原題:mehre madari

可愛くて、いとおしくて… 世界中の六人たちの心を洗い流したイラン映画の秀作! 少年院を脱走した少年メヘディはひとりぼっち ママをさがして、でも、ママはどこに… 悲しみだって、愛だって、ボクはもう知ってらい!!

1999年ベルリンこども映画祭グランプリ 1999年カナダこども映画祭グランプリ 1999年カイロこども映画祭グランプリ 1999年ソウル国際家族映画祭グランプリ

1998年/イラン/90分/カラー/35mm/1:1,66 日本版字幕:松岡素子 配給:パンドラ 協力:ショーレ・ゴルパリアン 梶谷由里

2001年4月14日よりキネカ大森にてロードショー公開

(C)Farabi Cinema Foundation

公開初日 2001/04/14

配給会社名 0063

公開日メモ  ここ数年、イラン映画が世界各地の映画祭で一大旋風を起こしている。昨年は、カンヌやベネチアなどの映画祭で複数の作品が受賞。この『テヘラン悪ガキ日記』は、その前年の1999年、ベルリン国際映画祭の一部門であるキンダー・フィルムフェスト・ベルリンでグランプリを受賞した秀作だ。

解説


ベルリンこども映画祭の会場である、八百人ちかい収容人数のウラニアホールの通路までを一杯にしたこどもたちは、上映中、決して黙ってはいない。キスシーンには、ピュウピュウと口笛が飛び交い、主人公が困ったシーンでは、掛
け声が飛ぶ。「テヘラン悪ガキ日記」では、〈おかあさん〉の家のトナリの息子から服を脱がしてしまったときに、ブーブーいう声が響き、八百屋が謝った時には、ヤッターというような声が聞こえ、メヘディが少年院に戻されるシーンでも、大きなブーイングが響いた。
 10歳にも満たないこどもから、15、6歳の少年・少女たちまでが、ひとりで、あるいは友だちと、あるいは低学年の場合は、教師や親が引率して、厳冬の2月にベルリン中からウラニアにやってくる。審査員は全員、こどもたちで、記者会見も開かれる。夕方からにぎわう他の会場と異なり、ウラニアホールは朝から大いに賑わい、世界各地から出品される10本以上の映画がグランプリを競う。レナーテ・ツァラさんというひとりのドイツ女性が始めたこの映画祭は、世界三大映画祭のひとつ、ベルリン国際映画祭の一部門である。正式名称を〈ベルリン国際映画祭こども映画祭〉と呼称し、世界各地のこども映画祭のお手本になっていて、この映画祭で受賞することは、たいへん名誉なことである。このベルリンこども映画祭で、『テヘラン悪ガキ日記』は少年・少女たちの共感を呼び、1999年、みごとにグランプリを受賞した。
イラン映画にはこどもを主人公にした秀作が多いが、そのほとんどは、逆境にもめげず健気に生きるこどもが主人公である。だが、この『テヘラン悪ガキ日記』はまったく趣を異にし、少年院で暮らす男の子が主人公だ。健気どころか、悪ガキそのもの。面構えも、黙っていると、まったく可愛らしくない。笑うとほんとうに可愛らしいのだが・・。ちょっと見ただけの女性を母親だと思い込むのはいいとして、その家に押しかける図々しさも、また、親戚だからと少年院を脱走してきたメヘディを泊めてくれたおばさんのところから、早朝なのをいいことに、おカネを盗んで知らん顔だ。母親を求める姿はどの子も同じだが、求めてもかなわないと知り、メヘディは現実を受け入れる。少年院にも〈おかあさん〉のところにも、戻らなかったのだ。
この映画のラストは重要だ。おねだりしても得られない現実を受け入れてこどもは、大人になってゆく。
生きるということは、自分の能力や努力では、どうにもならない現実に囲まれて生活するのだということを知る過程でもある。メヘデイは自分には母親がもういないという厳しい現実を、ようやく受け止めることができた。大人への大きな儀式を無事やりすごすことができたのである。一見、ハッピーエンドではないが、実はこのラストは盛大なハッピーエンドなのである。大人の体をしたこどもが大手を降ってまかり通っている現在の日本で、この映画のメッセージはどのように受け止められるのだろうか?

