私は貝になりたい
戦争に引き裂かれた夫婦の物語 。
2008年/日本/カラー/??分/ 配給:東宝
2008年11月22日公開
(C)2008『私は貝になりたい』製作委員会
公開初日 2008/11/22
配給会社名 0001
解説
あの不朽の名作が、50年の歳月を経て甦る
戦後わずか10数年の1958年(昭和33年)、テレビ草創期に制作されたドラマ『私は貝になりたい』。この作品は多くの感動と反響を呼び、テレビ史上に燦然と輝く不朽の名作と呼ばれている。故フランキー堺主演のこのドラマは、一兵士として戦争に巻き込まれた市民の悲劇という戦後日本を象徴する出来事を見事に描き、またこのような悲劇が実際に起こっていたことを世に知らしめ、多くの人々の共感を得、話題となった。
あれから50年、今もなお世界中で紛争は絶えていない。そういった戦争の最中、このドラマのような悲劇がもう起こっていない、そしてこれからも起こらないと言えるだろうか。そんな今だからこそ、語り継がれるべき作品として『私は貝になりたい』は半世紀の時を経て銀幕によみがえる。
深く描かれる「夫婦の愛」「家族愛」そして「人間ドラマ」
徴兵による従軍中に米兵の処刑を命ぜられ、実際には腕を銃剣が掠っただけにもかかわらず、復員後にB・C級戦犯として逮捕、そして死刑を言い渡される。この作品は理髪店の主人というごく平凡な一市民である豊松を主人公として、愛する家族との間を『徴兵』そして『逮捕』と二度にわたって引き裂かれる不条理を描く。
ドラマでフランキー堺が演じた理髪店の主人、清水豊松にはSMAPのリーダーとして八面六臂の活躍を続ける中居正広。彼の映画出演は02年の『模倣犯』以来実に6年ぶりとなる。『砂の器』などのドラマでのシリアスな演技、そしてバラエティ番組での明るいキャラクターでの見事な司会など、常にそのギャップが人々を魅了する彼が、この難しい役どころをどう演じるか注目される。妻の房江に、仲間由紀恵。06年の大河ドラマ『功名が辻』では主役の千代を見事に演じ、今や映画界にも欠かせない存在となった彼女を迎え、ドラマでは描ききれなかった夫婦の絆や家族の情景がより深く描かれることになった。また、矢野中将役に石坂浩二、他に上川隆也、笑福亭鶴瓶ら、日本を代表する俳優が集結。それにより人間ドラマも更に深く掘り下げられることとなった。
切ない物語を美しい日本の景色が彩る
過去、スタジオでの撮影が中心となったこの作品。今回の映画化にあたって、「私は貝になりたい」という言葉を際立たせる「美しい海を是非映したい」、そして「美しい日本の風景、四季を映したい」という橋本忍たっての希望で、スタッフは美しい海、海岸を求めて日本の海岸線をほぼ1周するなど、美しい風景を収めるために日本各地をロケハン。そして本作品は高知、山陰などで昨年の秋からほぼ1年をかけて実景撮影を行う。いままでの「私は貝になりたい」では成し得なかった映像表現により、この物語に映画ならではのスケール感、そして美しさが加わるに違いない。
最高のスタッフで描く、これは『私は貝になりたい』の完全版
脚本はもちろん、数々の黒澤作品、そして「砂の器」「八甲田山」などの大作とともに、この「私は貝になりたい」のオリジナルを担当した日本映画界の至宝、橋本忍。自身の脚本に一切手を入れないことで有名な彼が、今回自ら脚本を改訂。「夫婦愛」の描写などさらに深みを増すシナリオとなった。また、音楽は数々の映画音楽を手掛けた久石譲が担当。この切ない物語を美しい楽曲で彩る。そしてメガホンを託されたのは、ドラマ「砂の器」「華麗なる一族」などの演出を手掛けた福澤克雄。30%を超える視聴率をたたき出し、まさに今トップを走るドラマの演出家が、この大作で初監督に挑む。
ストーリー
「戦犯容疑で逮捕します。」
豊松にとってその言葉は、まさに青天の霹靂だった。
戦争が終って、徴兵されていた清水豊松は高知の家族の元に帰ってきた。二人目の子供も生まれることになり、再び家族が一緒に暮らす平和な生活が戻ったはずだった。しかしそれも束の間、突然やってきたMP(ミリタリーポリス)らに従軍中の事件の戦犯として逮捕される。
