原題:spring in hometown 美しい時代

あの日の君を、僕は一生忘れない

1999年カンヌ国際映画祭「監督週間」正式出品作品 1998年東京国際映画祭東京ゴールド賞受賞 1998年ギリシャテサロニキ国際映画祭最優秀芸術貢献賞受賞 1998年ハワイ国際映画祭グランプリ受賞 1998年フランスベルフォール国際映画祭グランプリ受賞 1998年スイスフライブルグ国際映画祭国際映画連盟賞受賞 1998年インドケーララ国際映画祭審査員特別賞受賞 1999年大鐘賞最優秀作品賞受賞、他4部門受賞 1999年春史映画芸術賞最優秀作品賞受賞、他2部門受賞 1999年百想芸術大賞新人監督賞受賞 1999年韓国映画批評家協会賞最優秀作品賞受賞、他3部門受賞

韓国1998年11月21日公開

1998年/韓国/121分/カラー/ヴィスタサイズ/ドルビーSR 配給:シネカノン

2001年6月10日から14日まで京都みなみ会館にて公開 2001年6月30日から7月6日まで東京キネカ大森にて公開 2000年11月11日(土)より銀座シネ・ラ・セットにてロードショー

(C)Korean Film Art Center BaekDu-DaeGan Co.Ltd.

公開初日 2000/11/11

配給会社名 0034

公開日メモ 失った少年の日の純粋さと残酷さ——痛みや苦しみの中にあっても人間を生へ向かわせるもの—— 物語は少年の日記と政局が平行して語られる。少年達の日々には、誰もが体験した歯がゆさや切なさでゆれる心があり、誰もが失った純粋さと残酷さがある。その心の振幅に不思議と政治の混乱で揺れ動いている国の姿が重なり合う。

解説




「類い希なる才能の出現!」各国映画祭が絶賛!
監督デビュー作ながら国内はもとより、ヨーロッパ、アジアの映画祭で高い評価を得て数々の受賞を果たした。
その壮大なスケールと繊細かつ静謐なスタイルは巨匠タルコフスキーやアンゲロプロスと並ぶ才能と絶賛された。
また、本作は韓国映画史上最も海外の映画祭に出品され最も多くの受賞を果たした作品でもある。まさにアジアを越えた類い希なる才能の出現を我々は目にすることになる。

失った少年の日の純粋さと残酷さ——痛みや苦しみの中にあっても人間を生へ向かわせるもの——
物語は少年の日記と政局が平行して語られる。少年達の日々には、誰もが体験した歯がゆさや切なさでゆれる心があり、誰もが失った純粋さと残酷さがある。その心の振幅に不思議と政治の混乱で揺れ動いている国の姿が重なり合う。
そして、少年達を取り巻く大人達は戦争の落とした闇に翻弄され、極限の人間像をさらけだす。その姿を冷徹に見据えながら、また同時に友人や家族、愛する者とのかけがえのない萎靡をあたたかくみつめていく。そこには混沌とする現代社会に生きる我々への静かに問いかけがある。痛みや苦しみの中にあっても人間を生へ向かわせるものとは何なのか、と。

色鮮やかに綴られる映像詩と胸をしめつける哀切のメロディ
クローズアップを極力抑制し、美しくダイナミックなロングショットで見るものを圧倒する。この映像と照明のコンビは『ペパーミント・キャンディ』も手掛けた韓国映画界のホープ。その卓越した技術と審美眼で故郷の四季を優美に色鮮やかに綴ってゆく。
また、透明感漂う管楽器が美しい映像に更なる輝きを持たせている。その旨をしめつけるような哀切のメロディはいつまでも耳を離れない。

ストーリー

1952年、夏——。
前年まで全土で繰り広げられていた朝鮮戦争は膠着状態に入っていた。
舞台は戦禍を逃れた美しい、静かな片田舎の村。人々は伝統を守りつつましく暮らしていた。しかしそんな静かな村にも米軍が進駐し、”赤狩り”の波は確実に押し寄せていた。
かつては肩を寄せ合って暮らしていた隣人同士がいまやイデオロギーの違いから血を流しあい、家族は離散を余儀なくされていた。

ソンミンは好奇心旺盛ながら甘えん坊で内気な性格の少年だった。隣に住むチャンヒは運動神経がよく、活発なガキ大将。
対照的な性格ではあったが、二人は遊びも悪戯もいつも一緒で無二の親友だった。他の少年達とつるんでは米兵が女性を斡旋される廃屋でのぞきをしたりしていた。
ある日、チャンヒは廃屋で米兵が落としていったライターを拾う。チャンヒはそのライターを自分の分身の様に大切にした。

ソンミンの父親は、姉が米兵と交際していたのがきっかけで米軍キャンプでの職を得る。父は高価なラジオや様々な物資を持ち帰り、羽振りが良かった。
村では珍しい自転車で父の荷台に乗せられて通学するソンミン。ソンミンの家庭は日に日に豊かになっていった。

