原題:LEFT ALONE

左側を歩け!!

2004年/日本/DV-Cam/第1部93分・第2部109分/ 配給:スローラーナー

2005年2月5日、渋谷ユーロスペースにてレイトショー

公開初日 2005/02/05

配給会社名 0048

解説



もうひとつの映画

私たちは映画を作る。
何かについて考えながら作る。
では、いったい何について考えているのか。
テーマ? 物語? それとも映画そのもの?
当然、それらすべてについて考えなければならないが、さらにその先に私たちを考えさせてやまない何かがある。
それはあくまでも未知のものであり、いつもぼんやりとした靄につつまれている。
それはいずれ私たちが作った映画を差し出すべき観客という存在だ。
この不特定多数の漠然とした存在について思考を巡らせたとたん、私たちの映画作りに臆病風が吹き始める。
それって面白いの? 退屈じゃない? 分かりにくくない?
彼らは時に素朴に、時には目尻を吊りあげて私たちを詰問する。
彼らの問いに頭を悩ませ、逡巡したあげく、私たちはひとつの結論に達する。
私たちが映画を作るために何かを考えるのは、映画を見る彼らに何も考えなくさせるためでは決してないのだ。
「観客を作られた世界に引き込み、そこで興奮と陶酔のひと時を味わせるのではなく、むしろ現実に対する思考を促し、観客の活動力を鼓舞する」
ブレヒトの演劇に対するこの態度を、私たちは私たちのもうひとつの映画のために、もう一度検討する必要がある。
井土紀州

1968年とは、どのような年だったのか?
体制への反逆。革命。ニューレフト運動の決定的な転回点。
そして、今なお左側を歩き続けることの孤独…。

1968年生まれのひとりの映画監督が、68年を探る映画を撮る。学生たちの政治運動。革命。そして、68年を境に政治運動はカウンター・カルチャーと結びつき、80年代にはサブカルチャーとして脱色化されていく…。68年は、ニューレフト運動にとって決定的な転回点であった。映画は、2001年に早稲田大学で勃発したサークルスペース移転阻止闘争において非常勤講師でありながら学生達と共に大学当局と闘う批評家、すが秀実の姿を捉えることから始まり、松田政男、柄谷行人、西部邁、津村喬にいたる60年代の学生活動家たちと対話を重ねていく。『レフト・アローン1』では、ニューレフトの誕生から、花田清輝と吉本隆明の論争、68年の安保闘争に至る過程をすが秀実、松田政男、鎌田哲哉、柄谷行人、西部邁とともに様々な角度から検証し、『レフト・アローン2』では、68年革命の思想と暴力という問題、1970年7月7日の華僑青年闘争委員会に始まる在日朝鮮人・中国人等に対する反差別闘争の衝撃、毛沢東主義の新たな可能性から、現在の大学再編と自治空間の解体をめぐって、ニューレフトの行方が、すが秀実、松田政男、柄谷行人、津村喬、花咲政之輔によって語られていく。体制への反逆。60年安保という激動期。思想と暴力。それぞれの闘争と転機。悲劇から喜劇へ。そして、今なお左側を歩き続けていくことの孤独。早稲田の路地を歩くすがの後姿に、彼方に向かって糞を転がしつづけるスカラベサクレ(糞転がし)の姿が重ねられる…。

「勝手に読んで、勝手に使え!!」
68年革命を語る複数の声と膨大な資料の引用の織物として『レフト・アローン』は、完成した。

監督は、『雷魚』(97)、『HYSTERIC』(00)、『MOON CHILD』(03)など瀬々敬久監督作品の脚本家であり、今や8mm作品として伝説的な傑作として高い評価を獲得した『百年の絶唱』の井土紀州。すが秀実の発言に触発されるようにして「1968年は、どんな年であったのか?」、「なぜ今、68年革命なのか?」と問い続け、68年について語る複数の声と膨大な活字資料を引用しつつ、DJ SHADOWのサンプリング・ミュージックに触発された「創造的盗用」にならって「勝手に読んで、勝手に使え!」と、それを織り上げることで『レフト・アローン』完成させた。

ストーリー



LEFT ALONE 1

【内容】

プロローグ
映画全体を通じてのインタビュアーであり対談者である糸圭秀実が、2001年に早稲田大学で勃発したサークルスペース移転阻止闘争において、非常勤講師という立場にありながら学生たちと共に大学当局と闘う姿が描かれる。