監督のカマル・タブリーズィーは社会間題を風刺した作品や、イランで初めてラブストーリーを監督するなど、意欲的な創作姿勢で知られる。また、〈おかあさん〉役のファテメー・モタメド=アリアは、イラン映画界トップの女優である。
少年が自分をとりまく現実を知り、成長してゆく姿を描いたこの『テヘラン悪ガキ日記』は、ベルリン以外、カイロ、カナダのこども映画祭でグランプリ、そしてソウル家族映画祭でもグランプリに輝いた。

ストーリー



少年院にいるメヘディは母親の死をいまだに受け入れられない。いつも手にしてるのはぼろぼろになった新聞の切り抜き。そこには母親のような微笑みをたたえた女性とひざまずく少年がうつっている。メヘディはそれが自分のお母さんだと思い込んでいる。
その少年院に新しいソーシアル・ワーカーの先生が赴任してきた。夫を亡くしたこの女性は、問題をおこして少年院に入っている少年たちを、母親のような愛情できっと更正できると信じている。それを聞いた院長は「経験がないからわからないかもしれないが、用心しなさい」と忠告をする。あたらしい先生の授業が始まった。「悪いことをしてはいけません、人に優しくしましよう」と、語りかける先生。
メヘディはそんな先生に釘づけになってしまった。なぜならいつも持っている切り抜きのお母さんにそっくりなのだ。
先生に「坊や」と話しかけられたメヘディは、すっかり自分のお母さんだと思い込んでしまう。戸惑う先生は自分は母親ではないことを説明するが、メヘディには通じない。そして先生の住所をつきとめたメヘデイは、夜中に少年院を脱走してしまう。
「お母ちゃんが死んだなんてうそだ。お母ちゃんを見つけたんだ」。友だちの風船売りにうれしそうに話したメヘディは、先生のもとに向かう。それからというものメヘデイは、先生を追いかけては、自分の母親になってほしいと訴える。戸惑う先生だったが、情にほされてしまい、一晩だけ家に招き入れてしまう。大喜びのメヘディはすっかり息子になった気分だ。娘のアフーともすっかり本物の兄妹のように仲良くなってしまった。翌日、盗んだ洋服を返しにいかせ、新しい洋服を買い与えた先生は、メヘデイを少年院に戻そうとするが、メヘディは逃げてしまう。
昼間、タバコや新聞を売りながらお金を稼ぎ、先生の家の前で待っているメヘディ。先生は迷惑ながらも気になってしょうがない。食事をアフーに渡しに行かせ、外で寝てしまったメヘディに毛布をかける。
ある日、学校帰りのアフーに母の日のプレゼントのことを聞き、二人は寄り道をしてお店に行く。そんなことも知らずに、学校に迎えに行った先生は、アフーがどこにもいないことに気づき、泣きながら探す。そんな先生を近所の人が慰めているなか、メヘディとアフーは仲良く手をつないで帰って来た。アフーをしかり、メヘディを追いかける先生。
逃げるメヘディに「今度こそ捕まえてやる」と叫ぶ。どうにかして少年院に戻したい先生は、今日も外で待っているメヘディに、優しい言葉をかけて家に入れる。
喜ぶメヘディとアフー。先生は補導員に電話をして、メヘディが家にいるので捕まえに来てほしい、と頼む。何も知らないメヘディとアフーははしゃいでいる。「母さんがいなければ人生は地獄だ」と歌うメヘディに先生の胸は痛む。しかしメヘディを息子にするわけにはいかないのだ。メヘディのような浮浪者に夫を殺された先生は、娘のアフーを育てるだけで精一杯だ、と涙ながらに訴える。しばらくしてやって来た補導員が、眠っているメヘディを捕まえた。「ほんとうの母ちゃんなんだ!」と泣き叫ぶメヘディ。「アニキが連れてかれちゃうよ!」と泣きながら訴えるアフー。先生は背を向けている。
騒ぎがすんだあと、八百屋の主人が先生の財布を返しに来た。先生が店に置き忘れた財布を、そこの主人がこっそり盗んだものだ。メヘディに脅迫されて返しにきたのだった。また、隣の住民もやってきた。メヘディから母の日のプレゼントを預かったのだという。袋をあけるとそこにはゴム手袋があった。手あれがひどい先生は洗い物をする時、かならずゴム手袋をしていたが、メヘディがいるとき破れて捨ててしまったのだ。いつも手をかいている先生を気使ってのメヘディからのプレゼントだった。先生はメヘディの優しさに気づき、涙ぐむ。
次の日、先生は少年院に向かい、メヘディの姿を探すが、どこにも見当たらない。あの切り抜きは少年院に忘れたままだ。行方不明と聞いた先生は慌てて家にむかう。もしかするとまた脱走して、いつもの場所で待っているかもしれない。名前を呼んで探す先生。しかしメヘディの姿はどこにもなかった・・

スタッフ

監督:カマル・タブリーズィ一
製作:Varahonar Co.& Farabi Cinema Foundation
脚本:カマル・タブリーズィー&レザ・マグスーディ
撮影:アズィーズ・サアーテイー
音楽:ケイヴァン・ジャハンシャーヒー
編集:ハッサン・ハッサンドウースト
美術監督:アスガル・ネジャド=イマーニー
録音:ヤドッラー・ナジャフィー
録音ミックス:レザ・デルパク
メイクアップ:モーセン・ムサヴィ

キャスト

ファテメー・モタメド=アリア
ホセイン・ソレイマニー
ゴルシード・エグパリ
ジャムシード・エスマイルハーニー
モハマド・ダヴュードナジェド

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