二度は、死ねません・・・・

2000年第4回うえだ城下町映画祭出品 第24回モントリオール世界映画祭正式出品作品

2000年/日本/ 配給:イーハーフィルムズ

2001年4月7日より銀座シネパトスにて待望のロードショー

公開初日 2001/04/07

公開終了日 2001/04/27

配給会社名 0139

公開日メモ 二度は、死ねません・・・・

解説

生きよ!魂が叫ぶ。死んではならないと!

九州佐賀県。有明海に近い精神病棟で、突如静寂を破った殺人事件を通して、人生に絶望した少女が、重い過去を背負った人たちによって癒され、再生していく姿をヒューマンに描く、涙と感動のサスペンスドラマ。

百万人が涙した感動のベストセラー、山本周五郎賞受賞作、帚木蓬生「閉鎖病棟」ついに映画化。
いま、この国が失いつつある<心>を取り戻すために、低迷する日本映画再生への強い願いを込めて。
この弓状の列島に生きる総ての人々に贈る、ヒューマニズムを極めたサスペンスドラマ。
「それでもなお人は生きていかねばならない。」

ヒロイン役の上良早紀は、19万5千人が参加したジャパン・オーディションで見事栄冠を獲得した。松田聖子や酒井法子の新人時代と同じく、サンミュージック相沢社長自宅の、まさしく同じ部屋に下宿中の16才、期待の大型新人である。

『七人の侍』という、黒澤明の名作は、百姓たちが野伏せりの襲撃という有事に備えて、手練れの浪人たちをスカウトする話から始まる。わが国を代表する脚本家、石堂淑朗は、一年半の歳月をかけ、感動的なシナリオをつくり上げた。私たちにとって、そのシナリオは『七人の侍』の百姓たち。
まず、そのシナリオを読んだ、わが国映画美術界の至宝・木村威夫から、無条件で参加したいという申し入れがあった。日本アカデミー賞、アジア国際映画祭撮影賞など数々の授賞歴のあるキャメラの名手・坂本典隆も手を挙げた。照明、録音、編集の技師さんたちも例外ではない。音楽は『影武者』『うなぎ』の池辺晋一郎。このようにして、わが国映画界の実力を支える一流スタッフが、ドキュメンタリー出身でギャラクシー賞、文部大臣賞などの授賞を誇る、俊英の福原進監督のもとに続々と集った。
そしてキャスト。俳優さん達の熱意は更に激しいものがあった。自ら劇用の陶磁を焼き、参加した中村嘉葎雄。劇中人物のチュウさんが、ブラームスおたくと聞き、すっかりブラームス通になって福原監督の前に現れた頭師佳孝。「悪」の表現に工夫を凝らした安岡力也。林泰文、芦屋小雁などの参加意欲も並々ならぬものがあった。特別出演の有馬稲子、村田雄浩、風間杜夫も多忙なスケジュールを割いて、九州のロケに馳せ参じた。こうして、新しい製作の方策と、企画意図に共鳴し、脚本に魅せられて、集った人達によって撮影クルーの編成が成った。
ロケーションは、鹿島市を中心に、佐賀市、川副町の全面協力のもとに行われた。
人間の真実と、明日への信頼を、生命に託した登場人物たちが、多くの生命を育む豊穣の有明海と、麦秋の佐賀平野を舞台に活躍する。

ストーリー

 かささぎ病院は、有明海に面した精神病院。様々な過去を背負った人たちが入院している。若い頃から幻聴で入院しているチュウさん、元死刑囚の秀丸、言葉を自由に操れないが写真の才能を持つ昭八。皆心優しく、外部の偏見と戦いながらも平和に過ごしている。
 そんな中、麻薬中毒患者の重宗が、周囲に暴力をふるい問題を起こしていた。重宗は、殺人罪で刑務所に送られるべきところを、精神病院の方に送られてきたのだった。
 主人公の島崎由紀は、重い過去を背負い深く傷ついて登校拒否に陥っていた。周囲に心を閉ざした由紀を、両親は精神病院に通院させる。由紀は、入院患者たちとの交流に、家庭や学校では得ることのできない安らぎを感じる。皆で行く祐徳神社、博物館、陶芸教室。由紀は次第に心を開き自分の過去を話せるまでになっていった。
 しかしそんな平和な日々も長くは続かない。再び深く傷ついた由紀を思いやる患者たちは、それぞれの思いで精一杯の行動に出る。それは世間の常識をはるかに超えたものだった。

スタッフ

原作:帚木蓬生「閉鎖病棟」(山本周五郎賞受賞作)
監督:福原進
制作:田久保正之
プロデューサー:田中はくどう
脚本:石堂淑朗、西村雄一郎
撮影監督:坂本典隆
美術監督:木村威夫
音楽:池辺晋一郎
照明:西表灯光
録音:福田伸
美術:丸尾知行
編集:菊地純一、鵜飼邦彦
スクリプター:椎塚二三
助監督:南柱根
スチール:高椋成和
演奏:東京コンサーツ
音楽制作:東宝ミュージック
製作:イーハーフィルムズ

キャスト

上良早紀
中村嘉葎雄
頭師佳孝
林泰文
安岡力也
芦屋小雁
有馬稲子
風間杜夫
村田雄浩

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