ニューレフトの誕生
1951年11月、高校2年生で日本共産党(所感派)に入党した松田政男は、武装共産党時代の山村工作隊における非合法活動、また総点検運動での過酷な監禁・査問を経験する。その後、神山(茂夫)派で活動することになった松田は、1955年の六全協における国際派と所感派の統一、1956年のスターリン批判やハンガリー事件を衝撃的に受け止めることになる。それを契機に、日本共産党と決別し、トロツキズムに接近していく様子が一人の活動家の視点から語られる。

花田・吉本論争
1950年代後半から60年代初頭にかけてニューレフトの誕生と交錯する形で、花田清輝と吉本隆明は激しい論争を繰り広げた。文学者の戦争責任に端を発したこの論争は、日本共産党員である花田とニューレフトのシンパサイザーである吉本の論争であったため、旧左翼対新左翼という図式をとることになり、吉本の論理破綻や引用誤植にもかかわらず、吉本の圧倒的勝利に終わることになった。糸圭秀実は、吉本の勝利を、ニューレフトが文化的ヘゲモニーを握っていく時代状況の必然的な帰結であるという。その糸圭に対して、気鋭の批評家・鎌田哲哉が、当時のニューレフトが発見しえなかった大西巨人の可能性を持ち出し対峙する。糸圭と鎌田の言葉は激しくぶつかり加速していく。

60年安保
アメリカの極東戦略再編と日本の経済力・軍事力復活を背景に、1958年頃から岸信介内閣によって日米安全保障条約の改定交渉が進められていた。このような政府の動きに対し様々な形で反対運動が巻き起こり空前の大衆運動へと発展していく。誕生したばかりのニューレフトは実践の坩堝に叩き込まれることになるが、全学連のヘゲモニーを握って安保闘争の中心を担うことになるのは、共産党を離れた学生たちによって結成された『共産主義者同盟』(ブント)だった。
ブントを代表するアジテーターだった西部邁が、60年1月の羽田闘争の様子や盟友・唐牛健太郎のこと、安保ブントの解体、そして左翼と決別して保守の立場を標榜するに至る過程を体験的に語る。
また、60年に大学に入学し、安保を最年少のアクティヴィストとして通過した柄谷行人も、解体していくブントの様子を目の当たりにしながら、先行する活動家たちから距離をとるように、以降一人で思索の道を歩んでいった様子を語る。
一方、安保と並行する形で起こっていたのが九州の三池闘争である。そのオルガナイザーであった谷川雁の直接行動原理を衝撃的に受け止めた松田政男は、それ以降全く独自に戦術思想の道を切り開いていくこととなる。
60年安保という激動期を生きた3人によって、それぞれの闘争と転機が語られる。

エピローグ
早稲田の闘争で学生たちとシュプレヒコールを挙げ、今はなき東大駒場寮でのシンポジウムに参加し、法政大学の学生会館を柄谷行人と並んで歩く糸圭秀実。その姿は大学再編の流れの中で破壊されていく自治空間に墓碑銘を刻んでいるようにも見える。

LEFT ALONE 2

【内容】

プロローグ
暗く長い廊下をゆっくりとカメラが前進していく映像に、糸圭秀実の著作『複製の廃墟』の書影が幾重にも折り重なる中、監督の井土による「なぜ今、68年革命なのか?」という問いが聞こえ、それに答える糸圭の声が続く。糸圭の声は次第に多重な響きを放ちつつ、ある独特の晦渋さに包まれていく。

