2013 年|104 分|HD|16:9|ドキュメンタリー 配給:東風

2013年8月9日から1週間、吉祥寺バウスシアターでの上映 2013年6 月1 日(土)より、ユーロスペースにてロードショー他全国順次公開

公開初日 2013/06/01

配給会社名 1094

解説



『犬と猫と人間と』から 4 年。ふたたび、いのちをめぐる旅が始まります
東日本大震災では多くの人々、犬や猫などの動物たちが被災しました。しかし被災した動物の数は自治体でも把握しきれていません。今なお保護活動が行われていますが、私たちにはその現状を知ることさえ難しいのです。
「まだ新しい犬は飼えないけど、いつかまた…」津波で愛犬を失った夫婦が、喪失を受け止めてゆく長い道のりに寄り添いました。津波を生き延びた男性と野良猫が再会し、次第に家族となっていく姿など、いくつもの別れと出会いを見つめます。
原発事故に翻弄される福島では、取り残された犬や猫を待っていた苦難が今も続き、飼主やボランティアの人々の複雑な思いが交錯します。
残されたのは犬や猫だけではありません。被ばくした牛たちを生かすべきか否か、畜産農家とボランティアの人々が立場を越えて困難に立ち向かう姿を通して、いのちの意味を問うていきます。

僕らがまだ知らない、動物と人間のいま 未来につなぐため、いのちと向き合う
監督は、宮城県出身の映像作家・宍戸大裕。変わり果てたふるさとに戸惑い、カメラを向けることが出来ずにいた監督。
しかし、懸命に生きる動物たちと彼らを救おうと奮闘する人々と出会い、600 日に渡り正面からいのちと向き合っていきます。
プロデュースを手掛けたのは、一人の猫好きのおばあさんの「不幸な犬猫を減らしたい」という思いから生まれ、09 年に劇場公開され話題となった『犬と猫と人間と』の飯田基晴。本作はスクリーンを見つめる私たち自身がともに生きるいのちについて考え、未来へと繋いでいくための物語なのです。

ストーリー







2011 年 3 月 19 日、監督の宍戸大裕は故郷の宮城県に帰って来た。震災を生き抜く人々を記録するためだ。しかし変わり果てた光景に言葉を失い、被災した人々に声もかけられない。その時、犬が歩き去った。その姿を追いかけながら、人間だけでなく動物たちも被災していたことに気がついた。
津波で大きな被害を受けた石巻の街を訪れた宍戸は、一匹の猫を見つけた。カメラを向けていると声をかけられた。
話しかけてきたのは小暮栄一さん、津波で荒れ果てた店の再開を目指す、お好み焼き屋のマスターだ。小暮さんはこの野良猫を「みーちゃん」と名づけ、以前から餌をあげていたそうだ。もう一匹、小暮さんが餌を与えていた野良猫も生き延びていた。小暮さんは 2 匹の猫を「みーちゃん」と同じ名前で呼んでいる。店の中のみーちゃんはメス。もう一匹はオスだという。
後に本作のプロデューサーとなる飯田基晴から、「アニマルクラブ石巻」の代表・阿部智子さんと連絡がつかないと電話があった。アニマルクラブは石巻で30年以上活動を続けている動物愛護団体だ。場所は海から1キロのところで、被害の大きな地域だ。
尋ねてみると、幸い阿部さんは無事だった。アニマルクラブには被災動物の相談が相次いでおり、阿部さんはその対応に奔走していた。
アニマルクラブには震災時、70 匹の犬と猫がいたが、1 階を津波が襲い、3 匹の動物が犠牲となった。いずれも病気を持っていたり、人に懐かないため、もらわれなかった動物たちだった。
「まだ水が犬小屋の高さよりもあったから、引き上げてやることが出来なかった。次の日、明るくなってから、ようやく死体を持ち上げた時はものすごく冷たくて。この体の冷たさは、一生忘れない」と阿部さんは話してくれた。阿部さんとの出会いから、宍戸は本格的に被災地の動物取材に乗り出す。

しばらくして、小暮さんがエサを与えていたオスのみーちゃんの容態が悪くなり、アニマルクラブで保護してもらうことにした。しかし、猫エイズに白血病が重なり、すでに満身創痍だった。みーちゃんはひと月後、息を引き取った。「早く気づいてあげたかった」津波を生き抜いた命の死に直面した宍戸は、後悔の念を覚える。
今回の震災で、どれほどの犬と猫が津波の被害にあったのか? 県に問い合わせても、被害の実態を把握していない。
その実態に近づくため、東北 3 県の沿岸自治体、45 ヵ所にアンケートを出した。28 の自治体から回答があったが、「把握していない」との回答が半数にのぼった。
犬の犠牲は 3490 匹。だが正確な数はどこも把握しておらず、この数字は犠牲のごく一部に過ぎない。そして猫の犠牲については、すべての自治体で不明だ。私たちはどれほどの犬と猫が犠牲にあったか、知ることもできない。
石巻の動物病院に、ペットの行方を探す貼り紙が並んでいた。そのうちのひとつ、愛犬モモを探す小野夫妻を訪ねた。
小野さんの家では、津波が 1 階の天井まで達し、モモが行方不明になっていた。モモは 16 歳。賢い犬で、夫の喜代人さんはいつもモモに寝かしつけられていたそうだ。
ふたりは貼り紙だけでなく、新聞広告や、テレビ、ラジオを使って情報を求めていた。震災の翌日に「モモを見た」という情報があったからだ。二人はどんな小さな情報でもいいから、モモのその後を知りたいと切に願っていた。
震災から半年が経とうとしていた。震災以来、アニマルクラブで預かっているクーコは 15 歳。臆病な猫だ。飼主の磯崎洋一さん、とし子さん夫妻は小学校で避難生活を送っている。
震災当日、ふたりはクーコを自宅の 2 階へ上げ、飼犬のコロスケを連れて学校まで避難した。だが外の鉄柱につないだコロスケが、津波に飲まれ亡くなった。9 歳 7 ヶ月だった。
「コロスケも助けたくて連れてきたけど、校舎に入れてはダメって言われたのが生死の分かれ目だった。私たちは助かったけど、コロスケを殺してしまったなあって」ふたりはコロスケを外につないだことを悔やんでいた。
月命日になると、ふたりはコロスケの遺体を埋めた自宅跡にやって来る。

コロスケは生後3週間で磯崎夫妻のもとにきた。大人しいが、やきもち焼きで甘えん坊だったという。1 日 3 回散歩に連れて行き、可愛がっていることは近所でも評判だった。とし子さんが複雑な心境を言葉にしてくれた。
「普通の生活で犬が亡くなると、すごく思い出されるんだけど、全部が変貌してるから、何だかちゃんと悲しみに浸ってられないって言うのかな。思い出しても、こう瓦礫の山ではね」2 週間後、阿部さんに連れられ、クーコが仮設住宅へ移ったふたりのもとに帰ってきた。
磯崎さんはコロスケの遺品を大切にしまっていた。鑑札などがつけられた柴犬のぬいぐるみ。壁にはコロスケの写真が額縁に入れて飾られている。
そうこうしているうちに、クーコの姿が見えなくなった。よそに行くといつもそうだという。みなで探していると、布団の奥に隠れていたクーコを見つけた。皆、ひと安心して笑顔だ。

スタッフ

監督・撮影・ナレーション:宍戸大裕
構成・編集・プロデューサー:飯田基晴
音楽:末森樹
宣伝デザイン:成瀬慧
宣伝イラスト:うさ
宣伝写真:浅岡恵
製作:映像グループローポジション
配給:東風

キャスト

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