戦争と一人の女
2012年/日本/1時間38分/カラー/デジタル 配給:ドッグシュガームービーズ
2013年4月27日、テアトル新宿にてタブー解禁のロードショー
(c)戦争と一人の女製作運動体
公開初日 2013/04/27
配給会社名 1264
解説
「戦争が終わるまで、やりまくろうか」
戦争に翻弄される男と女。絶望なのか、希望なのか…。
今、蘇る、昭和官能文藝ロマン。
若松孝二の遺伝子を継ぐ者たちが過激に描く、戦争とエロス。
「戦争が好き」と女は言う。「みんな燃えてしまえば、平等になるから」と。
女は元娼婦の呑み屋の女将。男は坂口安吾自身を模した飲んだくれの作家。自分の欲望に忠実に生きる女と、戦争に絶望した男。……そこにもう一人の男が絡む。中国戦線で片腕を失い、戦争を十字架のように背負った帰還兵だ。
戦争に被害者も加害者もない。どのように生きようとも、戦争から逃れられず、少しずつ損なわれていく。それでも人間は生きていく。生きていかねばならない。脆さや弱さ、たくましさやしたたかさ、哀しみや可笑しみを抱えながら——。
監督は、若松孝二の弟子として、満を持して長編デビューとなる脚本家の井上淳一。脚本もまた、若松プロ出身である荒井晴彦と中野 太。戦後すぐに書かれた坂口安吾の「明るいニヒリズム」に満ちた短編小説を見事に現代に蘇らせている。
出演は、女に江口のりこ、作家に永瀬正敏、片腕の帰還兵に村上 淳、下世話な市井のオヤジに柄本 明。
撮影は『ヘブンズストーリー』の鍋島淳裕。 『誰も知らない』の磯見俊裕が美術を、『接吻』の臼井 勝が録音を、『ユリイカ』の監督・青山真治が音楽を、若松プロ出身で『アジアの純真』『たとえば檸檬』の監督・片嶋一貴がプロデューサーを務める。
また、先ごろ亡くなった日本録音界の巨匠・橋本文雄(『幕末太陽伝』『豚と軍艦』)が録音監修で参加している。
監督は「これは戦争シーンのない戦争映画です。戦争は人間の命や体だけでなく、心さえも損ないます。若松孝二の遺伝子を受け継ぐ者として、それを描くことこそが、右傾化が懸念されるこの国で今最も必要だと確信しています」と、戦争の不条理とエロスという普遍的なテーマに真正面から取り組んだ。本作は、「ミスターゆとり教育」と呼ばれた映画評論家・寺脇 研が「観たい映画がないから、自分で作る」と初の企画・プロデュースを手掛けた作品でもある。元文部官僚と若松孝二の弟子たちがタッグを組んで、現代日本映画界のタブーに挑む、衝撃の文芸エロス!!
ストーリー
「どうせ戦争で滅茶々々になるのだから、今から二人で滅茶々々になって、戦争の滅茶々々に連絡することにしようか」作家はそう言い、飲み屋の女と刹那的に同棲を始める。しかし、幼い頃遊郭に売られた女は、感じない体になっていた。心と体に欠落を抱えた女と男は、どうせ戦争で死ぬという絶望と虚無の中、それでも、「戦争が終わるまで、やりまくろうか」と、ただひたすらに相手の体を求め続ける。
一方、中国戦線で右腕を失った男が、妻と幼い息子に迎えられ帰ってくる。男が失ったのは、腕だけではなかった。 戦場での精神的後遺症から、男は妻との性行為を出来ずにいた。そんなある日、焼け跡で数人の男に襲われている女を見つけ、自分が興奮していることに男は気付く。中国で女を犯し、殺した記憶が甦ったのだ。その日から男は、「お米が手に入るよ」と言っては何人もの女を山奥に連れ込み、犯し、殺し始める。男の中で何かが目覚めたのだ。
戦争によって大きく損なわれた、一人の女と二人の男。その三人の運命がやがて交錯し——
スタッフ
監督:井上淳一
企画・統括プロデューサー:寺脇研
プロデューサー:片嶋一貴
原作:坂口安吾
脚本:荒井晴彦、中野太
撮影:鍋島淳裕
照明:豊見山明長
美術:磯見俊裕
録音:臼井勝
音響効果:伊藤進一
録音監修:橋本文雄
編集:蛭田智子
音楽:青山真治、山田勲生
助監督:瀬戸慎吾
キャスト
江口のりこ
永瀬正敏
村上 淳
柄本 明
高尾祥子
大島葉子
酒向 芳
川瀬陽太
佐野和宏
千葉美紅
牧野風子
大池容子
marron
瀬田 直
真田幹也
飯島洋一
牛丸 亮
小野孝弘
草野速仁
福士唯斗
奥村月遥
奥村彩暖
Guillaume Tauveron
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