原題:Sangue vivo

日本におけるイタリア年イタリア映画祭2001「イタリア旅行」90年代秀作選 ピッツィカのリズムとダンスが魂をゆさぶる。

2000年サン・セバスチアン映画祭新人賞 ロンドン映画祭出品 2001年サンダンス映画祭出品

2000年/イタリア/カラー/96分 主催:朝日新聞社、テレビ朝日(東京のみ)、開催会場、イタリア・シネマ(イタリア映画海外普及協会) 後援:日本におけるイタリア年財団、イタリア大使館、イタリア文化会館ほか 協力:(財)国際文化交流推進協会ほか 配給:ケイブルホーグ

2001年11月10日よりシアター・イメージ・フォーラムにて灼熱のロードショー イタリア映画祭・会期・会場:(2001年末まで全10会場) 2001年4月28日(土)〜5月6日(日)有楽町朝日ホール/ 2001年5月11日〜13日東北福祉大学/ 2001年5月16日〜19日高知県立美術館/ 2001年6月8日〜10日大阪市旭区民センター/ 2001年6月20日〜29日広島市映像文化ライブラリー

公開初日 2001/11/10

公開終了日 2001/12/14

配給会社名 0029

公開日メモ オープニングとともにいきなり観る者の目と耳を、そして心を奪う、熱く、鮮烈な映像と音楽で異次元の世界を現出させる。実際、本国での公開時には「新しいイタリア映画の黄金時代の幕開け」を示す作品として、熱狂的に迎えられた。

解説



“新しいイタリア映画の黄金時代の幕開け”を告げる傑作

オープニングとともにいきなり観る者の目と耳を、そして心を奪う、熱く鮮烈な映像と音楽で異次元の世界を現出させるウィンスピアの『血の記憶』には、かつてのイタリア映画の巨匠の時代を彷彿とさせる力強さがみなぎっている。ときには“新しいイタリア映画の黄金時代”の幕開けを示す作品として、熱狂的に迎えられた。ちょうど長靴のかかと部分にあたるサレント・南部プーリア州の最南東地域の現実。いまだに貧困にあえぎ、灼けつくような陽差しと重くのしかかる犯罪の影が日々を覆う。その空気の中に横溢する不条理に支紀された生活に疲れ、乾ききった人々の目と現実を、そしてその中で失われた時間に本来の生き生きとした光をとり戻そうと、不可能に向かい必要悪に手を染めながらも、ひとり奔走するピーノの姿を熱病にうかされたようなタッチと色彩と、サラセンの血をひく激しいテンポで描ぎだした傑作である。ギリシャに近い地方で方言が強く、イタリア公開当時には半分ほどイタリア語字幕が付いた。グルッポ・ゾエの中心メンバーであるピーノ・ズィンバが、タンバリン弾きの主人公を実名で演じている。

血の記憶 LIVE BLOOD

『血の記憶』は、太古からサレント地方(イタリアのかかとである南東部の端に位置する)の人々が愛してきたリズムと共に観客に憑依するように前進していく。タンバリンの音がサレントの人々の血に流れる得体の知れない痛々しい力を静める。その力に声やダンスステップなどの音を与えることでその傷みを和らげるという。実際に傷みは消えないが、彼らにとって音楽が嶋っている間は人生を許せる気がすると言うのだ。アメリカの奴隷たちがブルースで傷みを表現したように、また都会のゲットーの若き怒れる黒人が貧困や憤りをラップで物語るように、サレントの人間は昔からタンバリンを叩きながらピッツィカを踊り、忘我の境地に自らを追い込むことで感情や情熱を表現してきたのである。ピッツィカは表現だけでなく、他者とコミュニケートする役割も持つ、あくまで相互関係の上に成り立った踊りだ。

ピッツィカータ病 THE “PIZZICATA-SICK”

監督エドアルド・ウィンスピアはその名前とは裏腹にイタリア人であり(実際は様々な国の血を引いている)、厳密はサレント人だ。彼は不治の「ピッツィカー夕病」だと自分を評する。ウィンスピアは語る。
「『聖パォロとタランチュラ』というドキュメンタリー作品を製作してからずっと熱病に冒されていて治りそうにもない。この、温か<て魅力的な感染性の病原菌の正体はピッツィカというサレント地方独特なリズムとダンスだ。このダンスとの出会いは僕にカタルシスを呼び起こし、自分の信仰や人々との関係、特に自分自身について理解を深めるきっかけになった。」 ピッツィカ:サレントの音楽 ZOE'-PIZZCA:THE MUSIC OF SALENTO そしテ音楽。ピッツィカ(正確にはピッツィカ・ピッツィヵとくり返される)と呼ばれる民族音楽が、映画のもう一つの主人公だ。古来、毒グモに刺された人間(とりわけ女たち)を癒すために演奏されたこの音楽は、海のうねりのような、怒涛のようなリズムで聴く者をトランスに導き、大地に宿る生の痛を探して肉体のなかを駆けめぐり、われわれの魂の奥底に秘められているはずのはるかな記憶を求めて胸を揺さぶる。伝統音楽である「ピッツィカ」はイタリアの他の地方で見受けられる、老人しか理解しないような類の文化ではない。若者はピッツイカのコンサートに赴き仲間と踊る。現在では50以上のグループが誕生し、テクノピッツィカやディスコピツツィカなどそれぞれの解釈でピッツィカを表現している。とりわけナディド・アラックやスド・サウンド・システムなどのグループはピッツィカを大衆へと紹介した。 本作で音楽を手がけるグルッボ・ソエは、この失われつつあった伝統音楽とその魂を現在にとり戻し、イタリアや世界名地で絶賛されたグループであり、ピッツィカをサレントから外へ運び出し、セミナーを開催してダンスを教える他、各学校でもピッツィカを紹介している。またレッチェ大学とのコラボレーションではピッツィカを海外に知らしめた。現在グルッポ・ゾエのCDは世界中で販売されている。ウィンスピァ監督はグルッポ・ゾエ発掘者の一人であり、彼らの良き友人でもある。映画の中でもピーノ・ズィンバが主人公の本人を、ランペルト・プローボがその弟を(この二人の演技は素晴らしい)、チンツィア・マルツォが別れた恋人を演じている。