一方、チャンヒは父親が北朝鮮軍に連行され、母一人が家計を支えていたため家族はその日暮らしを強いられていた。
幼い妹の服を売っても、チャンヒの家庭は貧しくなる一方だった。学校に弁当すら持ってこれないチャンヒにソンミンは迷う事なく自分の弁当を半分差し出す。
境遇の違いこそあれ、二人は堅い確かな絆で結ばれていたのだ。

秋——。
うららかな日差しにつつまれて学校では運動会が行われていた。ソンミンは父と二人三脚で徒競走を駆け抜けた。しあわせな瞬間だった。

その頃、ソンミンの父の紹介でチャンヒの母は米兵の下着を洗濯する仕事を得た。父が職を斡旋したのが気に入らないらしくソンミンの母が文句を言っている。庭に洗濯物を干しているといつも以上に冷たくあたっていた。

学校ではサンオン少年がのけ者にされ、先生からいつになく厳しく叱責をうけ、とうとう学校をやめてしまった。サンオンの父は共産主義者でかつて先生の家族を皆殺しにしていたのだった。子供達の世界にも歪みが生じ始めていた。
ある日、チャンヒの母がまかされていた洗濯物がなくなった。その晩、ソンミンはチャンヒの母が寝もやらず呆然と庭をみつめている姿をみてしまう。その苦悩をソンミンは知る由もなかった。

いつもの昼下がり。廃屋で覗きをしていた二人の前に現れたのはチャンヒの母とそしてその取り持ちをするソンミンの父だった。
激しい衝撃に二人は言葉もなくその場から走り去る。その日以来、ソンミンは父の自転車に乗ることをやめた。
あくる日、何者かによって廃屋に火が放たれた。そしてその日から、チャンヒは姿を消してしまう。学校には子供のものとおぼしき片一方の靴をもった米兵達がやって来る。シンデレラ探しならぬ犯人探しが行われるのだったが…。

一年後——。
休戦協定が結ばれた。

月日の変化は人々へ確実に訪れていた。
チャンヒの父が解放されて傷ついた体で村へ戻ってくる。ソンミンはチャンヒの父から息子の不在と村中で囁かれている噂について理由を問われるが、何も答えることが出来なかった。
そして、ますます豊かになったソンミンの家族は立派な家へ引っ越しをした。大きく、綺麗な家へ移ってもソンミンは素直に喜べなかった。あの日以来、芽生えた父への反感を消せずにいた。
ソンミンの姉は交際していた米兵の子を宿していたが、米兵からの連絡はとだえていて、以後二度と姿を現すことがなかった。
そんな折り、沼ではのロープで縛られた死体があがった。腐敗がひどく人物の特定は難しいようだった。
村ではみながその死体はチャンヒの亡骸だと噂された。子供達はチャンヒの魂を弔う為に空の棺で葬式をし、小さな墓を作った。
チャンヒから引きついだライターを父にみつかる。米兵のものと気付き激怒した父は宿題を庭にぶちまけ、ライターは取り上げられてしまう。ソンミンが去った後、一人静かにそれを拾う父の横顔は優しかった。出来の悪い子ほどかわいく、不器用な父の愛だった。
ある夕方、ソンミンが広場で子供達と石けりをして遊んでいるところへ父が姉に付き添われて帰ってくる。その体には鮮血のような”赤い”ペンキが頭から浴びせられていた。父は米軍の物資をヤミ取り引きしていたのがばれてキャンプから追放の身となったのだった。
ソンミンの家族は村を出ることになる。家を引き払い、いよいよ明日村を離れるという夜のことだった、ソンミンの枕元に一人の少年が現れる。少年が去った後、枕元には、あのライターが残されていた。ソンミンは一人暗がりの中、ライターに灯りをともしていつまでもそれを見つめていた…。
翌日の早朝、人目を避けるようにソンミンの一家は住み慣れた村をひっそりと後にする。朝霧に包まれた峠の道を荷馬車が静かにゆっくりと下っていく…。

スタッフ

監督・脚本  イ・グァンモ
製作  チョン・テソン/カン・スンギュ
音楽  ウォン・イル
撮影  キム・ヒョング
美術  MBCアートセンター
編集  ハム・スンウォン
音響  イ・スンチュル
照明  イ・カンザン
衣装  ボン・ヒョンスク

キャスト

ソンミンの父  アン・ソンギ
ソンミン    イ・イン
ソンミンの母  ソン・オクスク
チャンヒ    キム・ジョンゥ
チャンヒの母  ぺ・ユジョン
ソンミンの叔父 ユ・オソン
ソンミンの姉  ミョン・スンミ
学校の先生   オ・ジへ

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