原題:THE SOURCE

1999年サンダンス映画祭出品

1999年10月15日全米公開

1999年/アメリカ/カラー・モノクロ/90分/1.66ヴィスタサイズ/ドルビー 提供:日本コロムビア・ザジフィルムズ 配給:ザジフィルムズ 宣伝協力:ムヴィオラ

2002年1月19日DVD発売/2001年12月21日ビデオ発売&レンタル開始 2001年4月7日より渋谷シネ・アミューズにてレイトショー公開 2001年3月31日より大阪・扇町ミュージアムスクエアにてレイトショー公開 2005年03月23日よりDVDリリース

ビデオ時に変わった場合の題名 ジョニー・デップinビートニク

公開初日 2001/03/31

配給会社名 0089

公開日メモ サイケもラブ&ピースもニューシネマもヒップホップもすべてここからはじまった

解説



《ビートニク》はカウンター・カルチュア以後のポッ文化全般に大きな影響を及ぼしたビート族とビート・ジェネレーションについての記録映画である。
ドラッグやドラッグに近い興奮をもたらす呪術的なポップ・ミュージックと結びついた詩人のアレン・ギンズバーグ(1926-1997)、作家のジャック・ケルアック(1922-1969)、作家のウィリアム・バロウズ(1914-1997)の三人がこの映画の核となっている。
中でも1969年に亡くなったケルアックの生前の映像や、ケルアックの小説『路上』のモデルであり彼の友人だった伝説上の奇人ニール・キャサディの映像は僅かながら貴重である。
「1944年、三人の青年、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズが初めてニューヨーク市で出会った。事盤は一変した。彼らにとっても、この世紀にとっても」。この文章と共に、若き日の彼らが一緒に写った写真が映画中で写される。この写真は映画の冒頭でギンズバーグが広げる彼の写真集に収められたもので、映画の最後に再び写し出される。
気取りのない即興的なビートの表現は、空前絶後の物質的繁栄とはうらはらに、冷戦と核の脅威、朝鮮戦争や非米活動委員会による赤狩りに代表される格式ばった抑圧的な時代のアメリカにあって、個人の自由を求める若者の反抗的な気分から生まれた。
ギンズバーグは1955年にサンフランシスコのシックス・ギャラリーで朗読された後、翌年シティライツ書店から出版され、発禁になった詩集『吠える/その他の詩』に収められた「吠える」で、ケルアックはヒッチハイカーを扱った1957年の『路上』で、バロウズは「カットアップ」方式を用いて麻薬中毒を扱った1959年(米国出版は1962年の『裸のランチ』で有名になった。
特に『路上』と『裸のランチ』は60年代から70年代にかけてのカウンター・カルチュア世代のカルト・バイブルとなり、今でもカウンター・カルチュアに憧れる若者の必読書となっている。『裸のランチ』は1991年にカナダの奇才ディヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化された。
「1957年、その最も著名な作品[『路上』]の出版と共に、作家、音楽家、芸術家とその友人たちの麻薬流行は代弁者をもち、知的な権威者たちから多少は真剣に評価されはじめた」。
『路上』はベスト・セラーとなり、映画スター並みにハンサムなケルアック(親友のキャサディと瓜二つ)は、実存主義的な生き方に憧れる黒づくめの若者の崇拝対象となった。ソ連の宇宙船スプートニクに引っかけた「ビートニク」という呼称が風変わりな新風俗として流行し、主流派の保守的な人々からからかわれた。
「『吠える』と『路上』があっても、50年代にはビート族に関心をもつ者は僅かだった。彼らには気にならなかったようだ。それでも、組織をなさない少数派の躍進は世界中で生じていた。」
「(残りの多数派にとって)50年代が終わったとき、人々はまだビート族をからかいつづけていたが、皮肉にも、彼らを受け入れ始めもしていた」。
ビート族について証言するのは、黒人詩人・劇作家・ジャズ評論家のアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)、ミニマル音楽の作曲家フィリップ・グラス、アンダーグラウンドのロック・バンド「ファッグス」のエド・サンダース、ビート詩人のグレゴリー・コーン、詩人でシティライツ書店経営者のローレンス・ファーリンゲッティ、『カッコーの巣の上で』の作家ケン・キージー、ビート詩人のデイリー・スナイダー、ビート詩人で『ビアード』の劇作家マイケル・マックルーアらである。
この他、作家・作曲家のボール・ボウルズ、映画作家のシャーリー・クラーク、抽象画家のロバート・マザーウェル、イッピーのアビー・ホフマン、活動家のトム・ヘイドンらの記録映像の抜粋も引用される。
歴史的映像や証言の合間には、ビート関連の歴史家、文学研究者、ケルアックの伝記作家、作家の親族らビートの同時代人の貴重なコメントもコラージュされる。
関係者による証言や解説に加え、ジョン・タトゥーロ、ジョニー・デップ、デニス・ホッパー(監督作《イージーライダー》の抜粋も映画中に引用される)といった反逆児を体現するハリウッド・スターがカメラを見つめながらそれぞれギンズバーグ、ケルアック、バロウズの作品を暗唱するシークエンスもフィーチャーされる。これらも、ある意味でこの映画の中の見せ場である。
さらに、ビートと結びつく映画(50年代の暗い雰囲気を反映するフィルム・ノワール、《プル・マイ・デイジー》《アメリカの影》などのビート映画から、1975年のオスカー受賞作《カッコーの巣の上で》まで)やテレビ番組や音楽(ジャズ、フォーク、ロック)の反社会的ポップ・アイコン〈ジェイムズ・ディーンやボブ・ディランらの有名人)の出演映画やビデオの断片的な抜粋もふんだんに引用される。
映画の終盤はビート族の死と共に、新世代の若者たちにビート・ジェネレーションの精神が受け継がれていることを暗示する。
60年代、ギンズバーグはインドを訪れ、仏教徒となり、バロウズは北アフリカ、モロッコのタンジールに定住し、ケルアックは1969年にアルコール中毒で死んだ。
「70年代には新世界が創造された。ビート族とその後継者たちが、画定し生気を与える上で重要な貢献を果たした世界である」。
1997年にはこの映画の企画を支えたギンズバーグが亡くなり、続いてバロウズも亡くなった。
《ビートニク》の製作・監督は1986年の《Precious Images》でアカデミー最優秀短篇賞に輝くチャック・ワークマン、製作総指揮はヒロ・ヤマガタである。
この映画はギンズバーグに捧げられている。