六八年の思想と暴力
戦後の大衆社会の出現やサルトルら実存主義の登場そしてスターリン批判以後の状況は、68年におけるニューレフトの運動の中に、「経済学・哲学草稿」を中心とする初期マルクスの人間主義的な疎外論の隆盛をもたらしていた。その一方、初期マルクスの思想を再検討することでフランスのルイ・アルチュセールや廣松渉は疎外論批判の地平を切り開いていた。しかし、その疎外論批判が一般的にもニューレフト諸党派においてもまっとうに受容されることはなく、日本のジャーナリズムにおいて疎外論批判が受容されるのは、70年代半ばにおける柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」を待たねばならなかった。
その柄谷が、68年の思想状況を振り返り、廣松やアルチュセールらの諸思想と相克する形で自身の思索を深めていった過程を語る。
同じ頃、戦術思想の領域を模索し、直接行動によって突き進みつつあった松田政男は、それまでの活動の延長線上に、ゲバラやファノンの第三世界論を導入する。松田はその立場から、糸圭の言う「68年革命」を、第三世界的な総反乱が西欧資本主義によって沈静化させられてしまった実質的な反革命とする見解を表明し、自身の意識の最深部に潜む暴力の問題を提示する。
映画は再び柄谷と糸圭の対話に戻り、暴力という問題を巡って二人の言葉の応酬が続く。
68年を批評家として通過した柄谷行人と、あくまで活動家として通過した松田政男。その思想と暴力における対立点は糸圭秀実という鏡を通して、全く異なった様相を呈していく。

マイノリティー問題の視点
津村喬を理論的支柱とするノンセクトの活動家たちによって取り組まれていた在日朝鮮人・中国人等に対する反差別闘争は、1970年7月7日の日比谷野音における華僑青年闘争委員会による既成ニューレフトへの告発によって運動の状況を一変させた。
滋賀県草津にある津村喬の自宅を訪ねた糸圭秀実は、津村に対し、当時、一人の活動家として、7・7集会から決定的な衝撃を受けたことを打ち明ける。津村は、自分がそのマイノリティー的視点を持つに至った経緯を、自身の学生時代における中国滞在での体験をもとに語る。さらに、当時の反差別闘争が代行主義に陥ってしまった点について二人は議論を重ねていくことになる。

毛沢東と身体性
津村は毛沢東主義の新たな可能性を引き出した日本における唯一人の人物だった、と糸圭はいう。それに対して、津村は毛沢東の「活学活用」という言葉をあげて、当時の自らの姿勢を説明する。
毛沢東の死と文革の終焉の後、津村喬はジャーナリズムでの筆を折り、身体性に対する問題意識から気孔や太極拳の方へシフトしていくことになった。糸圭は、その津村の立場を、オウム真理教の麻原と比較し、やがて二人の対話はオウム真理教や超能力を巡るものになっていく。

大学再編と自治空間の解体
1部冒頭で描かれた、2001年7月31日の早稲田大学サークルスペース移転阻止闘争から2年の月日が流れた。糸圭秀実は、その早稲田闘争の当事者の一人である花咲政之輔とともに久しぶりに早稲田を訪れ、その総括をめぐって討議する。
現在もビラ撒きや集会の開催という形で闘争を継続する花咲に対し、現在の大学再編における自治空間や自治組織の解体を受動的革命の一端と位置づける
糸圭秀実。一方、花咲は、大学の外では反戦平和を叫ぶ大学教員が学内では闘争破壊の先兵となっている事実から、カルチュラルレフトの問題を指摘し、その批判の矛先は 秀実にまで向けられることになる。

ニューレフトの行方
ニューレフト運動の失速と交錯するかたちで70年代半ばから「68年の思想」とも言うべきポスト構造主義が、日本においても受容され始める。その転回点をより明確にするため、糸圭秀実は、津村喬に対し蓮実重彦という人物を対置してみせる。
津村は、その頃に起こった現象を、体制への反逆として生々しく生起していたものが知的に整理されていく過程だったと指摘する。
再び、映画は花咲と糸圭の対話に戻り、津村が持ちえていた実践性が70年代半ば以降、ジャーナリズムや大学において知に席巻されていったことについて激しく議論が交わされる。

エピローグ
花咲との対話を終え、一人早稲田の裏通りを歩く糸圭秀実。その後姿に、あくまでも深刻になることなく、彼方に向かって糞を転がしつづけるスカラベサクレのアニメーションが重ねられ、映画は終わる。

スタッフ

監督:井上紀州
製作:吉岡文平
撮影:伊藤学、高橋和博
整音:臼井勝
レコーディング・ミキシングエンジニア:由田直也
製作協力:越川道夫
音楽:太陽肛門スパパーン
配給:スローラーナー

キャスト

絓秀美
松田政夫
柄谷行人
西部邁
津村喬
鎌田哲也
花咲政之輔
ナレーション:伊藤清美

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