原題:Curtain Call

その記憶は、泣きたくなるほど楽しかった。

2004年/日本/115分 配給:コムストック

2006年06月21日よりDVDリリース 2005年11月12日、シネマミラノほか全国ロードショー

(C)「カーテンコール」製作委員会

公開初日 2005/11/12

配給会社名 0028

解説


映画黄金期の昭和、かつてどこの街にも映画館がありました。
『カーテンコール』はそんな映画館が舞台の映画です。
映画館が庶民にとって最大の娯楽であった時代がありました。映画館で笑い、映画館で泣き、大人の映画をみてちょっと背伸びをしたり・・・映画館は映画と出会うな所であったと同時に、人と人とが交流する場、地域の文化の発信地でもありました。だれもが映画館での大切な思い出を持っていることでしょう。初めてデートしたのが映画であったり、初めてタバコを吸ったのも映画館・・・そんな映画全盛の昭和三十年代から昭和四十年代の映画館を舞台にした珠玉の日本映画が誕生しました。

昭和三十年代の終わりから昭和四十年代の中頃まで、映画と映画の幕間(まくあい)に形態模写をやったり、ギターを弾いて歌を唄ったりして、お客を楽しませる芸人さんがいました。なんとも素朴な芸なのですが、人情溢れるその舞台に観客達の心は和んだものです——
昭和の映画全盛の一時代、映画と映画の間にささやかな芸をして楽しませてくれる芸人さんがいたことを覚えているでしょうか。本作はそんな一人の幕間芸人の人生を紐解く旅の物語です。原案の秋田光彦が子供時代に実際に見たオルガンを弾く幕間芸人、その記憶が本作の出発点になっています。二十数年前の学生時代に聞いたその原案がずっと心に残っていた佐々部清監督は、ついに長年温めてきた本作を完成させました。
『チルソクの夏』『半落ち』『四日間の奇蹟』、常に人間を描き続ける佐々部清監督の真骨頂。
『チルソクの夏』では昭和の歌謡曲にのせ家族愛、友情、初恋、そして日韓の微妙な関係を温かく描き、『半落ち』で夫婦の絆を描き第28回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。そして『四日間の奇蹟』では切ないファンタジーを描いた佐々部清監督。本作『カーテンコール』は、つねに人間を描き感情の機微を見つめ、近年感動作を世におくり出し続けている佐々部監督の真骨頂といえます。佐々部監督は『チルソクの夏』で時代とともに消えてゆく運命の流しのギター弾きを登場させ、今回も庶民に一番近い場所にいた芸人の悲哀を温かく描きました。けして大スペクタクルではない、日常の生活で誰もが感じたことがあるささやかな感情の大切さを、温かく伝える本作。小津安二郎、山田洋次を継承する、様々な家族のかたちを描く正統派監督の最新作です。
泣きたくなるほど楽しかったあの頃、お父さんがそばにいてくれたから。
『カーテンコール』は二組の父と娘の物語。
幕間芸人として生きた一人の男を探す旅。それはいつかばらばらにはぐれた父と娘を再会させる旅に変わってゆきます。「いい子にしていればすぐに迎えに来る」と言葉を残して去っていった父。その言葉を信じ待ち続ける娘の元に父が迎えに来ることはありませんでした。その父娘を探す主人公は疎遠になっている自分自身の父との関係を見つめなおし、父に対してちょっとずつ心を開きはじめます。
幕間芸人の物語を紐解く主人公香織には、『リリイ・シュシュのすべて』など岩井俊二作品でまばゆい輝きをみせる伊藤歩。幕間芸人安川修平の悲哀を見事に演じるのは藤井隆。そして鶴田真由、奥貫薫、津田寛治、橋龍吾、井上堯之、藤村志保、夏八木勲と、演技だけでは表現できない、人生の重みを奥底から湧き出すことができるキャストが集結しました。
『いつでも夢を』『下町の太陽』『網走番外地』・・・
映画史に残る映画ではなく、こころに残る映画。
『カーテンコール』はそんな日本映画に対する想いに満ちた映画です。
多くの人々に愛され日本映画全盛の時代を支えていたプログラムピクチャーの数々。昭和の映画全盛の時代には誰もが夢中になった映画、誰もが口ずさんだ歌謡曲がありました。崇高な映画として日本映画史に残るのではなく、人々のこころに残る映画の数々。日本映画史から忘れ去られようとしているそれらプログラムピクチャーにスポットを当てた本作は、幼少時代から映画館で映画を見て日本映画に育てられてきたという佐々部監督の映画館に対する尊敬、感謝の念に満ち満ちています。
昭和三十年代から四十年代にかけての描写にはモノトーン映像が使われますが、スクリーンには日本映画の数々が鮮やかなカラーで浮かび上がり、懐かしの歌謡曲とともにあの頃が甦ります。日本映画を愛し、歌謡曲を愛し、いつかは日本映画でミュージカルを撮りたいという佐々部監督の、昭和に対する想いが詰まった宝物のような映画です。
<みなと劇場>はあなたの街にもかつてあった映画館。あなたの胸にしまっていた懐かしい昭和への想いが蘇ります。
かつてどんな街にも映画館があり、週末は家族や友人達と映画を見ることが唯一の楽しみだった時代。舞台となる<みなと劇場>はかつてあなたの街にもあったそんな小さな映画館です。東京オリンピック、大阪万国博、三億円事件・・・高度経済成長の波の中、貧しくても夢を持ってみんなが元気だった時代。そんな昭和独特の雰囲気を温かく描く本作は、忘れかけていた懐かしさと優しさを、全国に大きな感動になって届けるでしょう。