ストーリー



プーリア州の小さな町サレント。45歳のピーノと30歳のドナートの兄弟は、父親の死以来、衝突を繰り返している。
ピーノは、地元マフィアのたばこ密輸入とアルパニア人の密入国手配に荷担することで家族を養っている。ドナートはかつて地方一のタンバリン奏者だったが、町の不良仲間たちと交わり麻薬に手を出し、なげやりな毎白を過ごしている。
ピーノは、音楽が弟を救う唯一の方法だと分かうていた。ピーノは妹がバンドのために探してくれたマネージャーと契約までこぎつけるが、ドナートはますます自分の殻に閉じこもってしまい、他人の同情も拒み続ける。それどころか彼は小さな盗みや麻薬売買に手を染め、町の中心で何の希望も持たずに戯れるギャングと付き合いを続けるのだった。しかしピーノはあきらめず、デピューの契約を手に入れる。

そんな変化にも動じず無気力でいるドナートは何も気にかけず、まるで自ら望んでいるかのようにさらに深みへ落ちていく。ヘロインの量は増えジョヴァンニと組んだ野暮な仕事で地元のマフィアを敵に回してしまう。ドナートは仲間であるジョヴァンニの誘いに乗って盗みを行い、地元のマフィアに追われる。ドナートを探すピーノ。ドナートの仲間の一人がピーノを町の外に連れ出すが、そこにはドナートの姿はなかった。車の中で銃に撃たれたピーノをドナートが見つける。

ピーノだけがドナートが持つサレントの男の血管に流れる怒りや情熱を再び目覚めさせることができるのだ。

そして、ドナートはピーノのためにタンバリンを弾き続けるのだった。

スタッフ

監督:エドアルド・ウィンスピア
脚本:ジョルジア・チェチェレ・エドアルド・ウィンスピア
撮影:パオロ・カルネーラ
録音:ブルーノ・プッパロ
美術:サブリナ・パレストラ
衣装:アントネッラ・カンナロッツィ
編集:ルーカ・ベネデッティ
音楽:グループ・ゾエ
音楽製作:カントペロン
音楽発売元:cnt.it
製作:Sidecar Films&W

キャスト

ビノ・ズィンバ:ピーノ・ズィンバ
ドナート:ランベルト・プローボ
ジョヴァンニ:クラウディオ・ジャングレコ
ルイジ:アレッサンドロ・ヴァレンティ
ビアジョ:イヴァン・ヴェラルド
アダ:ルチア・キウリ
ピーノの母親:アッドロラータ・トゥルコ
モレーナ:モレーナ・ミガリ
エドアルド:エドアルド・ダンプロージオ
マリア:アンナ・ディミートリ
テレーザ:チンツィア・マルツォ
ウッチョ:アントニオ・カルルッチョ
フランコ:フランコ・ジャンニ
ニコラ:ニーノ・チラソーラ
レスタ:アントニオ・キリヴィ
ダニロ:ドナテッロ・ピザネッロ
アレッサンドロ:ダニーロ・アンドリオーリ
アンジェリーノ:ジュゼッペ・トルゥコ
アルバニアの女性:エルザ・リラ
パスクアーレ:アントニオ・マストリア
フランチェスカの父親:カルロ・ミネルヴァ
ロッコ:アントニオ・マラニーノ
イスマイル:アブルハイム
アントニオ:ラファエレ・リッツォ
ジョヴァンニの母親:アンナマリア・マッラ
フランチェスカ:キアラ・トレッリ
アルバニア人:ケカ・ドゥリム
アンジェラ:ティツィァーナ・ロヴェダ
レタスの妻:エリーナ・リア
判事:ブイレーノ.ロイアコノ
ズィンバの父親:ジェラルド・トゥルコ
客:アンドレア・ズバッロ
市場の商人:ルイジ・カッツァート
市場の女性客:アッスンタ・ルッジェ
市場の老人客:ドン・ニコラ・トーマ
エンツォ:ファビオ・ミリエッタ

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