清水豊松(中居正広)は高知の漁港町で、理髪店を開業していた。家族は女房の房江(仲間由紀恵)と一人息子の健一(加藤翼)。決して豊かではないが、家族三人理髪店でなんとか暮らしてゆく目鼻がついた矢先、戦争が激しさを増し豊松にも赤紙が届く。「これが、最後の別れかもしれない。」そんな不安を断ち切るように彼は陽気に「ヨサコイ節」を踊って戦地に赴いていった。
豊松が配属されたのは、外地ではなく、本土防衛の為に編成された中部軍・第三方面の部隊だった。ある日、撃墜されたB29の搭乗員がその部隊管轄の大北山山中にパラシュートで降下した。「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ」司令官の矢野中将(石坂浩二)の命令が伝達され、豊松の属する中隊が行動を開始した。発見された米兵は、一名が死亡、二名も虫の息だった。
中将の命令は、何人かの将官を伝わり、最終的に米兵の「処刑」となって立石上等兵(六平直政)に伝えられた。立石がその執行役に選び出したのは豊松と滝田(荒川良々)の二名。立木に縛られた米兵に向って、豊松は歯をくいしばりながら銃剣を突き刺した……
やっとの思いで戦地から帰り、家族も増えこれからというときに豊松を待っていたのは、逮捕そして裁判の日々だった。市ヶ谷の軍事法廷はA級戦犯を裁くので手一杯な状況から、豊松たちB・C級戦犯の裁判は横浜で行われていた。横浜軍事法廷の裁判では、命令書なしで口から口へ伝達される日本軍隊の命令方式が納得されなかった。豊松は、「刺そうとしたが、銃剣が右の腕を掠ったにすぎない。自分は裁判を受けるのさえおかしい!」と抗議したが、絞首刑の判決を受けてしまう。
独房で、豊松は再審の嘆願書を夢中で書き続けた。矢野中将は、罪は司令官だった自分ひとりにある旨の嘆願書を残し処刑される。
豊松の死刑宣告を知らされた妻の房江は必死の思いで船と列車を乗り継ぎ、豊松の元を訪れる。逮捕後に生まれた初めて見る娘の直子、久々に見る妻房江の泣きそうな顔。そして健一。豊松の嗚咽は次第に大きくなっていく、房江も泣くまいと必死の表情だが、涙がとまらない。『健坊!お父さんもうじき帰るからな。お母ちゃんのいうことをようきいて、直子の守りもするんだぞ!』豊松は健一に語りかけた後、『帰りたいなぁ……みんなと一緒に土佐へ。』としみじみと話すのだった。土佐に戻った房江は、豊松の無実を信じ、また家族が揃って暮らす為に助命嘆願の署名集めに飛び回るのだった。
矢野中将の処刑以来1年、巣鴨プリズンでは誰も処刑されなかった。死刑囚たちは、やがて結ばれる講和条約により釈放されるものと信じていた。
そんなある朝、豊松は突然チェンジブロック(房の移動)を言い渡される─。
スタッフ
遺書・原作・題名 : 加藤哲太郎 『狂える戦犯死刑囚』
脚 本 : 橋本 忍
エグゼクティブプロデューサー : 濱名一哉
プロデュース : 瀬戸口克陽
プロデューサー : 東 信弘 和田倉和利
ラインプロデューサー : 梶川信幸
音 楽 : 久石 譲
監 督 : 福澤克雄
撮 影 : 松島孝助
照 明 : 木村太朗
録 音 : 武 進
美 術 : 清水 剛
衣裳デザイナー : 黒澤和子
製 作 : 『私は貝になりたい』製作委員会(TBS・東宝・J-dream ほか)
キャスト
清水豊松(理髪店の主人) 中居正広
清水房江(豊松の妻) 仲間由紀恵
敏子(房江の妹) 柴本 幸
根本(薬屋・町内会長) 西村雅彦
三宅(郵便局長) 平田 満
酒井正吉(豊松の友人) マギー
健一(豊松と房江の長男) 加藤 翼
竹内(町役場職員) 武田鉄矢
尾上中佐(大隊長) 伊武雅刀
足立少尉(小隊長) 名高達男
木村軍曹 武野功雄
立石上等兵 六平直政
滝田二等兵 荒川良々
西沢卓次(死刑囚) 笑福亭鶴瓶
小宮(教誨師) 上川隆也
矢野中将(中部軍司令官) 石坂浩二
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