ストーリー


それは一通の葉書からはじまった
橋本香織(伊藤歩)は東京の出版社で、契約記者として働く25歳。清純派女優のスキャンダルをスクープし、正社員確実との喜びもつかの間、写真を撮られた女優が自殺未遂を起こし、地元・下関に近い福岡のタウン誌に異動を命じられる。
 そこでの香織の仕事は、読者が投稿してきた<懐かしマイブーム>の取材。その中に届いた一通の葉書。それは「昭和30年代終わりから40年代中ごろまで下関の映画館にいた幕間芸人を探して欲しい」というもの。「素朴な芸ながら、人情溢れるその舞台に心が和みました。世知辛い世の中にもう一度、あの至福の時間を過ごせたら」と結ばれた葉書に香織は心惹かれ、その映画館<みなと劇場>を取材することに。
 しかし5年前に先代の支配人が亡くなり、まだ40代の支配人にとっては、うっすらとした記憶しかない。落胆して劇場を出ようとする香織に 「安川修平さんのことや思うけど」と声をかけてきたのが、当時から働くモギリの女性・宮部絹代(藤村志保)だった。

幕間(まくあい)芸人 安川修平を探して
 絹代の話によると、昭和36年<みなと劇場>にやってきた安川修平(藤井隆)は、場内整理、掃除のほかガリ版刷りのビラを作って、近所の商店に配って廻るなど、仕事熱心で誰からも愛される青年だった。修平が働き始めて半年後の昭和37年春。大入り満員の『座頭市物語』の上映中に、フィルムが切れてしまう。観客の野次を静めるため、舞台に飛び出し、座頭市の物真似をする修平。これが観客に受けて、修平は上映の幕間に物真似をみせる”幕間(まくあい)芸人”となり、人気者になっていく。翌38年の夏、映画を観にきていた良江(奥貫薫)と出会い、みなと劇場の仲間たちから祝福され結婚。いつもは芸人としてあがる舞台の上で、妻となった良江とふたりスポットライトに照らされた修平の笑顔がまぶしく輝いていた。2年後には長女・美里が生まれ、順風満帆の生活にみえた。
 昭和43年暮れ。テレビの茶の間への普及で<みなと劇場>にもかつての活気はなく、修平の芸も次第に受けなくなり、解雇を言い渡されるが無給で働き続ける。良江も工場で働き始め、貧しいながらも親子3人の楽しい日々だった。しかし昭和45年春、とうとう<みなと劇場>の舞台を去らなくてはならない日がきた。この日だけは昔なじみの客が集まり、盛況となる。無理がたたり体を壊していた良江は修平の最後の舞台を見守り、静かに息を引き取る。

修平を尋ねて済洲(チェジュ)島へ
 絹代の話に興味を抱いた香織は、次第に安川修平の取材にのめりこんでいく。
 どうにか一人娘・美里(鶴田真由)の所在を探り当てたが、母・良江が亡くなったあと父子は離れ離れになっていた。<みなと劇場>去った修平は、キャバレーでギター弾きの仕事に就くが生活は苦しく、「ええ子にしてったら、すぐ迎えにくるけえ」と美里に言い残し、仕事を求めてひとり海を渡る。「迎えに来る」その言葉を支えに、ひとりぼっちのつらい生活を送る美里。だが、修平からの連絡は途絶えたまま、結局父が迎えにくることはなかった。
自分を見捨てた父・修平を許すことができないでいる美里と接するうちに、香織は自分と父・達也(夏八木勲)の関係を見直す。大学卒業後、東京で契約記者として働く娘を理解できないでいる父親と疎遠になっていたのだ。
 修平と美里父子を再会させたい、という香織の思いは、次第に自分と父との間に作ったわだかまりを溶かしていく。
 編集長の反対を押し切り取材を進める香織の耳に、<みなと劇場>閉鎖のニュースが飛び込んでくる。取り壊される前にどうしても、もう一度修平をあの舞台に立たせたい、美里と再会させたい。その思いを胸に、30年近く前、修平が渡ったという済洲(チェジュ)島へ香織は向かう。

スタッフ

監督・脚本:佐々部清
プロデューサー:臼井正明
原案:秋田光彦
撮影:坂江正明
美術:若松孝市
照明:守利賢一
録音:瀬川徹夫

キャスト

伊藤歩
藤井隆
鶴田真由
津田寛治
橋龍吾
藤村志保
夏八木勲
伊原剛志

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