原題:La vida util

2011 年 米国アカデミー賞外国語映画賞ウルグアイ代表 2011 年 ブエノスアイレス・インディペンデント映画祭 主演男優賞、特別賞 2011 年 イスタンブール国際映画祭 審査員特別賞 2011 年 カルタヘナ映画祭 国際批評家賞 2010 年 新ラテンアメリカ映画祭(ハバナ)最優秀作品賞 2010 年 サンセバスティアン映画祭新人監督特別賞 2010 年 トロント国際映画祭 Visions 部門

2010年/ウルグアイ・スペイン合作/67分 後援:駐日ウルグアイ大使館協力:セルバンテス文化センター東京 配給:Action Inc.

2016 年7月16 日(土)より新宿K's cinema にて5週間モーニングショー

公開初日 2016/07/16

配給会社名 0596

解説


この作品は、短いながらも2つの部分から成り立っている。前半は、ホルヘのシネマテークでの仕事とシネマテークが抱える問題が中心で、そのほとんどが、シネマテーク内の映写室や、フィルム・アーカイブの狭い廊下。ラジオの収録スタジオ、と屋内が舞台だ。
後半は、シネマテークが閉鎖され、居場所を失ったホルヘはどこへ行き、何を考えるのか。
自分の意志に反して、誇りある仕事を奪われた怒りを抱えながらも、それまで、日々の仕事に追われて、自分のことを考えたことがなかったホルヘが、街に出て、大学に行き、パオラが授業を終えるまで何をし、何を思うのか。人生の大きな転機に、どう向い合うのか、が描かれている。
ベイロー監督のアイデアは、前半の映画を愛するホルヘを、後半で救出することだった。
分かりやすい結末を期待する観客や否定的な批評家なら、後半に「何も起こらなかった」と思うかもしれない。だが、映画好きなら、ホルヘの内面では、様々なことが起こっていることが分かってもらえる、と監督は確信していた。他の映画なら、生活のために、ウエイターとか靴磨きになるかもしれないが、この映画では、前半を裏切らず、映画への愛こそ、ホルヘを再生させるものだということを描きたかった。
大学で代講の教授に間違われて授業をする場面での語りは、マーク・トウェンの嘘について書かれたエッセイ(On the decay of the art of lying)で、ホルヘは自分の言葉ではなく、もしかしたら、映画で観たり、どこかで読んだりしたかもしれないことを思い出しながら語る。まるで今の自分自身について語るかのように。そして、この語りは、前半の「グリード」の冒頭部分、フランク・ノリスの“真実”に呼応する。前半が、よりドキュメンタリータッチだとすれば、後半はよりフィクション(虚構)に近づき、そうすることで、ホルヘは、この虚構の講義をきっかけに徐々に、変わって行く。池の魚に石を投げて、怒られ、髪の毛を切り、そして、ついに25 年がつまった鞄を置き去りにする。このシーケンスがあって、初めて、ホルヘは内なるジーン・ケリーに誘われて、大学の階段でタップを踏み始める。この一連の行動は、前半のホルヘからは予想できないが、鞄を置き去りにしたことで、これまでの人生から解放され、パオラを誘い、「イエス」を取り付けるという新たな一歩を踏み出すのだ。
シネマテーク閉鎖の時に流れる曲(馬を題材にした歌)は、ウルグアイの詩人で役者、音楽家でもあるレオ・マスリアの曲で、軍事政権時代に作られた作品。テーマは失われた過去、無邪気さの喪失。監督は、この曲とシネマテークの閉鎖が重なる、という。無邪気に映画館で映画を観る人がいなくなること。ひとつの時代の終わり。このシーンには最初から、この曲を使うために、無音で撮影された。

ストーリー

両親と暮らすホルヘ(45 歳)は、とあるシネマテークに勤めて25 年。
フィルムの管理、作品の選択、プログラムの編成から映写、果ては客席の修理を一手に担い、ラジオの「シネマテークの時間」で、映画を解説し、会員をつのる日々。
映写機材は古く、シュトロハイムの「グリード」の上映では、館長自らマイクを持って、作中の詩をスペイン語でボイス・オーバーするアナログな上映館。冒頭、「アイスランド映画特集」の作品選びも、館長のマルティネスとホルヘで振り分けている。

ホルヘにとって、シネマテークが人生そのもの。唯一の例外は、秘かに想いを寄せるシネマテークの常連で、大学教授のパオラ。廊下でコーヒーに誘う練習をしてのぞむが、中々、うまくいかない。でもホルヘにとってシネマテークは、「25年間、毎日、ここにいる」と誇りをもって言える場所なのだ。
だが、ここ数年、観客は激減し、建物の賃料も8ヶ月滞納していた。
何とかせねば、と焦るホルヘだが、館長もスタッフも、修理不能な老朽化した機材のことで頭がいっぱい。
ある日、ついに立ち退きを迫られ、出資元の財団からも、利益が出ないまま続けるわけにはいかない、と通告される。思わずバスの中で涙するホルヘ。
ついに閉鎖の日、ホルヘの頭の中に、突如、「駅馬車」のワンシーンが響き渡り、怒りを含んだ早足で、歩き始める。目的地はパオラがいる大学だ。
授業中の彼女を待つ間、代講の教授に間違えられ、ウソの講義をし、池の鯉をみて、髪を切り、25 年の人生が詰まった黒い鞄を置き去り、そして…。

原題「La Vida Útil」には、「耐用年数(賞味期限)」という意味と「生き甲斐のある人生」という意味がある。
映写機の耐用年数と共に、フィルムの時代が終わりを告げ、ホルヘのシネマテークでの日々も終わる。
不本意であっても、人生は続く。これまで観た、これから観る映画と共に。そして、自身の映画の主役として生きるために。

スタッフ

監督:フェデリコ・ベイロー

キャスト

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