囚たちの収監期間まで全て合わせると1万年以上の苦痛の歴史となる。

●韓国ドキュメンタリー映画の代表作、『送還日記』
現代韓国の記録映画を代表する‘プルン映像’のキム・ドンウォン監督は一般的にドキュ1世代と称され、韓国現代史の桎梏に映画を通じて強力な問題を提起しながら良心の声を明澄に発する作品群を作り上げて来た。 キム・ドンウォン監督以後韓国のドキュメンタリー作家たちは社会的、政治的な不幸が如何にして個人の苦痛へと転化されてきたのかという問題に真摯に取り組みながら加工されない真の感動の瞬間を捕捉して来た。
1992年当時、みずから貧民街に入り都市貧民の生活に照明をあてていたキム・ドンウォン監督はおもいがけず非転向長期囚であった二人の老人と知り合うことになり、そのことがキッカケとなって10余年の歳月に渡り送還日記』を制作し、完成させた。こうして世の中に出た『送還日記』には当然キム・ドンウォン監督のドキュメンタリストとしての10年を超える苦悩と実践が余すことなく盛り込まれており、その為この作品は彼のフィルモグラフィーにおいてはもちろんのこと、韓国のドキュメンタリー映画史をひっくるめて最も重要な作品と評価されるに至っている。

●オーテュール・ドキュ(Auteur Documentary),事実の記録、真実の力
『送還日記』は韓国で初めての本格的なオーテュール・ドキュだ。全世界的な私的ドキュメンタリーの熱風と共に浮かび上がって来たオーテュール・ドキュは、‘auteur’が‘作家’を意味することから分かるように監督が視線や主観を積極的に露わにするドキュメンタリーと説明される。重ねて言えば、ドキュメンタリーの
宣伝ないし教育的機能よりも監督と対象が結ぶ関係に焦点を絞り、そこから醸し出される監督の心理や価値観の変化を率直に現わして行くということである。このような方式は集団より個人の変化が優先させられねばならないという信念から出て来たものであり、観衆により直接的な感動を与えることになる。『送還日記』はキム・ドンウォン監督のナレーションが映画全篇に敷かれた自己告白のようなドキュメンタリーである。始めて‘スパイ’に会った時の不馴れさと怖さ,彼らと親しくなりながら感じた心の葛藤,そして最後には別れの切なさ…、こういったものがこの映画には監督自身のナレーションと共に率直に表れている。

ストーリー




1992年の春だった。私(キム・ドンウォン)は、刑務所から出獄はしたが身を寄せる所のない二人の老人を私の住んでいるボンチョン洞に連れて来るよう、ある神父から頼まれた。非転向長期囚としての長い獄苦から解かれた二人の老人の名前はチョ・チャンソンとキム・ソッキョン、彼等は‘北’から下りて来た ‘スパイ’だということだった。私は不慣れな彼らと好奇心に満ちて対面した。

同じ町に住みながら私は彼らの日常をカメラに収める機会を得ることになる。特に私は人情の篤いチョ・チャンソン老人と親しくなった。しかし、私の子供たちを孫のように可愛がってくれる彼の姿に情の移るのを感じながらも、元非転向長期囚たちが集った野遊会で‘キム・イルソン讃歌’をはばかりなく歌う彼らを見て、やはり私には彼に対する拒否感が存在することを自覚せざるをえなかった。その後、チョ・チャンソン老人は、拷問に耐え切れず先に転向してしまった昔の同僚であるチン・テユンとキム・ヨンシクに再会することになるが、その場に居合わせた私は、彼ら転向者が身に深く染み込んだ自愧の念の為に肩身の狭い思いをしながら生きているということを知った。

たゆまず彼らの生活を撮り続けていた私は、彼らを‘北’に送還させる為の運動に私なりに力を添えたいと思うようになり、‘北’に居る彼らの家族を撮影する計画を立てた。ところがこのような努力は‘南’の当局の神経に触れることになり、結局‘北’行きは駄目になってしまった。のみならず私は、当時大きな威力を振るっていた国家検閲制度を楯に取る‘南’の当局によって、許可なく映画の制作・販売を行ったということでかえって逮捕されるハメに陥った。しかし幸いにも私はこの事件をきっかけとして長期囚出身の老人たちと一層親しい間柄となることが出来たのだった。

1999年から送還運動は本格化し、2000年の‘6.15南北共同宣言’を機にそれは急流に乗ることになる。送還が現実の問題として近づいてきた時、元長期囚たちの間でさまざまな葛藤が醸し出された。獄中で非転向を貫徹したが、もともと‘南’出身の元長期囚が‘北’へ行くべきかの問題、反対に故郷が‘北 ’なのに獄中で転向
した為、‘北’へ行く資格を持たない元長期囚の問題、中には電撃的に結婚して南に残ると宣言することによって同僚たちの非難を受けた人もいた。チョ・チャンソンは送還を前にして30年前に逮捕された慶尚南道のウルサンを訪ね、そこで昔死んだ同僚の霊を弔って、彼の家族に渡す一握りの土を持ち帰った。こうして2000年9月2日、非転向長期囚出身の63名は‘北’へ送還された。

今や過去の映像を通してしか会うことが出来なくなってしまった彼ら…今も私は国家保安法違反の前歴のために彼らに会いに行けないし、長い拷問に衰弱し、齢をとってしまった彼らも‘南’側に来られないまま息を引き取るかもしれない。われわれはもう一度逢うことが出来るのだろうか?

スタッフ

企画・制作:プルン映像
演出・編集:キム・ドンウォン
構成:キム・ドンウォン/リュ・ミリェ
助演出:コン・ウンジュ
撮影:キム・テイル/チョン・チャンヨン/チャン・ヨンギル
   ビョン・ヨンジュ/オ・ジョンフン/ムン・ジョンヒョン
音楽監督:イ・ジウン
作曲:キム・ドンボム/イ・ジウン
サウンド:ピョ・ヨンス
録音:映像メディアセンター メデイアクト
効果・色補正:ホン・スドン/イ・スンホ
美術・イメージ:イ・ヒヨン
資料提供:クオン・ナッキ/ナム・ギュソン/キム・ヒチョル/チョン・ウヨン/キム・チョルチン/ソン・ドクホ/石丸次郎/クオン・オホン

キャスト

チョ・チャンソン
キム・ソンミョン
キム・ヨンシク
リュ・ハンウク
キム・ソッキョン
シン・イニョン
チン・テユン
アン・ハクソプ
ハム・セファン

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