原題:DOWNTOWN81

バスキア19歳。おとぎ話が現実になることを未だ知らない。 NEW YORKの空は高く、心はいつも自由だった

2000年タイタニック国際映画祭出品(ハンガリー) カンヌ国際映画祭2000監督週間正式出品

2001年3月14日フランス公開

2000年/アメリカ/75分/カラー/ヨーロピアンビスタ/ドルビーSRD/日本語字幕:江口研一 配給:キネティック

2001年10月26日ビデオレンタル開始 2001年4月28日より渋谷シネマライズでレイトショー公開

公開初日 2001/04/28

配給会社名 0026

公開日メモ NEW YORKの祖Tらは高く、心はいつも自由だった。海外、そして日本でも人気のアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアが生前、主演した唯一の映画

解説


《「バスキアに捧ぐ」この映画からわずか7年後、バスキアはこの世を去った。自由という魂の形見を残して。享年27歳——》
ジャン=ミッシェル・バスキア(1960-1988)
画家、グラフィティ・アーティスト、詩人、ミュージシャン…
バスキアが19歳で主演したニューヨークのおとぎ話『DOWNTOWN81』。世界的大ブレイク前夜の天才の運命を映画は予言していた。

当時19歳だったバスキアは、この映画の撮影中に20歳の誕生日を迎えた。溢れんばかりに自由で創造的な空気に包まれていた81年、ニューヨークのダウンタウンで、金もなく、まだ名声もないバスキアは、スプレー缶を片手にストリートをアートに変えようとしていた。その後に訪れる巨大な成功や、7年後の死という悲しい運命を彼は知る由もない。『DOWNTOWN81』は、まさに時代の寵児としてスターダムに押し上げられる直前の天才の純粋無垢な素顔と、チャーミングな魅力をたっぷりと描き出したバスキア唯一の主演映画である。バスキア扮する若いアーティスト、ジャンは家賃を滞納してアパートを追い出され、ダウンタウンをあてどなく彷徨う。そこで一生面倒をみるわという美人モデルや、たくさんのアーティストたちと出会う。そして最後には魔法のような出来事が起こり、大金の入った鞄を拾い、ニューヨークを去っていく。この映画は、バスキア自身がホスト役として81年の実在のミュージシャンやアーティストたちと交流していく貴重な映像と、バスキア自身のその後の運命を図らずも予言してしまった物語とが分かちがたく融合した不思議なおとぎ話である。
“ORIGIN OF COTTON(コットンの起源)””BRAVE TEETH(勇気ある歯)”などとスプレーされた、暗号のような詩で世界と交信しているようなバスキアのグラフィティ・アートが街の風景になっていた81年。軽快なアクションで壁にメッセージを描いていくバスキア本人の姿が見られるだけでもファンにはたまらないが、自分自身の分身を演じるバスキアのはにかんだようなキュートな微笑や、時おり見せる寂しそうな表情には、誰もが胸をキュンとさせられるに違いない。

撮影は80年から81年にかけて完了していながら、この作品は2000年まで完成されることがなかった。製作資金などのトラブルで難航している間に行方不明になってしまったフィルムが、バスキアにオマージュを捧げる当時のスタッフたちの捜索によって98年に発見され、ようやく完成に向けての作業が再開された。そして2000年のカンヌ国際映画祭でワールド・プレミアが行われ、初めて世界の陽の目をみることになったのである。20年の時を経て完成され、輝かしいが非常に短いその後のバスキアの運命を知っている現在からこの映画を観ることはより一層の感動を呼ぶ。
製作を担当したのは、物語の中にバスキアの友人のファッション・デザイナー役で出演しているマリポール。彼女はフィオルッチのADや、マドンナのスタイリストなど服飾やアートの世界で様々なキャリアをもつ。共同製作者兼脚本担当で、日本のテクノ・バンド、プラスチックスを取材する音楽評論家役で出演しているグレン・オブライエンは、アンディ・ウォーホルとともに「インタビュー」誌を創刊し、ケーブルTVにも自分の番組を持ち数々のアーティストを紹介してきた。グレンにウォーホルを紹介してもらうのが、バスキアがこの映画に出演する条件の一つだったという。80年代のニューヨーク・カルチャーの中心に、そして20年後の現在、輝かしいキャリアを築いた彼らの努力によって、この時代の本物のクリエイションと熱気が現代に蘇えったのである。