ストーリー

スタッフ

脚本・製作・監督:チャック・ワークマン
製作総指揮:ヒロ・ヤマガタ
製作補:マーク・アポストロン/ジェイムズ・カデイ
撮影:トム・ハーウィッツ
記録映像:ドン・レンザー
演技場面撮影:ホセ・ルイス・ミニョーネ/ナンシー・シュライバー/アンドリュー・ヂンテンファス
編集:チャック・ワークマン


ビート・プロダクションズ/カリオプ・フィルムズ
ウィンスター・シネマ

キャスト

ジャック・ケルアック作品
「Belief&Technique For Modem Prose」より
「路上」より
「地下室の人びと」より
ジョニー・デップ

ウィリアム・パロウズ作品
「裸のランチ」より
「Deposition:Testmony Concerning a Sickness」より
「ダッチ・シュルツ最期のことば」より
デニス・ホッパー

アレン・ギンズパーグ作品
「叫び」より
ジョン・タトゥーロ

出演
《インタビュー》(撮り下し)
アレン・ギンズバーグ
ウイリアム・パロウズ
ティモシー・リアリー
ローレンス・ファリンゲッティ
マイケル・マックルーア/ケン・キージー
グレゴリー・コーン/エド・サンダーズ
アミリ・パラカ/トム・ヘイデン
ゲイリー・スナイダー/ロバート・クリーリー
フィリップ・グラス
ディヴィッド・アムラム

《インタビュー》(映像資料より)
ジャック・ケルアック
ジェリー・ガルシア
ポブ・ディラン
シャーリー・クラーク
ダイアン・ディ・プリマ/ロバート・マザーウェル
ノーマン・メイラー/テリー・サザーン
ニール・キャサディ
その他

LINK

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