主人公ジャンが助けるホームレスの老婆役には、ブロデイのボーカリストとして知られるデボラ・ハリー。他、人気絶頂期のキッド・クレオール&ザ`ココナッツやジェームズ・ホワイト&ザ・ブラックスのライブ・シーン、タキシードムーンやアート・リンゼイ率いるD.N.A.のスタジオ・シーンなど、80年代初期のNYの音楽シーンを代表するバンドが登場する。サウンドトラックには、伝説のラッパー、メリー・メルとブロンディ、リディア・ランチ、ザ`スペシャルズ、スーサイド、ヴィンセント・ギャロ、バスキアのバンドであるグレイらの曲も加えられている。グラフィティ、ニュー・ペインティング、ニュー・ウェーブ・ミュージック、ヒップホップ、ファッションなどが一つに溶け合った1981年当時のニューヨーク、ダウンタウン・カルチャーは、現在の日本のストリート・カルチャーの源流と言えるかもしれない。

ストーリー


映画の冒頭。大空の雲を抜けていくカメラはどこか天国的で、今は亡きバスキアヘのオマージュが感じられる。一転して、シーンは病院の一室。ジャン(バスキア)は病院のベッドに横たわっている。「またここか…」まるで輪廻転生して、見覚えのある場所に再びたどり着いたように眩く。退院したジャンは自分のアパートのあるダウンタウンに向かう途中、オープンカーに乗った一人の美女と出会う。彼女はジャンの一年の稼ぎを一日で稼ぎ出すモデル、ベアトリス。初対面の二人はなぜか惹かれあい、彼女は一生ジャンの面倒を見てあげると申し出る。ベアトリスと別れてアパートに帰ると、彼は家賃を滞納したことに腹を立てた大家に部屋を追い出されてしまう。
あてもなくダウンタウンのストリートを彷徨うジャン。「今夜はマッドクラブだ」と通りすがりのミュージシャンが彼に声をかける。ストリートでジャンは人気者だった。壁を見つけると、スプレー缶を片手に壁にグラフィティをするジャン。自分の絵を抱えて、クラブやスタジオに立ち寄り、様々な人々に出会っていく。タキシードムーンやアート・リンゼイのスタジオ・レコーディングを覗いたり、キッドクレオールやジェームス・ホワイトのライブに紛れ込んだり…。結局、彼の絵はある中年女に買われるが、小切手の支払いだったため当座の現金を手にすることができない。ジャンはベアトリスを探し求めて夜を過ごす。そして、人々に頼ることを諦めて、ひと気のない路上を歩いているとき、彼は浮浪者の老婆に声をかけられる。「おやすみのキスをしておくれ」と。彼女が呪いをかけられて姿を変えてしまったお姫様とは知らず、心優しいジャンは恐る恐る彼女の唇にキスをする。魔法のような人生の転機はこのときから訪れるのだった。「おとぎ話が現実になることもある…。」映画の冒頭のナレーションは、映画のおとぎ話とバスキアのその後の運命の両方を暗示している。

スタッフ

監督・アートディレクター・スタイリスト:エド・ベルトグリオ
脚本・共同製作:グレン・オブライエン
製作:マリポール
撮影:ジョン・マックノルティ

キャスト

ジャン=ミシェル・バスキア
プラスチックス
デボラ・ハリー
ウォルター・ステデイング&ザ・ドラゴンビープル
キッド・クレオール&ザ・ココナッツ
ジェームス・ホワイト&ザ・ブラックス
D.N.A.
タキシードムーン

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